いのちに満ちた風景

「見たい」だけの風景と「居たい」風景がある。写真家が撮るべき風景は、もちろん後者である。むかし写真家の先生にそう習った。
 上月文学に描かれる風景は「居たい」風景である。(読者が)いつのまにか其処に居て其処に住む人たちや生き物たちと時を共有する。そんな風景だ。
 まばゆい光と喜びの響きにあふれたいのちの風景である。