第3話 強くてニューゲームはステータス保持できてこそ
今日の数学は小テストだ。教科担当の瀬川は小テストの点数も平常点に反映しやがるので手抜きができない。これが期末テストとかになると問題がさらに難しくなるのは有名だ。進級のためにもここで落とすわけにはいかないのだ。
ゆえに直前の休み時間はクラス内が少し殺気立つ。普段は明るいお喋りで
そういう私も最後の悪あがきに教科書をめくって公式を頭に叩き込んでいた。理数系苦手だから小テストくらいは頑張らねば。数秒で脳裏から落ちていく公式を何度も拾ってどうにか見栄えよく飾り立てようとしている時点で手遅れかもだけど。
教科書を見れば見るほど自分の不理解を突きつけられるようで焦りばかりが
と、席を立っていた今井さんが戻って来た。……おや、いつもよりおっぱいの頂点と机の
……これからテストだからかな? 今まで考えてこなかったけど、どうして今井さんはみら井さんになる時があるんだろう。どうにも今井さんは、自分が未来の自分と入れ替わっている自覚がないようだ。周囲も気づいてないようだし。もしかして本当に気づいてるのって私だけ?
とにかく、こんな不思議な現象なんだ。何か理由があるはずで。それはもしかすると、ありがちだけど、過去のやり直しだったりするのだろうか。
いわゆる強くてニューゲーム。過去の失敗をちょっとでもマシにするためにみら井さんが過去にやって来ているのだとすれば。
つまり、テストで無双。そうだよ。未来から来てるなら、百パーセント当たるヤマを張ってるのとおんなじだ。なんなら答えを丸暗記してしまえばいい。
思いつきだったけど、そうに違いないという気がしてくる。私はすっきりして教科書を閉じた。
悪あがきはやめよう。今井さんがタイムスリップだかタイムリープだかしないと駄目なテストだ。休み時間の数分でどうにかなる相手じゃない。
脳内で答えが出てスッキリしたところでチャイムが鳴り、瀬川教諭が教室に入って来た。挨拶もそこそこにテスト用紙を回し始める。
自分のプリントを裏返しで机に置く。さぁて、どこまで太刀打ちできるものか。今回は簡単だといいなぁ。テストを楽しめる人種が羨ましい。
対策ばっちりのはずのみら井さんをちらっと流し見ると。
「…………」
みら井さん? どうして目じりを
無言なのに『やっべぇ』って顔が物語ってんですけど。え、対策してきたんじゃないの?
はっ、みら井さんに気を取られ過ぎた。自分のことに集中しないと。
瀬川の合図でプリントをひっくり返し問題に取り組み始める。最初のほうはまだ因数分解の確認程度だから簡単だ。式も問題文も小さなひと
さっき見た教科書の記憶を頼りに方程式を展開させていく。
……うん、中盤まではなんとか行けた。
こっから先は一問解くのに時間とひらめきが必要な難所だ。配点の大きさと回答欄の広さって比例してる気がするよね。
一息ついたせいか、無性に隣の進捗が気になり始めた。テスト中によそ見なんていけないことだけど、気になって集中できないのは本末転倒な気がする。結局、カンニングじゃありませんよと脳内で釈明しながら視線を横へ。プリントの埋まり具合だけ見て安心を…………、んん?
みら井さん? 待って。まさか、もしかして──
第一問目から進んでない?
書いては消してを繰り返しているけど、やっぱり回答欄が一つも埋まってない。
なぜ? どうして? だってみら井さんは未来から来ているはずで。
若干の混乱を抱えていると、テスト問題では発揮されなかったひらめきが唐突に脳裏を駆け巡った。
あああああ、考えてみればそうだよね! 学業から数年離れちゃうともう、あんなにやった公式ですらちんぷんかんぷんになるよね。
私も小学生のときは完璧に答えられたイカの部位名称とか一個も思い出せないし。ブランクって怖い。四十八手とかは暗唱できるのにな。ガハハッ。暗礁に乗り上げてんのは今井さんの平常点だけど。
みら井さんはすでにちょっと涙目だ。おめめがグルグルしてしまっている。うう、助けてあげたいけどできない。なぜならテストは孤独な闘いだから。
しかし安心するために覗き見たのに、これでは心配ばっかりがよぎってしまう。
何度も『問1』に挑戦していたみら井さんだったが、何を思ったのか、筆箱から六角鉛筆をとりだした。
みら井さん? どうして鉛筆の頭に数字を書き入れているの?
これは、まさか、禁断の──えんぴつコロコロ!?
そんな。高校生にもなって。いやみら井さんはもっと上だけど。運に頼るほど追い詰められたというの? あと筆箱に小さくなったえんぴつ入れてる今井さんちょっと可愛いな。
自信満々に鉛筆へ数字を一周書き入れたみら井さんは、さっそく蜘蛛の糸にすがろうと鉛筆を転がした。
コロコロと思いのほか大きい音が響く。
慌てて鉛筆を止めるみら井さん。顔が赤くなったり青くなったり忙しい。
そうだよね。こんな静かな中で鉛筆なんて転がしたら音が出るよね。これじゃ運に頼るしかないほど頭パァなのが周囲にバレちゃう。もう私にはバレてるけど。
ああ、みら井さん、そんな万策尽きたって顔しないで。可哀そう過ぎて目の前に私のプリントを事故で滑らせたくなるから。
っていうかみら井さん? このテスト、選択問題ないんだけど……。
「あと五分~」
瀬川が宣告する。やばいっ。私も問題まだ全部解けてない。シャーペンを握り直し意識を空白部分に向かわせるけど、どうにもみら井さんの様子を窺ってしまうのがやめられない。
あれっ、何やってるんだみら井さん。あれは、名前を消してる? そんな問題が解けなかったからって存在ごと消さんでも。
いや待て。みら井さんは真剣な表情をしている。間違っても「その日は欠席してましたよ」みたいなくだらない嘘を吐く顔じゃない。
彼女はまだ、ちんぷんかんぷんなりにプリントの空白と戦っているんだ。
──っ、私も全力で挑まねば。
推しから活力を貰った私は気合を入れなおし、最後の問題へと進んだ。
☆ ★ ☆
「はい終わり~。筆記具置いて。後ろから回収して」
瀬川の号令で緊張の糸が切れた。大きく息を吐いて背もたれに体重を預ける。
とりあえず解答欄は埋めれた。全部出し切った。なんか余計に疲れた気がする。充足感に満たされた私は、隣の机へと視線だけ投げる。さっき彼女は何をやってたんだろう。
みら井さんが何をあれほど真剣に取り組んでいたのか。それは一目瞭然だった。
名前、めっちゃ丁寧に書いてある。
すごいな。これでもかってくらい正しくとめはねに気を配られている。一字の形だけじゃない。全体のバランス、余白の使い方、筆圧。全てがお手本のようだ。今井さんもしかして習字とかやってた? 数学の公式は忘れ去っても、身に付いた技術は忘れないものらしい。
これにはみら井さんもちょっと自慢げだ。一問も解けてないくせに。
そうだね。名前の記入はテストで一番大切なことだもんね。忘れがちだけど、そこ書かないとぜんぶ台無しだもんね。私は大切なことを教えられた気がするよ。
確かにそう。そうだよ。でもねみら井さん。
どうして、『加茂澄香』って書いてあるの……?
それが視界に入っちゃった私はどういう反応をするのが正解なの?
……駄目だ。脳内でどんだけおちゃらけたって誤魔化してきれない。うっわ。やっばい。全身がめっちゃ熱い。脈拍と体温が真夏に全力疾走した後みたいになってる。変な汗かいてきた。これはマズイ。何がマズイってもう平常心でいられないのが一番マズイ。これじゃ私が見てるのがみら井さんにバレる。
テストプリントが回収されていき、私はいつも通り見なかったフリを選んで机にうつぶせた。
そうでもしないと平静を保てなかったからだ。
結局この日、みら井さんがなぜ過去の自分と入れ替わっているのか、その答えにたどり着くことはできなかった。
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