「知の扉」開かれまくり!「入口」多数! 勉強になるどころではないっ!

『だいなしキツネの日常』にも感想を書かせていただきました。ずっと、こちらにも書きたいなと思っていたのですが、なにせワタクシ浅学非才の輩ゆえ、及び腰にもなろうものです。どなたかが書くであろうと待っていたのですが、おそらく他のみなさまも同じような心持ちなのではないかと(強引に浅学非才領域に引きずり込むスタイル)。先ず隗より始めよということでしょうか。

とにかく、こちらの更新が楽しみでならないわけです。たぶん、心待ちにしている人は多いと思います。読めばわかります。「ボーっと生きてんじゃねーよ!」と、チコちゃんでなく自分で自分を叱りたくなってくるわけです。ひとこと紹介(↑)に「知の扉」なんて陳腐な言葉を用いましたが、「ち、知の扉は本当にあったんや!」という気分になります。オドロキです。もしかしたらこの世にはスタップ細胞もあるのかもしれない。『だいなしキツネ』に出会えただけでも、カクヨムをはじめて良かったなと。これは誇張ではござらん。


まず、初回のベケットでやられます。私は『初恋』と『メルシエとカミエ』しか読んでいなかったのですが、『ゴドーを待ちながら』も読みたくなりましたねえ。そういう内容なのか、と惹かれました。

《ノンセンスも不条理劇も共に論理法則を逸脱・崩壊させる志向をもつけれど、ノンセンスが有機物の無機質さを露呈するのに対して、不条理劇は明らかに肉体の生々しさを露呈している。》

《みんなの解釈が折り重なって、互いに矛盾し、意味を剥奪しあうという闘いの場。ただそこに生きている肉体があるという演劇的現実。それに向き合う瞬間にこそ『ゴドーを待ちながら』は開演する。》

読み方を教えてもらえましたね! 最高の入口を用意していただいた気分。


炎上系宮廷人は本当におもしろおかしく読ませていただきました。清少納言の人間味よ。忌避しがちな古典ジャンルも、読み方次第でこんなに楽しくなるのかと。小学生並みですが「むかしのひとたちだっておなじにんげんだもんなあ」と感慨ひとしお。


ハーバーマス回は私にとって超絶苦手ジャンルである哲学。自分には無理と遠ざけていたものですが、読ませられましたね。つまり、知りたくなってしまいました。知らなくてもいいやと放り投げていた私に「知りたい」と思わせてしまったわけですから、本当にありがたい話です。閉めていた扉が開いてしまった。

論争史のまとめ部分がおもしろすぎです。

《……というものの、真理の合意説は大変魅力的なので貰っていきましょう、あと、社会を一個の主体であるかのように捉えるのは危険ということですねわかりました、というのがハーバーマスであった。》

《……というものの、言語を介して対話を行うことが普遍妥当性を有するという発想は大変素敵ですね、貰っていきましょう、というのがハーバーマスであった。》

《……というものの、貨幣や権力など人間の制御を要するメディアが存在するのも事実であって、これにシステム的な見通しを与えるという提案は魅力的ですね、採用しましょう、というのがハーバーマスであった。》

「ハーバーマスの問題点?」に響くキツネ先生自身の声にも胸を打たれましたね。議論すること、対話すること、意見を表白すること……常づね後ろ向きな自分はトンと背を押された思いです。


――ちょっと長くなってきたので端折りますが、その後の「創作のための読書」シリーズなんて書き手にとってありがたすぎるわけですし、相重なる「光文社古典新訳文庫全部読む」シリーズも跪拝不可避。「悪とは何か」も、こんな時代だからこそ再考・熟考を余儀なくされるところですし、「手の理論」については「さわるとふれるの違い」になるほどなと思いました。福祉の領域に疎い(というかすべてに疎いのですが)自分は、あたらしい気づきを得られましたね。そして最新の「現代の日本語」。速攻で『私家版日本語文法』を買ってしまいましたよ(Kindle版)。ワクワクする!

いやはや。「いやはや」です、ホント。キツネ先生はカクヨム最強のメンターだと思っています。感謝感激雨あられ。いまもっとも注目すべき御方でございます。アーメン、アーメン。絶対にフォローしておいた方がイイ! 役立つ役立たないとか、そういう損得勘定ではなく、人生が楽しくなる読み物ですよ。圧倒的にオススメできます!

乱文乱筆失礼いたしました!(書いてて楽しかった)