冬の恋人編

第一話

 しとしとと雨が聞こえる。

 十二月も半ばを過ぎ、いよいよ冬らしい気温の日も多くなってきたこのごろ、学内には迫る冬期休暇と、そのはしりであるクリスマスを前にどこか浮ついた空気が流れていた。

 講義と講義の移動中、そんなわずかな時間でもそれを感じるのは案外僕自身がその一部になっているからだろうか。

 クリスマスにいかにネタっぽい画像をSNSに投稿するかで友人と盛り上がっていた去年とは大違いだな、と隣を歩く恋人の姿をぼんやり眺める。

「どうしたの?」

 視線に気づいた天道てんどうつかさは、相変わらず――むしろなんかどんどん高まっている気がする偏差値激高の顔に不思議そうな表情を浮かべ、絡めた指に力を込めてきた。

 冬への備えは必然的に服の枚数を多くして、それに隔たれるせいで最近の彼女は腕を組むかわりに手をつなぐことにご執心な気がする。

「もうすぐクリスマスだなって」

「ええ、楽しみね」

 本当に楽しそうな声でいうものだから、思わず口元が緩んだ。

「でも、伊織いおりくんはいいわよね」

「なにが?」

「だって誕生日からひと月もしないでクリスマスで、すぐにお正月じゃない?」

「ああ、でも逆にそこに集中してるせいでなにもない時期が長いって言えそうだけど……」

 おめでたいことばっかり、と天道は言うけど、子供のころはプレゼントを貰えるのが寒い時期に固まってるせいで、欲しいものが欲しい時にねだれなかったりしたんだよな……。

「あら、今は私がいるから、季節ごとにデートが楽しめるわよ」

 例によってすごい自信だった。

「わぁい」

「心がこもってない」

「いだいいだい」

 まぁ退屈しないのは確かだけれど、あんまり素直に喜んで見せてもそれはそれで不安になるとかご不満を述べられたりするからなあ。

 その辺が通じているのか自分でつねっておいて、優しく撫でるDV彼女しぐさみたいな真似をする天道も、本気で怒っているわけではなさそうだった。

「じゃあつかささん、またあとで。迎えに行くから」

 今日の二限目は別々の講義で、昼は天道の教室から近い学食でとることになっている。

「ええ、待ってる」

 そう言ってさっと周囲に視線を巡らせたあと、天道は軽く伸びをしてほほに軽く触れるだけのキスをしてきた。

 何度目かではあるけど、毎回ちょっとどきっとする。

「――ハリウッド映画でよく見るね、これ」

 特に冴えないオタク系主人公が、ちょっと派手目なヒロインにされるやつ。

 ただの事実だな?

「あら、じゃあ挨拶はByeって言えばいい?」

 その問いに親指以外の指を曲げるアメリカ風のバイバイで答えると、天道は声を上げて笑った(一勝)。


 §


 学祭のあとミスキャンパスコンテストで特別賞をとった天道の周囲にはちょっとした変化があった。

 すなわち、今まではあの・・天道扱いか、無関心かの二択だったのが、批判的な層、ミスキャン効果で肯定的になった層、相変わらずの無関心層――そうしてワンチャン(もっかい)ヤレ・・ないか、と粉をかけてくる連中の四択になったということだ。

 ひっどい話だな?

 これの何がひどいかって、たまに僕の存在を知らないのか、無視しているのか目の前で平然と彼女に声をかけてくれることだった。

 婚約初期に感じた通り、最初はその度に内心穏やかではなかったけど、豪快に切り捨てていく天道を見てるうちに慣れてしまった。

 彼女自身も僕がいないときは水瀬みなせ葛葉くずのはと一緒に行動して、あまりに露骨な誘いはしづらいようにしてるしな……。

 一度、葛葉が身代わりにされそうになったって怒ってたけど。

 まぁそう言ったわけで、講義が終わって向かった教室で、いかにもチャラい男子が天道に声をかけてようとも僕は今更動揺したりはしない。

 ただ今日のチャラ男は雰囲気だけじゃなくちゃんとイケメンだった。

 キレそう(君子豹変)。

「伊織クン、こわーか顔しとーよ?」

「あ、いたの葛葉」

「なんそれー、もう、相変わらずひどかねー」

 大教室の入り口で様子をうかがう僕に声をかけてきたのは葛葉真紘まひろだった。

 僕をめぐって天道と女子のバトルを繰り広げ、ミスキャンパスコンテストで敗れたあとに、ちゃっかり元さやで天道(と一応僕)の友人枠に戻ったタヌキ顔でHカップなゆるふわモンスター女子である。

 厚着になって一層ファッションが童貞特攻になった感のある彼女は、わざとらしく頬を膨らませた。いちいちあざとい動きするをするなあ。

「や、だってつかささんと同じ講義じゃなかったっけ? なんで外にいるのさ」

「講義が終わってちょっと教室出たら、あげんああなっとったと。そいけん伊織クン来てから一緒にかえろーって思って」

「わざわざ僕を待つって、なんかあった相手なの?」

 とても葛葉の守備範囲元カレには見えないけどな。

「ん-ん、松岡まつおかさんとはなんもなかけどー、あがん軽ーか感じの人って騙してえっちなビデオに出演とかさせてきそうな気がせん?」

「それはさすがに名誉棄損じゃないかな……」

 まぁ葛葉も顔が良い系女子だし、苦手ジャンルの相手への警戒が強いのは悪いことじゃないと思うけどさ。

 でも松岡ってなんか聞いた名前だな……?

「あとね、伊織クン。つかさちゃんちゃんと全部断っとーけんてるからね?」

「そこは信じてるよ、あー、確かバスケサークルの人だっけ」

「確かそう、浮気して彼女に振られたとって」

「いや、そこまでは知らないけど」

 天道を弁護するように付け加えた葛葉の言葉で記憶がつながった。

 僕の高校の同級生である小倉おぐら|香菜(かな)と天道が険悪な仲になった原因で、確かマネージャーと付き合っていたのに天道にちょっかいかけた上級生だ。

 結構面倒な相手に思えるけど、抜けられないのかな。あぁ、葛葉の帰りを待っててるんだろうか。

「よし、行こう」

「伊織クン、どこ行きよると?ってるの

「や、見つからない方向から入ろうと思って」

「ええー?」

 教室後方の入り口に回ろうとする僕に、葛葉は微妙な顔をしたけどもなにごとも主導権を握るのはとても大事だ。

 天道との付き合いの中で、僕はそれをよく学んだのである。

「なんか格好わるかー、ばーんて正面からいかんと?」

 他人に理解してもらえるかどうかはまた別の話だけど。


§


「つかさちゃん、そう言えば彼氏とはどうなの? なんか長続きしてるっぽいけど」

「上手くいってますよ、冬休みも一緒に遊びに行くので」

「そう、なんか夏あたりでさ家の人にバレて、怒られたんだって?」

「そうですけど……それがどうかしました?」

「いやそれじゃ慎重になってたのも分かるかなって。で、そろそろほとぼりも冷めたんじゃない? クリスマスあたりさ、どっか都合つけらんないかな」

「――松岡さん、彼と上手くいってるって、聞こえませんでした?」

「いやいや、ちゃんと聞いてたよ。イブの夜なんて無理言わないから、昼でいいんだって。俺も本命いるし」

「本命ならそちらと一緒にいたほうがいいんじゃないですか」

「大丈夫大丈夫、俺も春から社会人だし、今度の彼女はそこらへんちゃんとしてるよ。ちょっと大人しいけど、飯とか作ってくれて、聞き分けのいい子でさ」

「おめでとうございます、なら今更私に用もないですね」

「でもさ、それとセックスって別じゃん? つかさちゃんなら分かると思うけど」

「……はぁ、経験談で言いますけど、また・・痛い目見ますよ? 元カノと揉めたんでしょう? 私もあれで恨まれたんですから」

「あー、カナのこと? アイツ思い込み激しいから、ちょっと絡んでたら彼女づらしてきてさぁ。俺も迷惑してたんだよ」

 うーん、聞くに堪えないとはこのことだな。

 ここまで陽キャイケメンと僕で、ものの価値観が違うとは思わなかった。

 いや、勝手に代表扱いしたら世のイケメンに怒られるか。

「つかささん、お待たせ」

 話に夢中になってたからか、あるいは教室であんな話ができるあたり、周囲の人間はわき役だと思っているのか、こちらに全く気付いてなかった松岡先輩パイセンは怪訝そうな表情を浮かべた。

 ぱっと見で身長は僕とそう変わらない、少なくとも大きく負けてはなさそうだ。

 体格は現代社会でもサバンナでも通じる、原始のマウント要素だからな。

 顔とファッションでは、うん、うん……ってなるけど、正直負けてるとは認めたくない相手だ。しっかし高そうな靴はいてるな……。

「お友達?」

「ううん、ただの知り合い」

 天道の容赦ない一言で、イケメン顔がひきつるのはちょっと痛快だった。

「つかさちゃんごめーん、カバンとってー?」

「もう、楽しないで回ってきなさいよ」

「だってー、伊織クンたちで通れんけんしょんなかしかたないもん」

 続けて葛葉がそこに立たれてると邪魔アピールをすると、いよいよ歓迎されてないことは察したらしい。

 そのまま尻尾巻いて帰ってほしいと切に思う。

「あー、キミが、つかさちゃんの今カレ? ハジメマシテ、俺法学部の松岡、四年ね。さっきの知り合いってのは冗談で、彼女とは一年のころから仲よく・・・してもらってんの」

「二年の志野です。そうですね、つかささんは顔が広いから、ミスキャンのあとから先輩みたいな人、よく見ますよ」

 もうはじめっから敵視バリバリみたいだし、やり返してもいいかな、と応じたら近くで吹き出す音が聞こえた。

 天道と葛葉のどっちかと思っていたらどうも近くの席に残っていた野次馬らしかった。勝手に娯楽にしないでほしい。

 結構こっちはギリギリなんだぞ。

「へぇ、いや意外って言っちゃなんだけど……大人しそうっていうか、はっきり言って地味だよね、彼氏くん。つかさちゃんと付き合うの大変じゃない?」

「初対面なのに親切にどうも、でもあなたには関係ないので」

 しかしこういうやからはなんで名乗っても、名前で呼ばないんだろうな。

 いや、別に記憶してほしくもないけどさ。

「おお怖、なんでトガってんの? 図星?」

「それで話終わりなら、帰りますけど」

 うーん、最近天道の指導で見た目の印象は自分でもだいぶ変わったと思ったんだけど、反応がいかにも「陰キャが生意気にも噛みついてきた」なんだよな。

 相変わらず侮られてる感がある、この人が特別アレなだけならいいんだけど。

「つかささん」

「ええ」

 視線を向けるとちょっと面白そうな顔をしていた天道は頷いて席を立つ。

 葛葉がすかさず腕を取ったのは先輩から隠れてるのか、友人の気遣いなのか。

「――ああ、つかさちゃん、何かあったらまた・・連絡してよ、彼氏とか友達に言えない愚痴もあるっしょ」

「お気持ちだけで結構です、私、彼と付き合いだして、はじめて・・・・満足してますから」

 悪あがきの言葉にばしりと言い返した天道は、それでも気が済まなかったのかちょっといじめっ子っぽい表情を浮かべて、続けた。

「それと、一般論ですけど。顔がいいと口説くのに苦労しないせいか、本人が思っているよりそこそこ・・・・どまりって人、多いですよ?」

 天道が言うとものすごい説得力だな……!

「……あぁ、そう?」

 情け容赦ない自尊心への一撃にものっそい顔になった松岡先輩の心中は察するけど、同情する気には全くなれなかった。


 §


 一足先に講義に向かった葛葉に遅れること十分、僕たちが学食から外へ出ると空はまだ曇っていたものの雨は上がっていた。

「はぁ……」

 ため息が白い色彩をともなって冬の空気に溶け消える。

「どうしたの、食べすぎた?」

「いやー、今更だけど。ちょっとさっきのアレがさ」

「あぁ、あんな人のこと、気にしなくていいのに」

「うん」

 あの塩対応っぷりじゃ浮気の心配は全く起きないけど、やっぱり過去は石の下からミミズのように這い出てくるんだなって憂鬱なのが一つ。

「僕がもうちょっとイケメンで隙が無ければ、ああいうのも減るのかなって」

「あら、私もだけど真紘も伊織くんの方が良いって言ってたじゃない」

「いや、それはあんまり参考にならなくない?」

 少しも嬉しくないって言ったら嘘だけど、葛葉は決して趣味が良いとは言えないからな……いや天道もになるのか?

「必要以上に自分を大きく見せようとしないのは伊織くんのいいところだと思うし、私は好きよ」

「あー、うん。それは、ありがとう」

 まぁああいう陽キャに張り合うためだけに終始オラつくのは疲れそうだし、キャラじゃないけどさ。

 どっちかっていうと隣でさらりとイケメン発言する彼女がいるから、自分の力不足が気になる説が浮上してきたな……。

「でもつかささんくらいにはイケメンになりたいかなって」

「私? まぁ、挑戦してもいいけど……私以外には控えてね、態度まで改められたら、いよいよ伊織くんにモテ期がきちゃう」

 それはモテのポテンシャルが評価されてるのを喜ぶべきなのか、今の非モテしぐさを暗に認められたのを悲しむべきなのか、どっちだろう。

 あと自分のイケメンっぷりも否定しないんだな。

「人生で何回かはモテ期が来るって聞いたけど、大丈夫そ?」

「その前に既成事実でキミを雁字搦がんじめにするから大丈夫よ」

「それはもう済んでる気がする……」

 まぁ実際、今更モテ期が来られても困るけど、ヤキモチを焼く天道は見たいかもって浮かんだあたり危ない気がするな。

 モテは人を傲慢にするとさっきなんとなく感じたし。

 と思っているとブオン、と大きなバイクの排気音が聞こえた。

 駐輪スペースから音には不似合いな徐行で出てきた中型バイクに、横断歩道を渡りかけていた足が止まる。

 オラついてるな、と思っていると何を考えたかバイクは速度をあげつつ対向車も来ていないのにずいぶんと左側……僕らのいる歩道に寄ったコースを取った。

「つかささん」

 念のため左手で彼女を下がらせて僕も一歩を下がる。

 あ、と足元の不覚に気づいたときには、側溝そばの水たまりから跳ねた飛沫が僕のズボンを盛大に濡らしていた。

「きゃあっ」 

「ぅ~~~~わッ、つめたっ、さっむ……!」

 気づかないわけがないんだけどバイクはそのまま速度をあげて走り去っていく。

「伊織くん大丈夫!? あのバイク、なに考えてるのよ……!」

 珍しく声を荒げる天道のおかげで、逆に頭が冷えた。

「まぁ多分、何も考えてないんじゃないかな……うへぇ」

 ちらりと見えたズボンと高そうな靴は、ついさっき見た覚えがあった。

 まぁ、僕の悪印象がそう見間違えさせたのかもしれないけど、天道への意趣返しだとしたら、小倉のときみたいに責任感じちゃいそうだしな。

「こんな幼稚なことするなんて、ヘタクソってはっきり言わなかっただけ感謝してほしいくらいなのに……!」

「あぁ、犯人、気づいてるんだ?」

「ええ、さんざん自慢されたの、あのバイクもメットも! 器も小さい男ね、許せない……!」

「まぁまぁ、落ち着いて。つかささんは濡れてない?」

「ええ、平気……伊織くん、またかばってくれたでしょ」

 あんまり怒るもんだからかえって冷静になって、器以外のなにが小さいのか、なんてことまで考えてしまうな……。

「そりゃあつかささんと僕の着てるもんじゃ値段が違うし」

「こんな時にそんなこと気にしないで! お馬鹿!」

「アッハイ、ゴメンナサイ」

 落ち着かせようという軽口が裏目に出てしまった。

 甲斐甲斐しくタオルでズボンを拭ってくれる天道を止めると、また怒られそうなのでされるがままに処置をお願いする。

「伊織くん、部屋も近いんだし、シャワー浴びて着替えてきたら? 遅刻くらいですむでしょ」

「んー、まぁパンツまでは濡れてないし、三限が終わったらにするよ。今日は考査前の最後で、範囲の話するって言ってたし」

「誰かお友達は一緒じゃないの? 神谷かみやくんとかにお願いできない?」

「あいにく誰も、まぁ大丈夫だよ」

 本当は友人が一人一緒だったんだけど、何度かサボった挙句にもうダメだ、おしまいだ、って来なくなってんだよな。

「わかった……風邪、引かないでね?」

「暖房も入ってるし、平気だって。ここ数年風邪なんて引いたことないし、もし引いたら看病に来てくれていいよ」

 心配そうな顔をする天道に、そう力強く保証する。

「なんだか、かえって不安になるんだけど……」

「平気平気」

 もちろん、フラグになった。

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