第2話 おいくつですか、みら井さん


 そういえば、みら井さんっていくつの今井さんなんだろう。


 体育の授業中、宙を行きかうバレーボールを眺めていたら、そんな疑問が私の中に湧き上がってきた。


 おっp──お胸が成長してるから未来の今井さんだろうなと当てをつけたけど、それが何年後の彼女なのかまでは分からない。なにしろ見た目は胸以外、ほぼ同じなのだから。


 みら井さんは努力の人であり続けているらしく、身長体重プロポーション、肌艶に至るまで高校二年生の彼女と遜色そんしょくない水準を保っている。違っても誤差の範囲だ。徹夜明けの今井さんのがいろいろ酷いまであるし、ウエストなんてむしろみら井さんのほうが細かったりする。私が言うんだから間違いない。髪もシニョンにまとめてしまってるから、長さすら比較ができない。


 けど少なくとも一、二年に収まる差ではないと思う。だってさ、なんだか感じてしまうんだ。


 いわゆる、ジェネレーションギャップというやつを!


 いや同世代ではあるから意味が違うんだけど。でも他になんて言えばいいかも分からない。


 だってね? 聞いたことない曲を口ずさんでたりするし。往年の芸能人の話してると『良い人だったよね……』って発言が過去系になるし。その人死んだよね確実に。人生のネタバレってこんな感じでくらうんだ。


 果てには仲の悪い男女が喧嘩してるのを、保護者みたいな微笑ましげな目で見守っていたりする。なに? 将来はカップルにでもなるのその二人? そんな気はしてたけど、すでに結納済んでたりする?


 漏れ聴こえてくる会話だけで違和感があるというのに、彼女の友人たちは特に不審に思ったりはしないらしい。


 私の視線の先で、みら井さんがコートでボールを拾っていた。際どい球にも飛び込んで積極的にチームに貢献している。さすがの運動神経だ。胸部と臀部でんぶ躍動やくどうは眺めてるだけでこっちまで手に汗握る。ヒューッ! 今日も最高に目の保養! ありがとう体育、ありがとう今井さん&みら井さん、そしてボールを扱う運動神経がなくてすぐベンチに送られてしまうみじめな私にもついでにありがとう!


 しかしこうして見ると、やっぱりおっぱい以外で今井さんとみら井さんの違いを探すのは難しいなぁ。


 本当、みら井さんって何歳なんだろう。


 推測と憶測じゃ糸口がなさすぎて何もヒントがない。私がうんうん唸っていると、ふと相手方のコートが目に入った。みら井さんの打った球をなんとか拾った敵陣営だったが、明後日の方向に高く上がってしまう。


 隣クラスの美少女がどんまいと励ましを叫びながら球を見上げて後退し──


(あっ)


 私は考えるより先に駆けだしていた。


 試合は白熱している。チームメイトは試合中で冷静じゃない。あの子もボールに集中していて周りが見えていない。ましてや背中に目がついているわけもなく。外から冷静に成り行きを見守っていた私だけが、その可能性を予知できていた。


 あのままじゃ仕切りのポールに思い切り衝突してしまう。おそらくはのけった頭から。


(間に合ったっ!)


 すんでのところで少女とポールの間に自分の身体を滑り込ませる。肩を掴んで受け止めようとしたけど、意外と勢いがあって押しつぶされるように背中がポールとぶつかった。


「ぐふっ」


 キモい笑いみたいな声が出たけど違うんだ。肺から押し出された空気が無防備な喉を不本意に鳴らしただけなんだ。決して美少女と合法的に接近できたからじゃない信じて欲しい。私のヘキは観察から来る妄想であって接触は本望ではないのだから。


 などと脳内で言い訳をミルフィーユしている間に美少女は私のあまりのキモさにずっこけ──ではなく、予期せぬクッションの反発でバランスを崩す。彼女に巻き込まれ私も尻餅をついた。


「えっ? ふっ、か、加茂かも──さん?!」


 向こう側からみら井さんの悲痛な声が聴こえた気がする。試合は一時中断された。あいにく、わらわら集まって来た女生徒達が壁になってみら井さんの姿が見えない。私も友人に助け起こされた。


「もうっ、なにやってんのフイ子ちゃん。急に駆けだすから何かと思えば。変なとこで目ざといんだから。怪我してない?」


「ごめーん大丈夫。イケると思ったけど体幹クソ過ぎて緩衝材にしかなれんかった」


「それでなくても肉が付いてなくて細っこいのに、心配させないでよ」


「あははっどうも安物過ぎて逆に体を痛めるタイプの強硬スプリングマットレスです」


 冗談で場を和ませつつも、私は涙を堪えるのに必死だった。背中痛ーい。ケツも痛ーい。なんかもう全身痛い! 美少女とポールに挟まれてこれだけ痛いなら、百合に挟まる男が死ぬのは自明の理ですなこりゃ。


 などとバカな考えが頭を巡る余裕はあるようだ。見れば向こうも友人に助け起こされたらしく、学年一可愛いお顔で私に近づいてくる。


加茂かもさんだっけ? ぶつかってごめん、身体だいじょぶ?」


 こんな正統派美少女に名前を知られていたのか! ……って思ったけど目線が種を物語っている。ゼッケンですわ。『加茂』って漢字読めたのえらいね。


 少女は当事者だったからこそ事態を呑み込めていないらしく、半信半疑といった様子で首を傾げている。


「えっとぉ……わたしが棒にぶつかりそうだったから、助けてくれたんだよね?」


 えっ、まさか襲いかかって返り討ちにあった可能性残ってる? まずいな。恩着せがましいのは好きじゃないけど、中身がただの変態だとバレるのは避けねば。


「私はぜんぜん平気。そっちも怪我とかなかった? 受け止めきれなくてごめんね~。包容力が、こう、なんか足りなかったよね」


「あはは、危なーいって言ってくれればよかったのに」


「そうだよね! そうなんだけど、咄嗟とっさで声が出なくって」


 たいして仲良くない相手との初エンカウントで発生するぎこちない気の使い合いをこなしていると、やっと先生が声をかけてきた。


 私の行動を見て当事者たちの話が落ち着くタイミングを見計らっていたらしい。

 そのあと私は先生に叱られ褒められるという稀有けうな体験をすることとなった。


「小言はおしまい。加茂かもは念のために保健室行っといで」


「はーい」


 おっしゃ。サボり許可でました。善行もしてみるものだ。


「付き添いは──」


ですよ先生、御覧の通りかすり傷一つありませんで」


 無事をアピールするためジョジョ立ちしてみせると「はよ行け」と叱咤が飛んできた。これ以上ふざけると無理やり試合に引っ張り出されそうだ。速足に体育館の外へ向かう。もうこの時間には帰ってくるまい。


 人込みから解放されて、私はクセで推しの姿を探した。やはり推しはひと際目立つものらしい。遠目でもすぐ見つかった。まだみら井さんのままだ。彼女はなぜか、いつもの仲良しグループからも離れた隅っこで、唇を噛んで俯いていた。


 あれっ? なんか顔が青かったような。自分の球で事故が起こりかけたから気にしてるのかな? 


 周りが上手くフォローしてくれるといいけど……。



      ☆   ★   ☆



 体育館と授業から一足先に解放された私は、教員トイレに逃げ込んで時間を潰していた。

 苦手なんだよなぁ、保健室。あの消毒液の匂いと静寂な空気。俗な私はもうちょい雑多な雰囲気のが好みだ。


 かと言って授業中の廊下を闊歩かっぽする度胸はなし。教室はまだ施錠されてるので行き場もなく、人の来ない所に逃げ隠れるしかないわけである。こんな人目を忍ぶ害虫じみた惨めな状態でも、授業球技に戻る気は全く湧かないもんだけど。


 うーん、チャイムは鳴ってないけど、そろそろいいかな? 素材のないスカスカな妄想だけで暇を乗り切るのも辛くなってくる。こんなことになるならポケットにスマホ忍ばせてくりゃよかった。


 用は足してないけどなんとなく手を洗って、滴る水をハンカチで拭いつつ廊下への扉を開け──


(つぉっ!? 今井さん!?)


 向こうからやって来るのは間違いない。今井さんだ。私は瞬時に頭を引っ込めた。私ほどにもなると推しを識別するのは一瞬の残像で十分なのである。


 数ミリの隙間から様子を窺う。あ、違う。あれはみら井さんだ。


 どうやら授業のほうも早めに解散していたらしい。みら井さんはすでに着替えて制服姿だった。やっべぇ私もしや出遅れた? やだぁ超浮く。こりゃ、廊下で倒れてましたーみたいな怪我人ムーブで教室に入り込むしかないか。それか可能な限り気配を消してぬるぅうっと侵入し『いつの間にかいる人』になるかだ。どっちもダメージあるわ。悩ましい。


 みら井さんは何かを探しているようで、きょろきょろしたかと思えば立ち止まってしまった。


「いないなぁ、フイちゃん。どこに行ったんだろ……。ほんとに怪我してないのかな……」


 なんかブツブツ喋ってる? というか、どうしてこんな人気ひとけのない薄暗くてじめじめした校舎の隅っこに? 人気者の今井さんに限って、一人ご飯の場所を探してるわけでもあるまいし。


 そこに居られると私がここから出れないから、どこかへ行ってくれないかなぁ。じゃないと張りのあるお胸を舐め回すように視姦して奥の臓器が健康かどうかまで観察しちゃうぞ☆ ふふっ、それたぶんもはやX線検査。


 みら井さんはなおも辺りを見渡している。その視線が一か所で止まった。どうやら廊下の姿見に映った自分と目が合ったらしい。じっと覗き込んで、その場で一回転。空気をはらんだスカートがふわりと膨らむ。なんだろ? 突然のファッションショー? じめっとした廊下が急にランウェイに化けたよ? 輝きで自らスポットライトの役割を担うというの?


 ひとしきり色んな方向から自分の姿を確認したみら井さんは、薄ら笑いでスカートの裾を掴んだ。


「改めて見ると、はぁ。んな歳にもなって制服って……うぅっ」


 羞恥に頬を赤く染め、諦めたような顔で肩を落とす。恨めし気に鏡の中の自分を睨んでいる。


 授業の終わりと昼休憩を告げるチャイムが響く。みら井さんは探し物を諦めたようで、きびすを返して教室のほうへと駆けて行った。


 彼女の足音が消えるまで耐えきり、私は立て掛けたゴルフバッグが倒れるようにして廊下へ転げ出た。


 四つん這いになって絶ええの浅い呼吸をひたすら繰り返す。


 廊下はこんなに静かなのに、私の脳裏は阿鼻叫喚である。


「っ、みら井さん的に制服はもうコスプレ判定なのかぁ~」


 年齢気にしてんの可愛すぎる!! あんな表情見ちゃったらもう! 今まで何も感じてなかったのに、制服姿ってだけでいっきに背徳感が湧き上がってまいりましたよぉ!


「あああぁぁぁああ尊いぃぃ」


 喉が想いをせき止めきれずに本音が漏れてしまった。


 うつむいてるせいかいまさら鼻血垂れてきた。

 興奮して鼻の毛細血管が破裂したとかじゃないよ? さっきポールにぶつかった後遺症だよたぶん。


 私は濡れていい感じに冷たいハンカチで鼻を押さえ、今までいまいち用途を見いだせていなかった廊下の姿見にサムズアップする。お前をそこに設置した過去の誰かにでっかい感謝。


 今日の収穫。どうやらみら井さんは、思ったより歳いってるっぽい。



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