第4話 みら井さんの未来
私の苗字を名乗る今井さんという戦闘力が十万はありそうな存在との遭遇から早一週間。
私の挙動はすっかり不調をきたしていた。
ぐちゃぐちゃの情緒を整えるために言葉で自分に説明してみると、みら井さんを直視できない。ついでに同じ顔の今井さんのこともまっすぐ見れないでいる。せっかく隣の席だっていうのに。
変だな。最近はずっと、今井さんの冷徹ブリザードとみら井さんの尊さ上昇気流で生まれた温度差が冷水風呂とサウナの役割を果たし、私の脳内は完璧にととのっていたっていうのに。推しのギャップが健康に良いのは確かだったんだけど。
精神ガッタガタだから推しを眺めることで回復させようとして、あの時のことを思い出してダメージを受ける。平常心を保てないせいで推しを摂取できず、さらに精神がガッタガタになる。まさに悪循環。見事に視界を封じられてしまった。
どうにかせねば。今井さん欠乏症で渇きが収まらない。今井さんから香ってくる甘くてふわっとしたいかにも女子高生って感じの芳香がなければ今頃私は干からびていたことだろう。ありがとう今井さんの体臭。特に体育後の運動着を脱ぐ瞬間の混じりけのない玉のような汗が放つ
空気中の今井さん成分で何とか生命を維持している私は現状を打破すべく、昨日から必死に考えていた。そしてようやく思い至ったのだ。
もしかしたら、みら井さんの言動が理解できないから、余計に振り回されてるんじゃないだろうかと。そうだ。予測できないから身構えれなくて余計なダメージを負うのだ。
すべてに納得がいけば、いま私が受けてるスリップダメージも消えるはず。
手始めに、今井さんが私の苗字をテスト用紙に書いちゃう合理的な理由でも考えてみようか。
うーん、シンプルに考えればみら井さんが実際に『加茂澄香』になったっていう可能性だけど。それは今井さんが
ない……けど。今井さんが私の妹とか、正直めちゃくちゃクルな。だって想像してみてよ。自宅で無防備に薄着の今井さんに上目遣いで「お姉ちゃん」とか呼ばれてみ? もう一生を妹に捧げるシスコンに堕ちても悔いはないよ。今井さんに貢ぐためだけに馬車馬のように働くこと間違いなし。この妄想だけでご飯三杯どころか藩の年貢だって賄えますわ。
思考が脱線し、私が妹のパターンが七十四通りに分岐しそのうち六通りが相互依存
「はーい。じゃあもうどうにもなんねえから、とにかく明日、ぜんぶやってみよう。
と、委員長がやけくそ気味に手を叩いた。
そういえば今は文化祭の出し物を決める時間だったっけ。何も聞いてなかったや。黒板がすごいことになってるから、ぐだぐだだったことだけは伝わってくる。
どうやら皆のやりたいことがバラバラ過ぎて決まらなかったみたい。そこで発案者達に簡単な実演をさせて、一番良かったやつに決めるつもりなのだろう。
なんか大変そうだなぁって目を逸らそうとして……これだと
上手く利用すれば、みら井さんの考えてることが分かるかも。
☆ ★ ☆
翌日、私は大きなローブを被って顔を隠し、水晶玉の前に座っていた。
「最近肩が凝ってはいませんか?」
声を作ってゆっくりと厳かに告げる。場所は教室の隅っこ。後ろは閉めたカーテン。薄暗さを感じるなかに微かな逆光があり私の表情は相手から見えないことだろう。この
「ど、どうしてそれを……?」
クラスメイトの
「気の
「なるほど。や、やってみる」
というわけで、私は占いを実演していた。
発案は私じゃなくて私の友人の
私がこんなことをしているのには歴とした理由がある。占い師とは人の秘密を暴いてこそ。扮してしまえば踏み入った話もしやすいだろう。情報収集に占い師は最適である。
顔を隠して裏声出してるから私だと簡単にはバレないのもいい。けど普段出さない低い声で喋らないとだからちょっと恥ずかしかったりする。
といっても、周りも私に負けず劣らずおかしな様相を呈してるから、浮いたりはしてないんだけど。
さぁさ御覧なさい。これが極限まで青春を爆発させた女子高生たちの
焼け
もう何が何やらなカオス状態。みんな自分のやりたいことを最大限に主張し合っている。先生、よく許可だしたよね。事なかれ主義って突き詰めると罪作りだなぁ。
そしてこの変な恰好でごった返した教室内で、私の占いはわりと評判が良い。それもそのはずだ。皆の悩みや不調はだいたい把握しているのだから。上手い具合に相手の望むことをさも占ったかのように語ってみせれば信用が得られるのである。
なぜそんなことができるのか不思議に思うかもしれないが、私にとっては当然のことだ。私の観察眼が推しにだけ作用すると思ったら大間違い。
私は性癖オールラウンダー。言うなれば老若尊卑体型人種容姿問わず、女性人口のほぼすべてが私の守備範囲なのだ。
私はその子の性格がクソでさえなければ、どんな相手どんなシチュでも性癖をくすぐる何かを見つけ出して興奮できる自信がある。つまりクラスのみんな私の
誰も私の目から逃れることはできない。私の性癖については、部屋をどれだけ綺麗にしていても湧いて出る
そんな私の今日の本命は決まっていた。
みら井さんの友人はみんな博愛パリピ陽キャ。占いの類は大好きなはず。普段はグループが違うから接触できないけど、こういうお遊びだったら壁はない。彼女達からみら井さんの様子をそれとなく聞き出せれば──。
そんな私の思惑を飛び越えるように、私の対面に座る少女が。
「えっと、私もいい? 園崎さんと話すの初だっけ、今井です」
「
「大丈夫!? 咳き込みかたが奇抜だけど!?」
「だっ……、大丈夫デすヨ〜。コれは伝統の気合注入方法を実戦しただけデすのデ。ファイト〜いっぱーい」
「その注入方法絶対やめたほうがいいと思うよ!?」
まさかの本人登場につい動揺してしまった。上手く誤魔化せてよかったよかった。
いや良くないよ。どうしよう。ていうかあの
というか、なぜ彼女がわざわざ?
「えっと……。今井さんって占いとか興味ないタイプかと思ってたんだけど」
真意を探るためにそんな印象を素直に話す。確か今井さんはお化けとか占いとか、そういうの信じてない人だったと思うんだけど。
私の問いにみら井さんは思案してから、困ったように眉を下げて笑った。
「もともとはそうなんだけど。最近ちょっと不思議な現象を体験してて。だからこういう占いとかも馬鹿にできないかなぁって。ははっ、何言ってるか分からないとは思うけど」
分かりますとも。そりゃ未来から来てるんだから不思議も実体験ですわな。
にしてもう~ん推しの照れ笑い可愛い~。細かいこと全部どうでもよくなる~。ちょと張り切っちゃおうかな。どんな悩みも私が解決してみせましょうとも!
「では何を占いましょうか」
本来の目的を忘れない範囲でウキウキしつつ仕事を始める。
「じゃあ、私の未来を」
お? 今井さんの未来はみら井さんでは? どゆこと?
「もう少し具体的にお伺いしても?」
「私ね、やらなくちゃいけないことがあるの。私がそれを達成できるか占ってほしい」
「ほう。それはどのような」
「簡単に言うと、未来を変えたいんだ」
「それは……まるで未来を見てきたような物言いですね」
「そうかな? うん、そうかも」
「では、未来が変わるように動くのは簡単では?」
知っているなら占うまでもないですよと言ってやれば、みら井さんはなぜか首を横に振った。
「過去ってね、簡単には変えられないんだ。侮れないんだよ歴史の修正力って。あれはね、ほんの些細な改変すら許容してくれない。とても頑固な相手なの」
みら井さんはふっと力なく笑い、私の──厳密に言えば園崎さんの──水晶玉を指差す。
「私がここで何を話そうと、それは本来あったはずの会話の記憶に書き換えられるんだ。水性ペンで書いたみたいに、私の残した不純物は洗い流されてなかったことにされて、すぐこの水晶玉みたいに透明に戻るの。私が何をしたって必ず上書きされて、どこかで辻褄が合うようにできてる。園崎さんも、この会話のことなんかすぐ忘れちゃうよ。修正を受け付けない油性ペンでいられる人って本当に珍しいみたいなの。変化を覚えてられるのも、変化を残せるのも、ほんの一握りだけ。私はその一握りじゃない。何も書き残せない、水性ペンでしかないみたい」
みら井さんが寂しそうに水晶玉を撫でるから、他の人にはあんなにペラペラ口をついて出ていた気の利いた言葉が、何も言えなかった。
「ねぇ園崎さん。
「えっ? き、聞いてませんが」
急に私の名前が出てきて危うく地声が出るとこだった。うわずった声で答えるとみら井さんがほっと息をつく。
「そう。じゃあ、まだその時じゃないってことだね。確認出来てよかった」
みら井さんの語る意味は何一つ理解できない。けど……誰も今井さんがみら井さんになってることに気づいていないことには合点がいった気がする。みら井さんはもう占いから興味を失ったらしく席を立とうとする。私は反射的に彼女の腕の裾を掴んでいた。
「あのっ、今井さん」
違う。この人は最初から占いが目的じゃなかった。
けど私はいま占い師だから。
「難しいことはよく分からないけど、きっと上手くいくと思います。水晶玉もそう言ってます。だから──」
あなたはすごく努力できる人だから。運動も、勉強も、人付き合いだって、今井さんは人一倍頑張っている。だからこそ、あなたは私の推しなんだ。
なんてことは軽度のストーキングと呼ばれても言い訳できない観察行動がバレるから言えないけれど。せめて手をぎゅっと握ってエールを送る。
そんな無言の励ましもほんの欠片くらいは届いてくれたのか、みら井さんは驚くように見開いていた目を細めて、ふにゃっと顔をゆるませた。
「ありがとう園崎さん。高校時代にあなたと話した覚えはないから、きっとこの時間はなくなっちゃうんだろうけど、お話できて良かったよ。ちょっと気持ち、楽になった」
手を軽く振って、みら井さんは友人たちの輪に戻って行った。残された私は対面に手を伸ばした体勢でフリーズしたまま。
(ほっ────ほぁぁぁぁぁあああぁぁぁああぁあぁあ!!)
網膜を焼く尊さとか推しに自分から触れてしまった罪悪感とか脳内を回り続ける優しい声とか。そのぜんぶが、明確な言葉にしてしまったら駄目な気がして、私は頭の中を無意味な絶叫で塗りつぶした。
水晶玉に手をかざして昇りつめて来る色んな感情をそこに逃がし込めんとする。そうでもしないと胸の内に潜んだ青春が爆発しそうだったから。
その鬼気迫る様子は魔王を降臨させんとする暗黒魔術師にしか見えなかったらしく、序盤の好評さとは裏腹に文化祭の出し物に選ばれることはなかった。
ちなみにあまりの気迫に水晶玉にひびが入り、戻って来た
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