注がれる愛

湾多珠巳

注がれる愛

 ずっと前から。

 間違いなく、物心つく以前から。

 声は、間断なく聞こえ続けていた。

 どこから、誰が? わからない。

 わかるのは、それが自分に向けた声だということと。

 そこに含まれる、怖気をふるいたくなるほどの興味の強さ。

 それは、今もこう囁いている。


 ――君はこれからどう生きる?


 もちろん、返事などしていない。というより、できない。

 なぜか、こちらの意志はまるで伝わらないのだ。


 ――さあ、見せてごらん。君にはどんな可能性がある?


 何を見ているのだろうか? 何を望んでいるのだろうか?

 いったいなぜ、こうまで自分に執着するのか?

 息が苦しい。注がれ続ける視線を意識していると、濃密さに溺れてしまいそうだ。


 ――君はどこへ向かう? 君はどう変わりたい?


 何もしたくない。何にもなりたくない。仮に自分がどう変化しても、この声が止むことはないのでは? ならば、いっそこのまま何もしないで朽ちてしまいたい。

 拒否。そうだ、完全なる拒否。それが答えだ。

 それが答えだと知れ! そして、もう黙れ!


 ――教えてくれ。君の未来は何?


「黙れえええええええぇぇぇぇ!」




「あら、西尾さん、また失敗したんですか?」

 朝の研究室に、研究助手・浪川の屈託のない声が響いた。定時出勤した彼女の視線の先には、同僚の西尾が浮かない顔で培養プレートを手にしている。

「あれだけ一生懸命世話してたのに、ついてませんね」

 気遣うような彼女の斜め横で、ふん、と鼻を鳴らす音がした。研究主任の津田だ。

「ついてるとかついてないじゃなくてね、ただ下手なの。技術的な問題よ。それがわかってないんだから」

「そんなことないですよ、津田主任も目の前でご覧になってきたじゃないですか」

「そうだけど……これだけ成功率が低いってことは、何かあんのよ」

 議論する浪川と津田の傍らで、西尾は黙って死に絶えた培地を眺めるばかりだ。それは、死んだ子供をただ抱きしめ続ける親の姿にも似ていたかも知れない。

「西尾くん、もういいから、追加実験の分、今日は培地交換じゃない? さっさと済ませて」

 指示を飛ばす主任に、ようやく西尾は頷いた。インキュベーターから丁寧な手付きで新たな培養プレートをいくつか取り出し、そっと顔を近づける。

 今のところ順調に進展している中身を見て、西尾の目が細くなった。

「君はこれから、どう変わる?」

 不意に、西尾が小さな生命群へ囁きかける。見ていた津田と浪川が、また始まった、というように顔を見合わせた。

「案外、あれが原因じゃないの? 失敗の連続記録の」

「ええ? そんなわけないですよお。解るはずないじゃないですかあ」

「でも植物でも音楽聞き分けるって言うし」

 浪川は笑って首を振った。

「いくらなんでも、ただのiPS細胞の段階で、ちょっとそれは」

「……ま、そんな小さいのに声をかけ続ける彼も彼だけどね」

 所用を思い出して部屋を出て行きかけた主任は、今一度西尾を振り返ると、わりと真剣な顔でひとりごちた。

「あの人案外、ネコを可愛がりすぎて殺しちゃうタイプだったりするかもね」



<了>

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注がれる愛 湾多珠巳 @wonder_tamami

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