午後二時十七分:殴打のち逃亡、また

目々

午後二時十七分:殴打のち逃亡、また

 細く開けた窓からは末期の息のように生温い風が吹き込んでいる。

 発端も思い出せないような、くだらない口喧嘩。ただ狭苦しい安アパートの湿気と夏の暑さが、互いの苛立ちと嫌悪を加速させた。

 大学を卒業直前に中退した。それだけならまだしも、居場所がないとほざいてこの部屋──俺が進学を諦め就職してようやく獲得した一人住まいだ──に転がり込んできた。その癖当然のように小遣いをせびり、ふらっと出かけてはコンビニのスイーツやらパチンコの景品安い駄菓子を押し付けてくる。外で何をしているのか、怒鳴り声と共に玄関扉を蹴りつけるような来訪者があったのも、片手では足りない。


 昔は自慢の兄だった。それが今ではこの有様だ。なのにまだ血は繋がっている。だからこそ、見捨てる覚悟ができずにいる。


 を言わなければよかった。殴られた頬はまだ痺れている。出て行きざまに投げつけられた舌打ちと、合わせてもくれなかった視線の鋭さを思い出す。

 白い日射しに血が茹だり、思考はだらしなく散逸する。


 冷蔵庫の鶏肉は賞味期限が危ない。冷蔵庫の氷が切れている。兄は──もう帰ってこないのだろうか。


 頬はようやく痛み始める。腫れているのか、左眼がうまく開けられない。

 鍵の回る音がした。数度の軋みから間をおいてドアが開く。乱暴な足音が近づいてきて、俺の頭上を影が覆う。


 舌打ちと共に目の前に放り捨てられたコンビニ袋からは、安物のアイスの包装が覗いた。


 俺は俯いたまま黙り込む。べとつく風が腫れた頬に触れる。

 黒々と伸びた影は、蝉の声すら飲み込んでいく。

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午後二時十七分:殴打のち逃亡、また 目々 @meme2mason

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