第三話

 友人たちを見送って玄関から戻ると、さっきまでの賑やかさとのギャップのせいか静かな部屋はなんだか広々として見えた。。

 暖房はちゃんと効いているのに心なしか気温まで下がった気さえする。

「さて――」

 聞こえてきた呟きに水瀬みなせの不吉な指摘が頭をよぎって、僕は思わず身構えた。

「そろそろケーキを受け取ってこようと思うんだけど、伊織いおりくんは留守番してもらってもいい? 配達はまだだけど、時間がかかってすれ違いになると困るから」

 今日の夕食は天道てんどうの実家がここ数年クリスマスにケータリング? に来てもらっているレストランから、僕ら二人分をデリバリーしてもらう予定になっていた。

「あ、うん、いいけど。ケーキは別なんだっけ」

「ええ、お菓子はやっぱり専門店で買った方がおいしいから」

 正直どんな料理がやって来るのか恐々としているんだけど、「ちょっと豪華な出前みたいなものよ」という彼女の言葉をどこまで信じていいものか。

 あとあの純和風の天道家のお屋敷でクリスマスやってる事実は改めて考えるとちょっと面白いな。

 七夕の笹みたいに、庭にもみの木持ち込んだりしてるんだろうか。

 ブルジョワジーを感じる。

「それで、どこに買いに行くの?」

大濠おおほりのお菓子屋さん、ほら前にシュークリームを買ってきたでしょ」

「あぁ、あの皮がなんか独特な感じの。ケーキも売ってるんだ」

「シュークリーム専門店だと思ってたの?」

 くすくす、と笑いながら天道はコートを羽織り、ちょっと考えたあとでマフラーを追加した。

「いや、そういうわけじゃないけど、でもどうせ出るならさっきみんなと一緒で良かったんじゃない?」

「あら、それじゃ伊織くんが寂しいでしょ」

「いや、子供じゃないんだから」

 ちょっと心当たりがないでもないけど、これは多分きっと病み上がりの心細さのせいだから……。

「それにほら、英梨たちの前じゃ行ってきますのキスもできないし」

「出るのをずらして正解だったね……」

「やっぱり、して欲しかった?」

「人がいるところでされなくて良かったってことだよ」

「それは人がいなければ構わないってことよね」

「――まぁ、そうとも言えるね」

「もう、意地っ張りなんだから」

 観念して同意すると、声をあげて笑った天道が僕の二の腕を優しく掴み、頬と頬を触れ合わせて唇を鳴らした。欧米かな?

 そして「あぁ、こういうのね」と油断した直後に唇と唇をあわせる。

 とんでもなくやわらかな感触を覚えると同時に、ぬるりと舌がはいりこんできた。

「――ん、じゃあ、行ってきます」

 たっぷり一分は僕の口を蹂躙したあとで顔を離した天道は、実に満足げな笑みを浮かべている。

「…………いってらっしゃい、気をつけてね」

 いや、ほんとここは絶対舌を入れる場面じゃないと思うんだよな……。

 ちょっと心配になるくらい弾んだ足取りの天道を玄関の外で見送って、部屋に戻ると確かに寂寥せきりょう感を覚えないでもなかった。

 うーん、完全に心理を読み切られている。なんとなしに負けた気分になりつつベッドのそばに置かれたビニール袋を手に取った。

 中にはかみやんたちが百均で買ってきてくれた、モールやオーナメントなんかのクリスマスグッズが入っている。

 勘のいい天道のことだから、まぁ十中八九でサプライズにはならないと思うけど、イルミネーションが見に行けなくなった埋め合わせにできるだけの努力はしたい。

 問題としては僕に飾り付けのセンスが皆無ってことだな……。

 とは言えいちいち有識者に画像を送って手伝ってもらうってのも違う話だろうし、と金銀のモールをカーテンレールにつけたり、ドアに吸盤式のリースをつけたり悪戦苦闘しているとスマホがメッセージの受信を告げた。

『イオちゃん、体はもう大丈夫? 帰ってこれそう? お母さんが車で迎えに行くっていってるけど』

 壁から半身をのぞかせたペンギンのスタンプと一緒に送られてきたのは、体調を心配した妹からのものだった。

 熱が下がったときに連絡はしたんだけど、そう言えばそのあとは放置していたかもしれない。

 元々、年末年始は実家に帰るつもりだったけど、僕が体調を崩したこともあっていつになるかの決定は伸ばし伸ばしになっていた。

 ひとまず調子は良くなったことと、明後日以降での帰省と迎えをお願いすることを伝えると、チャット画面のペンギンが一度壁にひっこんだあともう一度顔を出した。

『明後日なの? ツリーしまっちゃうよ?』

 何の心配だろう、と思いながら「大丈夫だよ」と返事をして、そう言えば実家以外でクリスマスを迎えるのは人生で初めてだと改めて気づいた。

 しかも性の六時間に参加するのはほぼ間違いないだろうしな……。

 子供のころ眠らずにサンタに会おうとしていたたことや、二十五日の朝に枕もとでプレゼントを見つけたときのワクワク感を思い出すと、なんとなく自分が不純な存在になってしまった気がする。

『三十分くらいで帰るわね』

 でもまぁそれが嫌だというわけではなくて、これも一つの大人になるっていうことなんだろうと、天道からのどや顔をする猫のスタンプを見ながら、そう思った。


 §


 結局、天道の帰宅から少しして届いたクリスマス・ディナーはとても彼女が言うような「ちょっと豪華な出前」で済むものじゃなかった。

 前菜から始まってスープ、サラダに肉料理と一揃いのフレンチは見た目から華やかで、保温用容器に入ってても隠せないお高い雰囲気で、普段使いのテーブルに並びきれないくらいの量もある。

 もちろん見た目だけでなく味の方も素晴らしくって、レストランとかだと緊張して集中できなかったことを思えば、デリバリーで助かったのかもしれない。

 個人的には洋食でも白いご飯が欲しい派だったけれど、一緒についてきたバゲットも絶品で、僕の様子をみた天道に取り分を三対一と偏らせてくれたくらいだった(恥)。

「伊織くん、ケーキはどうする?」

「んー、もう少しあとでいいかな……」

「わかった、おいしかったみたいでなによりね」

「うん、ごちそうさまでした。お家の人にもお礼を……」

 言っといて、と続けようとして、よくよく考えれば年始に挨拶とかに行った方が良いよな、と考えなおす。

 あれだけの家だと年始は挨拶する人も多そうだけど、逆にそれなら長居もしなくてすむだろうし。

「言わなきゃね」

「――そうね、伊織くん一人分増えるくらいは大したことないけど」

 僕の葛藤を見抜いたように楽しげな笑みを浮かべて、天道は僕の隣に腰かける。

 なんとなくでつけっぱなしになっていたTVでは、クリスマス特番が流れそんなに面白いことある? って頻度で笑い声が上がっていた。

「つかささん、なにか見たいのある?」

「ううん、なんでもいいわ」

 肩に頭を預けた彼女は、僕の手を取って何やらなでたりさすったりすることのほうに興味がおありのようだった。

 うるさくない方がいいかな、と適当にチャンネルを切り替えると、ちょうど海外映画を字幕でやっていた。

 映像の感じはかなり古く、劇中の時代も一世紀か二世紀は前のようだった。

 なんだか見覚えがある気がしてリモコンを操作して情報を呼び出す。

「『クリスマス・キャロル』」

「ディケンズね。何度か映画になってて、現代版アレンジのもあったけど、これはいつのかしら」

 そのまんまのタイトルだなあ、と思っていると天道が説明してくれた。

「チャールズ・ディケンズ。知らない? イギリスの作家ね。『二都物語』とか『ディヴィッド・コパフィールド』とか。『オリバー・ツイスト』なんかも映画になってるけど」

「あー、『オリバー』だっけ、映画。『二都物語』はたしか読んだ気がする、あとがきで翻訳者が好き勝手言ってた…」

「なぁに、その覚え方」

「いや、印象強くて」

 たしか有名な作品の割には「この作者らしくストーリーが雑」みたいなかんじでぼろくそだった。いや、そこまで悪意がある感じだったわけじゃなかったけど。

「それで、これはどういう話なの?」

「クリスマスイブに、独り身で守銭奴の老人のところに、昔亡くなった友人と過去・現在・未来の幽霊が現れて、いろいろ見せられて結果改心する話?」

「ざっくりしている……!」

 それは確かにちょっと強引では? 要約の問題かもしれないけど。

「十九世紀の作品だもの。今でも映画にされるんだからすごいと思うけど」

「それはたしかに」

 映画はミュージカルだったらしく、いつのまにか登場人物は歌って踊りはじめた。

 ちょっと音割れしてるのとかいかにも昔の映画だなあ、と思いつつ隣の天道に視線を向けると、僕を見ていた彼女と目があう。

 恋人つなぎに絡まった指に力がこもった。

 いつにもまして顔面偏差値激高げきだかの顔が近づく、瞳を閉じて唇を重ねる。

 TVから流れる感謝を告げる歌は、長いキスの途中でぷつりと中断された。

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「美人でお金持ちの彼女が欲しい」と言ったら、ワケあり女子がやってきた件。 小宮地千々 @chiji-Komiyaji

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