少しずつ進む愛と距離

櫻葉月咲

それが行き着く先は

 カチリカチリと、壁掛け時計の秒針が規則正しく動いている。


「今日は何を書こうかな……っと」


 ほんの少し鼻歌を歌いながら、瑞希みずきは机の引き出しから小花柄の便箋びんせんを数枚取り出した。


 ちらりと机に置いてある手の平サイズの写真立てを見つめ、苦笑する。

 瑞希は勿論のこと、自身を後ろから抱き締めるようにした青年が満面の笑みで写っていた。


「本当に浩人ひろともマメなんだから。会えない代わりなんだろうけど、毎日見てるし……久しぶりって気もしないんだけど」


 瑞希はそっと指先で、写真の中の浩人の顔を撫でる。

 瑞希と話す時は引くほどだらしのない顔をしているが、に出る時は違った。


 浩人はここ数ヶ月テレビで観ない日はない、今をときめくアイドルなのだ。

 甘い声は勿論、太陽のように輝く笑顔で観客を魅了する──Kiss&Crownのリーダーは、幼馴染み兼恋人の瑞希を溺愛している。


 その事実を知るのは両親は勿論、メンバー全員と浩人の双子の妹である日向ひなただ。五人のうちの一人は日向と付き合っており、その相手が瑞希の双子の兄なのだが──。


「瑞希〜〜〜!」

「ひゃあ!?」


 バン! と瑞希の部屋のドアを開け、あちこちの毛先をはねさせた双子の兄──龍一りゅういちが入ってきた。

 それだけならいざ知らず、瑞希をがばりと抱き締めてくるのだからたまったものではない。


「なんなのよ、龍一!? いきなり入ってきて……!」

「怒ってる瑞希も可愛いなぁ。よーしよし、お兄ちゃんがいなくて寂しかったか〜? ん?」


 瑞希の必死の抵抗を華麗なまでにスルーし、龍一はぎゅうぎゅうと抱き締める腕に力を込める。


(こんの……シスコン! まだ春にもなってないけど暑苦しいわ、ウザったいわ、なんなの!? それよりノックくらいしなさいよ!)


 家族とはいえ、女性の部屋に入る前にはノックをしろ──そう父から口を酸っぱくして言われていたはずだが、龍一はそれを見事なまでに無視した。


(これは父さんの雷が落ちるわねぇ)


 人一倍女性に対して紳士的な父のことだ。龍一のデリカシーの無さは今に始まったことではないが、父が仕事から帰ってきたら真っ先に告げよう、と瑞希は心に決めた。


「なになに、拝啓……」


 瑞希が何も言わないのをいいことに、龍一は瑞希を抱き締めたまま机に広げた便箋の内容を読もうとする。


「ちょ、駄目!」

「うぐぅ!?」


 考えるよりも早く、瑞希は龍一の腹へ肘鉄をお見舞いしていた。

 どさりと龍一が後ろへ倒れ、一気に拘束が緩んだ。


「まったく、油断も隙もありゃしないんだから。はぁ……浩人に届けるものなのに」

「──何を届けてくれんの?」


 不意に低く、少し甘い声が聞こえた。


「っ」


 瑞希は驚いて声がした方を振り向く。


「浩人!?」

 そこには、自室に入るまで観ていたテレビ番組──『キスクラ☆貴族の相談室』に出演していたはずの浩人が自室のドアの前にもたれかかっていた。


 番組は放送前に収録しているから、浩人がここに居るのも何ら不思議ではない。

 けれど、浩人が帰ってくる日は必ず連絡が入る。それが無かったと言うことは、自ずと答えは出てくるだろう。


(大方サプライズをしたかった、ってところかしら)


 そう瑞希は見当付けたが、浩人はそう器用な人間ではないと知っていた。


「はーい、愛しの浩人くんで〜す!」


 にこにこと呑気に微笑みながら、浩人はギャルのように両手でピースサインをしてくる。


「うっ……」

 不覚にも可愛いと思ってしまい、瑞希はギリリと奥歯を噛んで耐える。浩人には聞きたい事が山ほどあった。


「で、何を届けてくれんの?」


 にこにこと微笑んだまま、浩人は首を傾げ問い掛けてくる。その拍子に常から浩人がかぶっている、黒を基調とした中折れハットも傾く。


「見れば分かるでしょ」


 説明すら面倒で、未だ伸びている龍一と机とを顎でしゃくった。


「あー、うん。龍一に何かされた感じ?」

「そんなところよ」


 ツンと腕を組み、そっぽを向く。

 双子の兄には、世界の女性全員を老いも若いも問わず愛する──天性の女好きという、呆れたへきがあった。


てぇ……日向にもされた事無いのに」


 やがて龍一が腹を擦りながら起き上がる。


「日向もきっと、アンタに一発打ち込みたくて堪らないでしょうよ。どうせロケ中もナンパしてたんでしょ?」


 ほとほと呆れた、という声音で瑞希が言う。

 好みの女性がいれば、所構わず話し掛けにいくような男だ。


(本当……なんで日向もこんなのを好きになったんだか)


 あれで優しいところもあるのよ、と日向は言うが、瑞希からしてみればただの変態でしかない。


「な、なぁ、瑞希! 俺も帰ってきたことだしさ、机のそれ──拝見してもよろしいでしょうか」


 この場の空気に耐えられなかったのか、焦った口調で浩人が言った。


「どうして敬語なの。いいけど、まだ途中よ?」

「途中でも、俺の為に書いてくれたんなら立派なもんだ!」


 ぐっと親指を立て、キラキラとした琥珀色の瞳を瑞希に向けてくる。


「はいはい。……邪魔」

「うっ!」


 そんな浩人に半ば呆れながらも、前を塞いでいた龍一のすねを軽く足で蹴りつけ、机に広げていた便箋を手に取る。


「はい」


 書き上げていた便箋の中の一枚を差し出した。


「ありがとな!」


 さも上機嫌な表情で浩人はそれを受け取ると、たっぷり五分読みふけった。

 そう長く書いていないから、何度も同じ箇所を往復しているのだろう。


「痛ててて……」


 浩人の動向を見つめる瑞希の足元では、龍一が縮こまって脛の痛みにうめいていた。しかし、この際気にしない事にする。

 そのまま龍一に立っていられると、中々面倒なのだ。


「……いつ見ても日記みたいだなぁ」


 はは、と笑いながら浩人は便箋を瑞希に返す。


「こんなのしか書けなくて悪かったわね」


 愛おしさで言っているのは分かっているが、つい反抗した態度を取ってしまう。


(確かに私の手紙は、浩人に比べたら面白さの欠片もないけど)


 それでも直接会って話したい、温かい腕に触れられたい、と想いながら書いたつもりだ。


「んじゃ、俺からも」


 言いながら、カバンの中に入れていたであろう手紙を瑞希に渡す。


「ん、ありがとう」


 つい拗ねた口調になってしまったが、にこにこと笑いながら浩人は瑞希を見つめていた。

 無骨ながらいつも優しい筆跡と、毎回欠かさずに手紙を書いて送ってくれる几帳面さは、浩人のいい所だと思う。


 ガラケーが普及してきたとはいえ、こうして自分の手で書いて相手に送るのは楽しい。

 その分会いたい想いも増すが、弱冠十六歳にして仕事で多忙な浩人のことだ。

 ロケバスの中や空き時間を見つけ、こうして書いてくれるのだろう。


 あまり会えない分、直接手渡してくれる事も嬉しかった。

 素直になれない性格も相まって、いつも不機嫌な態度になってしまうが、それは浩人も承知の上なのだろう。

 手紙なら伝わるかも、と文通をしようと言い出したのは意外にも浩人だ。


(多分私の性格を分かってるからね)


 浩人の大きな優しさと愛に包まれ、こうして今も手紙でのやり取りを続けていられる。


「読んだわよ」


 そう言いつつ、視線を便箋から浩人に移す。

 すると、琥珀色の瞳に甘い劣情を宿した浩人がそこにいた。

 心臓がドキリと脈打つ。


 今から何をされるのかというよりも、この場には自分たち以外──龍一が居るのだ。

 龍一はは大人しく、二人の動向を見守っていた。

 その事に気付いているのかいないのか、浩人が甘い瞳を向けてくるという事は、答えは一つしかない。


「なぁ、瑞希」


 ややあって浩人が口を開いた。


「何よ、言っとくけど龍一も居るんだけど」


 ちらりと後ろを見て、何もなかったかのように視線を戻す。ニヤニヤとした龍一と目が合ったからだ。


「分かってるよ。それより、さ」


 ゆっくりと近付き、瑞希の肩に浩人の大きな手が触れる。と言っても、人一人分の距離しかないからあまり変わらないが。


「腹減った……」


 瑞希の肩に手を置いたまま、がくりと顔を項垂うなだれた。


「やっぱりな」


 よいしょ、とややジジくさい掛け声と共に龍一が立ち、瑞希のすぐ後ろに立った。


「やっぱり、って何よ」


 瑞希はくるりと振り向き、龍一に問い掛ける。


「浩人な、瑞希に会いたいからって昼飯も食わずに帰ってきてんの。で、ちょうど充電切れってとこ」


 本当に呆れるよ、と龍一は続けた。

 どうやらKiss&Crownのメンバーは、浩人を除いて昼食を食べていたらしい。

 というのも、浩人だけ別件の撮影で大阪にいたという。そこから急いで東京へ帰り、着替えもそこそこに瑞希の所へ直行したのだ、と。


 そう掻い摘んで聞かされ、ややあって頬が熱を持つのを感じた。

 それほど自分に会いたかったのか、といういじらしさが瑞希の脳内を駆け巡る。

 それと同時に、毎日頑張っている浩人を労わってやらなければ、という思いに駆られた。


「私、ご飯作ってくる!」


 未だ瑞希の肩にもたれかかっている浩人を強引にひっぺがし、早口に捲し立てると瑞希は階下に駆け下りた。


「うぇぐ!?」


 その瞬間の浩人の悲痛な声は、この際後回しだ。後で首を労わろう、と心に決める。


「行ってらっしゃ〜い」


 その後を、龍一の陽気な声が追いかけた。

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