第二話
がちゃんと鍵が回る音で、浅い眠りから目覚めた。
病み上がりの重たい頭ではカーテンの隙間から見える弱い光が、朝なのか夕方なのかさえ判断がつかない。
ざあと水が流れる音のあと、がさごそとビニール袋が音を立てる、多分冷蔵庫に何かしまっているんだろう。
「
そうして玄関と部屋を分けるドアがゆっくりと開き、
「うん……」
「じゃあ電気、つけるわね」
言葉のあとでぱっと部屋が明るくなる。
二度、三度と瞬きして視界ががはっきりすると、意識も多少明瞭さを取り戻した。
枕もとのスマホに手をやると、まだ一限をやっている時間だった。
天道は部屋に入ると慣れた感じでクローゼットからハンガーを取り出して、定位置になっている彼女用のフックにコートをかける。
今日のインナーは縦にラインの入った、二次元で良く巨乳のキャラが着せられているようなセーターだった。
「調子はどう? 熱は下がった?」
「ん、だいぶ楽になったよ」
「そう、良かった。そのまま寝てて、ちょっと片付けしちゃうから」
数年来の風邪を引いた僕は、年内最後の授業日も自宅で休んでいた。
バイクに水をひっかけられたのは原因の一つだろうけど、単純に冬というのもあるだろうし、あるいは当日に濡れた服を着替えに戻ったもののシャワーはいいかと不精したせいかもしれないし、もしかしたら熱っぽいのにサークルチャットで盛り上がっていた動画サイトのB級映画耐久上映同時視聴で深夜まで起きてたのが原因かもしれない。
――うん、自業自得っぽいな!
ベッドの近くに転がした空のペットボトルやゼリー飲料を片付ける天道の姿や、母や妹からの心配するメッセージを思い出すと罪悪感さえ湧いてくる。
しかも一つの講義にこだわって、もっと沢山休むことになったしな……。
馬鹿は風邪をひかないなんて言うけど、馬鹿なことをしたら普通は風邪をひいてしまうものなんだなって。
「つかささん、ごめんね。ありがとう」
「いいのよ、これくらい気にしないで」
甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる天道本人は、なんとなく楽しそうにしてるんだけど、原因が原因なだけにちょっと彼女の優しさがつらい。
でも怒られそうなので真相は黙っておこう(小学生並みの発想)。
「それにほら、恋人の部屋に来て看病って、ちょっとあこがれるじゃない?」
「まぁ、男子間でも話題にあがるシチュだけどさ……」
時々天道は
いや彼女自身のプロフィールは童貞厳選個体過ぎるけど。
「それにしおらしい伊織くんが見られるなんて珍しいし」
「ひどくない?」
「そういう役得でも探さないと、思い出して腹が立っちゃうの」
「アッハイ」
うーん、夏に続いて天道の過去がトリガーの事件だからか、やっぱり多少気にしてるみたいだ。
僕自身も思うところはあるけど、故意かそうでないかを別にすればたまに遭遇する事故みたいなものだし、その後の行動のせいで逆恨みみたいになるのがな……。
「あ、そうだ。鍵、返しておくわね、どこにしまえばいい?」
そう言って天道がコートのポケットから、僕の部屋の鍵を取り出した。
風邪を引いた初日に「出入りするのにいちいち起こすのも申し訳ないから」と言われて貸していた予備の鍵だ。
「あ、うん。それだけど、そのままつかささんが持っててくれないかな」
「あら、いいの? 伊織くんがいないときに部屋にあがっちゃうけど」
「合鍵ってそのためのものじゃない??」
なんだろう、自分がたまにぶっ飛んだことをしてるって自覚が一応あるのかな。
ちょっと考え直した方がいいのかと思えるから変な圧をかけないでほしい。
「それさ、元々なにかあったとき用で
「お兄さんの? あぁ、返事がないからって鍵を開けて入って弟がえっちしてたら気まずいものね」
「言い方がひどい」
兄自身もそういう感じのことを言ってたけどさ。
あとそう思われても仕方ないくらい身に覚えも結構あるけどさ。
昼からセックスして気づいたら着信が複数あったとか。
「まぁ、それで前からつかささんに渡そうと思ってたんだけど、なんかタイミングがなくって。あ、ちゃんと両親にも話して許可はとってるから」
「そう――」
キーホルダーもキーキャップもついていない銀色の鍵を、まるで宝物みたいにまじまじと見つめたあと、天道は微笑んだ。
「ありがとう、大事にするわね」
「うん、鍵の交換って高いらしいしね」
「そういう意味じゃなくて」
もう、と天道はベッドをバンバンする振りをした。優しい(?)。
世話してくれたお礼、というには元手がタダだけど、彼女が喜んでくれたならまぁいいか。
「でも風邪でデートが流れたときには、どうしてくれようかと思ったけど、これなら
もう明日にイブが迫ったクリスマスの予定は、天道の決断で早々にキャンセルになっていた。
今の感じだと無理できないこともなさそうだけど、病み上がりで人ごみに風邪をばらまくのも迷惑だしなあ。
「あぁ、ごめんなさい。伊織くんを責めてるわけじゃないのよ。イブにおうちデートもそれはそれで悪くないし」
「あ、うん、気にしないで」
気遣われるといよいよちゃんと暖かくして寝なかったのが悔やまれるな……。
むしろ責めてもらった方が気が楽なする、でもこんなに風邪が長引くなんて誰も思わないよ(言い訳)。
「ところで、見逃さなかったら、なにする気だったの?」
「別に、おばあさまとお話しようかと思っただけよ。あとは
「ガチすぎる……そこまでしなくていいからね」
実際証拠っていう証拠もないし、言い逃れもいくらでもできそうだしなあ。
嫌がらせくらいにはなるだろうけど、あの沸点の低さだとそれでつつき過ぎて逆恨みされたり変に暴発されても困るしな。
「キミがそう言うなら、仕方ないわね……ねえ、そう言えば伊織くんのキーホルダーってなんだった?」
「え、どうだろ……あー、たしかなんか鈴のついたストラップ、かな?」
「もう少し自分の持ち物に関心を持ったら?」
ダメ出しされてしまった。
実際、多分親に渡されたときのまんまなんだよな。
そこら辺がお
「それじゃあ次のデートで買いに行きましょ、二人で、お揃いのね」
「いいけど、あんまり大きくないのがいいな」
「もう、男の子って実用重視なんだから」
普段使いするものは大抵そうなるんじゃないかなぁ。
今も飽きもせずに鍵を見ている天道にとっては違うんだろうけど。
「そんなに、気に入った?」
「ええ、返せって言ってももう遅いわよ。キミがいないときにえっちなものがないか探したりするんだから」
「それはもうやったじゃん……」
しかも僕の目の前で三回も。
多少の覚悟はしてたけど、まさかクローゼットの天井まで調べられるとは思わなかったぞ。
「そうね、やっぱり探すならパソコンの中身よね」
「パスワード変えとくから」
「あら、やましいことがないなら見せられるでしょ」
「無敵の開示請求やめよう?」
プライバシーって
起動のたびにログイン処理するのって面倒なんだけど、ちょっと考慮した方がよさそうかな……。
そうしてつい話し込んでしまったころに、天道のスマホがアラームを鳴らした。
「じゃあ、二限が終わったらまた来るわね。冷蔵庫に消化によさそうなご飯買ってきてるから、お腹が空いたら先に食べてて」
「あ、うん――いってらっしゃい」
「ええ、いってきます」
多分汗臭かっただろうに嫌な顔せず僕の額にキスをすると、天道は来た時よりも上機嫌に部屋を出て行く。
玄関が閉まったあと、カツカツと踵が鳴る音で彼女が去っていくのが分かった。
「――ちゃんと寝るかな」
正直に言って目は冴えてしまったのだけれど、いつも通りの部屋がなんとなく寂しく感じられて、僕はスマホに伸びかけた手を引っ込める。
やっぱりまだ体が疲れていたのか、目を閉じてしまえば、眠りに落ちるまではあっという間だった。
§
「しのっちメリクリー!」
「メリクリー! ハピホリー!」
「はいはいメリクリメリクリー」
そうして結局ベッドで迎えた十二月二十四日の昼。
どやどやと僕の部屋を三人の友人たちが訪ねてきた。
「あ、うん、メリクリー」
クラッカーを鳴らしてノリノリのかみやんと
「あー、そういやここって壁大丈夫だっけ? 隣の人に怒らんね?」
「わー、男の子って感じの部屋ねー。伊織クン、えっちな本はどこにあると?」
「普段隣の音も聞こえないし、多分大丈夫かな。念のためにちょっと声は落としてほしいけど」
「オケ、んじゃお邪魔しまーすっと」
「ねー、なんで無視するとー? あ、ちょーお、
「アンタ尻もデカいんだから邪魔、狭いし奥つめてくんない」
「えー、腰は英梨ちゃんとかわらんもーん」
「なめんな、それは盛りすぎ、ってか減らしすぎ」
「むー、ほんとに
うーん、混沌。
あと女子二人はもうちょっとつつしんでくれないかな。
届け僕とかみやんの思い。
「三人とも、コート預かるからこっち渡して」
「あ、あざーっス。あと俺クッションいいんで、三人で使ってもろて」
そんな中で通い慣れた天道と、一年のころにはよく遊びに来ていたかみやんが気遣いを見せる。
綺麗に友人、彼女、お客さんに分かれたなあ、ちょっと新鮮な感じだ。
「なんで関西弁なのよ……」
「ありがとー、
「っス」
雑な相槌を打ったあと、かみやんはつつつ、とベッドのそばまで来てわざとらしく内緒話の姿勢をとった。
「――しのっち、俺ここにいていい感じ? なんかちょっと女子密度高くねえ?」
「逆にかみやんがいてくれないと僕が居たたまれないから助かるかな……」
「分かる。ならしゃーなし、頑張るわ」
やっぱり、持つべきものは非モテの友達だな。話が早い。
そんなことをしてる間に、僕に代わって天道はみんなにコーヒーを用意しにいくという完璧な彼女ムーブを見せていた。
「それで、三人はどうしたの急に」
「いや、風邪長引いてっから、昨日天道さんに様子聞いてさ。大丈夫そうって話だからお見舞いついでに?」
「ウチらもせっかくやけん、一緒にいこーってなって」
「アタシは人数多いと逆に迷惑じゃないかって言ったんだけど」
「まぁ、もう熱は下がってるし。顔合わせないまま年越しもちょっと寂しいし、来てくれて嬉しいよ」
なるほど、かみやん発案、葛葉便乗、水瀬巻き込まれってパターンか。
割と最近よく見る流れだな。
「あぁ、それと休んだ講義の試験範囲とその分のノート、さっきデータで送っといたから、確認ヨロ」
「あ、それは助かる。サンキュ」
「ウチはコピー取ってきたけん、あとで渡すねー」
「うん、葛葉もありがとう」
天道もノート持ってきてくれたし、同学部に友人が多いと助かるなあ。
一人だけ別学部の水瀬がなんか居心地悪そうにしてるのが可哀想だけど。
「――なに? アタシも代返でもしとけばよかった?」
「英梨ちゃんのおっぱいならばれんッ、いったー! なんで叩くとー!?」
「むしろなんで叩かれないと思った……!?」
「いや、みなっさんも別にないって、ア、イヤナンデモナイデス……」
ノーコメントにしておこうと思ったら、かみやんが代わりに撃たれていた。
だいたい葛葉と比べれば九割以上の人がマウント取られるだろうからひどいハラスメントだよな。これもセクハラなんだろうか。
「ちょっと二人とも、暴れないで。お見舞いに来たんでしょ? ほらコーヒー置くからカップ倒さないでよ」
「ねー、つかさちゃーん、英梨ちゃんがひどいとー」
「アンタまた、人のせいに……!」
「水瀬はなんで葛葉と友達やってるんだろうな……」
「伊織クン、そ
あ、しまった心の声が口に出ていた。
いや、でも実際天道とは高校からの付き合いだから分かるけど、葛葉絡みだと結構ひどい目にあってるだけのような……。
なんとなく四人の視線が水瀬に集まる、彼女は涼しい顔でコーヒーに口をつけたあと、ふい、と目をそらした。
「――いや、馬鹿な子ほど可愛いっていうじゃん、ほっとけないっていうかさ」
「もー! 英梨ちゃんのツンデレさんー! でもウチも
「勝手に、人を変なカテゴリに、すんな!」
「馬鹿は否定しないのね、
「うーん、こういうのも百合っていうのかな」
「そこにしのっちをひとつまみ……っと」
それは変わり果てた姿で発見されそうだから止めよう?
まぁ友情って目に見えるメリットとかデメリットとか、そういうのがすべてじゃないし、そもそもそんなことを気にしててこの二人の友人が務まるはずもないしな。
抱つきこうとする葛葉をぐいぐい押し返す水瀬と、それを見守る天道を見てあらためてそう思った。
そうしてなんだかんだとクリスマスプレゼントでお菓子まで貰ってしまい、話しこむ内に冬の日は中天から下り始めていた。
「――ねぇ真紘、そろそろ出ないと間に合わないんじゃないの?」
「あ、ホント、もう
去年一人暮らし一年目にして彼氏のために年末年始の帰省をブッチしたという強めのエピソード持ちの葛葉も、両親にガチで泣きつかれた今年はちゃんと長崎に帰ることにしたらしい。
それでもクリスマスイブの夕方まで電車の時間を引っ張るってのも可哀想な話だな、一人っ子でかなり大事に育てられたらしいのに。
いや、だからこんなわがまま放題なんだろうか(偏見)。
「あー、じゃあ俺も帰ろっかな、あんま長居しても悪いし。みなっさんは?」
「これで一人だけ残るってどんな罰ゲームよ、アタシも帰る」
「あ、そいやったら英梨ちゃん
「やだ、メンドイ」
「ええー!?」
うーんこの。
でもなんか数日だけど一人でいる時間が長かったからか、ちょっと落ち着く。
やっぱり風邪とかでもメンタルに結構来てたのかな。
「みんな、今日はありがとう。今度プレゼントのお礼するよ」
「いーっていーって、俺が寝込んだ時にヨロ! あとオタクに優しいギャルとしりあったら紹介してな!」
「アンタそれガチで言ってんだ……まぁ、集まる口実みたいなもんだったし、こっちのことは気にしなくていいケド」
「あ、じゃあじゃあー今度みんなでどっか遊びにいかん?」
「あぁ、いいね。今年のうちにも一回行こうか、いっそ明日とか」
「え、待って待って」
「そうね、伊織くんの調子次第だけど……神谷くんも実家は市内よね?」
「あ、
「アタシは逆に明日なら、かな。今年もお
「ねー、明日やったらウチ、ウチがいけんとやけど!」
「真紘はしょうがないじゃない。じゃあまたあとで話詰めましょ、二人に希望があったらそれで。いいわよね、伊織くん?」
「うん」
「えー? ねー、ウチもー、ウーチーもー! ウチが言ったとにひどかー! あ、
じゃーあ帰るの明後日にするけん、ね? ね!」
「ひどいのは葛葉のご両親への対応だよ、ちゃんと帰ってあげなよ。別に来年でいいじゃん」
「うーん、この切れ味」
「久々に伊織くんのロジハラを聞いたわね……」
いや、これ絶対ちゃんと帰るよう言った方が良い場面だと思うけど……。
あと正論をロジハラって言うのはやめない?
「ちゃんと年明けに葛葉も込みでまた予定立てるからさ」
「それはいいけど、アンタもちゃんと休んどきなさいよ。クリスマスだからって……いや、いい、やっぱなんでもない。ほら真紘、行くよ」
「絶対よー? 年明けすぐ試験やけんってやっぱなしって言わんでねー!?」
いい笑顔のままで何も言わない天道を見て、水瀬は黙って首を横に振るとごねる葛葉を引きずっていった。
クリスマスイブの日は、傾きつつもまだ暮れない。
二人きりの部屋に満ちる天道からの圧に、もしかしたら明日の予定を決めるのは少し早かったのかもしれないと思った。
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