第6話 暑さのせいにしとけば良し


 私はモブだ。加茂かもフイ子は物語の根幹には近づかず、関わらず、そうやって生きていく。


 どうしてそう自分をいましめたのか。その記憶は遥か遠く、形は残っていない。ただうすボンヤリとした認識だけが自分の胸の内を漂っている。


 近づいてはいけない。関わってはいけない。そうでないと私は、私みたいな力ないモブはすぐ傷ついてしまうから。あっさり死んでしまうから。


 そんな確信が渦巻いて消えない。だから私は積極的に動くことをしない。この間の体育の時みたいに衝動で動いてしまうことはあるけど。理性が働くうちは自制する。


 何が自分をそうさせたのか。その思い出が欠けたまま私は生きている。────観測者として。



      ☆   ★   ☆



「あれ、今井? どこ見てるの?」


「えっ? ううん。なんでもないよ」


 そんな声で背中に感じていた視線が一時外れた。


 あれからみら井さんを以前にも増してよく見るようになった。前は二日に一回一時間程度だったけど、今は毎日一時間は見る。


 そして、


 授業中も食事中も着替え中も、何をしていても見られている。視線を感じる。これはもう監視の域だ。見張られていると言ってもいい。


 なぜ? 観測は私の領分で、今井さんは観察対象のはずだ。どうして立場が逆転してるの?


 まさか……私のこれまでのストーキング的観察行動がバレた!? その仕返し? いやいやいやいあいあああああ。待って。それはない。そんな気取けどられるヘマはしてない。それに今井さんは仕返しなんてする性質たちじゃない。


 それに明日はもう終業式。この居心地の悪さもあと少しだ。長期休暇が挟まればみら井さんのおかしな行動も収まるだろう。触らぬ神に祟りなし。雉も鳴かずば撃たれまい。モブ子はいつだって気づかないフリだ。


 そんな逃げの思考の最中でもどうしてか、みら井さんの言葉と今井さんの話が頭を巡っている。私には何の関わりもないはずの話なのに。意識のどこかに引っかかって常に視界を彷徨っている気さえしてくる。


 とはいえ私はただのモブ。ここで行動してしまえば明らかに舞台の上に引きずりあげられるのが目に見えている。あくまで端役でいるために私はその手の届かない座席に鎮座するのみだ。


 けど、う~ん、推しに監視されるのも慣れるとちょっと興奮してきたっ。あぁ、全身くまなくみら井さんの視線が刺さるぅ~。背筋がぞくぞくして落ち着かない。まさか自分が視姦しかんされる側に回ることになるなんてっ。あっ、よだれが垂れきた。慣れないご褒美に身体まで弛緩しかんしてきちゃったかな。


 さっきの授業で返って来た数学の小テストに、『今井澄香 65点』としっかり書かれていたことが、また胸をざわめかせた。みら井さんの頑張りは本来の記録にすっかり塗りつぶされてしまっていた。

 ちなみに私は75点だった。推しより良い点取っちゃった。隣から微妙に悔しそうな今井さんのジト目を頂きまして、脳内の展示会に目玉展示として永久所蔵が決定です。


 みら井さんが私を監視し、私が今井さんを観察し、今井さんはちょっとだけ私への態度を軟化させて、私が身悶みもだえ、友達が引く。そんなここ最近のルーティーンをこなして放課後になった。


 まっすぐ帰ろうと席を立つと、父からちょうどLINEが入った。親戚のとこに寄って野菜を受け取って来いとのことだ。面倒だがあの親には孫の顔を見せてやれないことが確定しているので、この程度のおつかいならつつしんで引き受けねばならない。



      ☆   ★   ☆



「~~~~夏野菜の詰め合わせとか聞いてない!」


 三十分後。私は息も絶え絶えに悲鳴を上げながら歩いていた。腕にはずっしりと重量を感じる段ボールを抱えている。中身はナス、キュウリ、とうもろこし、ゴーヤ、トマトにかぼちゃ。夏野菜オンパレード。これでもかと詰め込まれた野菜たちは私の腕力で耐えられる重さを越えている。


 これから最寄り駅まで行って、電車を降りたらさらに十分ほど歩かねばならない。真夏にこんな運動を強いられたら当然のごとく汗だくだ。つらい。きつい。もう歩けない。汗で湿った肌着とパンツが張り付いて気持ち悪い。スカートの中が熱せられた上昇気流を捕まえてサウナになっとる。


 ビルの日陰に入って一旦段ボールを降ろすと分かりやすく手から力が抜けた。駄目だぁ。腕がゼラチンかってくらいプルプルしておりますがな。


「厄日だ……」


 大きくため息をつく。唯一の救いは、この辺は山沿いだから都会の中心街よりかは風が冷たいところか。


 冷えたコンクリに背中を預けて屈みこむ。張り付く髪の毛を適当に掻き上げると、広がった視界に見知った姿がよぎった。


 反射的に前のめりになってその姿を追う。道路の向こう岸を駆けていくのは今井さんだ。いやあのリズミカルに弾むお胸の軌跡はみら井さん! 学校の外で彼女を見るのは初めてだ。辺りをきょろきょろ見渡して、また何か探してる? それに焦っているようにも見える。


 どこから走って来たのだろう。みら井さんは意を決したように、雑草生い茂るさびれた石段を駆け上がり始めた。


 そんなところに階段があったのかと驚くと同時に、私は不思議な既視感に掴まっていた。繰り返し思い出されるのは、一生懸命に何かを探して駆けるあの姿。


「……今の、見たことある?」


 それも最近じゃない。すぐ思い出せないくらいずっと昔にだ。


 気づくと私はフラフラと立ち上がって、横断歩道を渡っていた。野菜の段ボールをどこかに預けることすら忘れてガラにもなく彼女の後を追いかけたのは、きっと暑さと疲労のせいで思考回路がバカになっていたからだ。


 じゃないと私は、こんな嫌な予感がプンプンする場面に近づいたりしない。



       ☆   ★   ☆



 ほぼ自然の一部と化した長い長い石段を腿裏パッンパンになりながら登り切ると、そこには朽ちた神社があった。


 ひび割れの目立つ石畳のその先に小さなおやしろがあるだけの、小さな神社だった。塗装の剥げた鳥居とりいと苔むした狛犬が無ければ、ここが神を祀る祭場だとは気づかなかったことだろう。その鳥居と狛犬も、蔦が絡みついて地肌がほとんど見て取れないが。


 みすぼらしくはあるが、人の手から完全に離れた姿は逆に神さびれていて神々しくもある。


 高く育った木々の隙間から木漏れ日が漏れ、お社の手前に立つ少女にちょうど光を落としている。


 こんなところに神社があったなんて、知らなかった。


『山奥の神社に行った話を──』


 みら井さんの質問が脳裏をよぎる。ここがその神社なのだと、直感で理解した。


 私は狛犬の影に身を潜めてみら井さんの様子を窺った。空気が澄んでいるせいか不快な汗が引いていくのを感じる。森深い静寂をまとった荘厳な空気の中、みら井さんは懸命に何かを祈っているらしかった。


「……から、フイちゃんがのは、きっと今日……じゃないと……私がこの時間に出れ……ずないから」


 虫の羽音一つ聴こえないせいか、この距離でもみら井さんの声が途切れ途切れに聴こえる。……待ってフイちゃんって私のこと!? そんな愛称で呼ぶ間柄なの!?


 また爆弾を落とされて脈が跳ねた。せっかく汗が引いたってのに身体がまたポカポカしてきたや。ん? なんかみら井さんの身体発光してる? おわっ私の身体も? 待ってこれなんかヤバいやつ。私は反射的に立ち上がって今井さんへにじり寄った。さっきよりもはっきり言葉が聞きとれる。


「借用じゃないから長時間はいられない。チャンスは一度。間に合わなかったら、全部終わっちゃう」


 みら井さんの声は震えていた。声だけじゃない。彼女は怯えている。それが小さな背中から伝わってくる。


「私には何も変えられないかもしれない。それでも……たとえ水性ペンでしかないとしても、わたしは」


「今井さん」


「──えっ、フイちゃん!? どうしてここにっ」


 ストーキングです。とは口が裂けても言えないっ。

 振り返ったみら井さんは困惑と驚きに目を見開いている。どうして声をかけてしまったんだろう。あれだけ自分をいましめたのに、私は今、衝動で動いている。


「まさか、本当に今から──」

「今井さん。私を頼って」


 気づけばそんなことを口走っていた。自分でも何が言いたいのか予測できない。けれど、何か言わなくちゃと思った。今にも泣き出しそうな背中が、想い出の中のと重なって見えたから。


 私達を包む光はどんどん強くなっている。


 私はみら井さんの目をまっすぐ見つめ、できるだけ優しい口調を心掛けた。


「今井さんは水性ペンなんかじゃない。あなたは物語を紡ぐ側の人。だったらその辺のモブペンなんか遠慮なく使って、好きな未来を描けばいいよ」


 伝え終わった瞬間。

 視界が消し飛び、閃光に包まれた。


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