セマザサ族の刺繍

くれは

雪の山

 雪の朝

 生まれる

 守り名 雪の山

 全てを覆い隠す大きな手を持つ

 しっかりした足を持つ




 セマザサ族が生まれると、布が用意される。黒く染められたその布に最初に刺繍されるのは、生まれた日のことだ。最初の刺繍は布の端ではなく真ん中に施される。

 だから、その布を見るときはまず布の中央を見る。そこに「生まれる」ことを意味する刺繍の模様がある。この布の記録の始まりだ。


 雪の模様、朝を意味する模様、そこに「生まれる」の模様が並んでいる。この布の持ち主は雪が降っている朝に生まれたらしい。

 守り名というのは、普段呼び合う名前とは別に、その人を悪いものから守るための名前だと言われている。真名というものに考え方は近いのかもしれない。もっとも、守り名は秘密という訳ではないようだ。

 この布の持ち主に出会ったとき、最初に「雪の山」だと名乗られた。それが守り名だった。出会いを懐かしく思い返す。セマザサ族は、悪い精霊と対峙する時に守り名を名乗るのだという。未知のものは、悪い精霊の可能性もある。だからつまり、私はあの時この布の持ち主である雪の山にとても警戒されていたということだ。

 セマザサ族の中に守り名を与える役目の人がいる。その人が生まれた子供と相性の良い精霊を見出して、その名を借りるのだという。




 深い雪の日

 雪の山は強い

 大きく立派になる




 生まれた日の刺繍を、生まれてから間もない頃の刺繍が囲んでいる。セマザサ族のこの布は、その人が生まれてからを全て記録する日記のようなものだ。生まれて間もない赤ん坊は弱い。親は子が健やかに大きくなることを祈って、刺繍を増やす。

 その祈りの模様は生まれた日の守り名を取り囲んで、まるで守っているようだ。強くあれ、大きくなれ。その模様からは、子供が死なないようにと願う親の声が聞こえてくるようだった。




 赤い星の夜

 雪の山の体に入り込んだ悪い精霊は去る

 雨が降る

 この雨は雪の山を助ける雨

 雪の山から悪い精霊は出てゆく

 雪の山は強い

 また一層強くなる




 悪い精霊を表す刺繍は、上から黒い糸でその体を切り刻んで隠すように別の模様が縫い付けられる。これは悪い精霊を封じる意味があるらしい。上から別の模様を刺繍しないでいると、悪い精霊は布から抜け出してまた悪さをすると言われている。

 悪い精霊は人の体の中に入り込んで悪さをする。悪い精霊のせいで、人は熱を出したりあちこち痛くなったりうなされたり、ひどければそのまま死んでしまうのだという。

 それで、こうやって布に悪い精霊を封じ込める。

 悪い精霊を封じ込めた後は、他の精霊の力を借りるための刺繍を増やす。ここでは雨の刺繍が施されているが、この日に実際に雨が降っていたのだろう。こういった自然現象は、精霊がその力を与えて助けてくれるためのものだと考えられている。そして、その周囲に強くあれと祈る模様が並ぶ。

 悪い精霊は何回も登場した。その度に封じられ、他の精霊が力を貸してくれる。

 そうやって辿ってゆけば、あるところから拙い刺繍が並ぶようになる。これは、本人が刺繍できるようになったということだ。こうやってこの布は、親から本人へ渡される。

 ここまでは親が子を守っていたが、これ以降は自分で自分の身を守らなくてはいけない。そういうことだ。




 星の川渡りの日

 チェタ 捕まえる

 アテの花 摘む 飾る

 川渡りの踊り

 精霊の光 悪い精霊を流せ




 布を譲り受けたばかりの子は、まずは自分の知っている世界を布の上に刺繍で写し取ってゆく。

 星の川渡りというのは、セマザサ族の祭祀、つまりまつりだ。チェタと呼ばれる鳥を捕まえ、アテの花で飾って放つ。そうすることで、悪い精霊がチェタを追いかけて出てゆくのだという。チェタを追いかけて空に向かった精霊は、夜になれば星の川に流される。それを見張るために夜通し踊る。

 そうやって、悪い精霊を追い出して平穏を願うまつりなのだろう。


 刺繍として残すのは、こういったまつりなどの出来事だけではない。何気ない日常の出来事も残される。特に自分の布を受け継いだ直後は、毎日のように様々な刺繍が増えてゆく。その日の天気、咲いた花、風の強さ、見かけた生き物。

 そうやって綴られる日常は、布を受け継いだばかりの子供たちが刺繍に慣れるためのもののように思える。子供はその日に見かけたものを刺繍の模様として縫い付け、どう縫えば良いのかわからないものは家族に聞く。そうやって、セマザサ族の刺繍の技は受け継がれているように見える。

 そして、その刺繍は彼らが生きる世界をこうやって私にも伝えてくれている。彼らが自分たちを取り巻く自然をどのように見ているのか、何を美しいと思い、何を善しとして、何を悪いものとみなすのか。

 こうやって刺繍を辿りながら、私は彼らの視線を想像することができる。




 チッタが実った日 雨の日

 アテの木は精霊が連れていった

 悪い精霊はアテの木に近付けない

 アテの木は強い

 強いから精霊に呼ばれた

 悪い精霊はアテの木の魂を運べない

 アテの木は強い 優しい




 辿々しかった刺繍も、内側から外側に辿っていけば、拙さが減ってゆく。布から伝わる世界がますます豊かに感じられるようになってゆく。

 ここで「アテの木」と呼ばれているのは、どうやらこの布の持ち主の祖母に当たる人らしい。精霊が連れてゆくというのは、死のことだ。話を聞いた限りでは、「アテの木」は悪い精霊に連れてゆかれるような死ではなく、穏やかな死を迎えたようだ。

 身近な人の死を自らの布に刺繍するのは、精霊に連れてゆかれたその人もまた精霊になって自分を守ってくれるかららしい。そのために、その人の魂が悪い精霊に連れていかれないように、悪い精霊を自分の布に封じ込める。そして、その人がどれだけ素晴らしい人だったかを語り、強い精霊になるように祈る。

 悪い精霊に連れてゆかれるような死だった場合にも、悪い精霊を布に封じ込める。そうやって、その魂が解放されるように祈る。そうすることで、悪い精霊から逃げ出すことができた魂は、正しく精霊に連れていってもらえる。




 マガレの夜

 雨が降って芽吹く

 陽の光が花を咲かせる

 風が吹いて実を結ぶ

 女は腹に子供を抱く

 増えよ増えよ増えよ




 マガレの夜の刺繍は決まっている。それは豊穣を歌う詩だ。月に一度、マガレの夜が訪れる。その日に男たちは、目当ての女のところにやってくる。

 男たちがかち合えば、そこでどちらが女を呼び出せるかマガレ・チャグが始まる。マガレ・チャグは言ってしまえば男どうしの喧嘩だ。喧嘩、と呼んでしまうと誤解する人もいると思うが、その内容の微妙さは私も完全に理解できていないので、正しく説明することができない。

 そしてマガレ・チャグによって勝者が決まると、今度はその結果を見て女が男を選ぶ。大抵の場合、女はマガレ・チャグの勝者を選ぶようだが、いつも必ずそうなる訳でもないらしい。この辺りの微妙さも、私には理解が難しいところだった。

 もしかしたら女の方ではあらかじめこの男と定めているのかもしれない。けれども、そういう場合でも複数の男が訪れたらマガレ・チャグをしなければならないらしい。

 この布の持ち主はマガレ・チャグで勝者になり、無事に女に選んでもらえたようだ。相手の女の守り名、その女の体の美しさ、自然の営みの豊かさが、独特の模様で綴られている。マガレに関する模様の連なりはほとんど決まりきったパターンがあり、この布の持ち主である雪の山もそれに沿って刺繍をしているだけだ。それでも、マガレの刺繍はたくさんの刺繍の中でも、くっきりとその存在を主張する。それは、生命の喜びのようなものだ。




 セイシャの花が咲いた日

 外からきた者との対話

 悪い精霊ではないだろう




 刺繍を辿ってゆくうちに、私自身が登場する箇所を見付けてしまい、ふと手を止める。当然のことながら、初めて顔を合わせたとき、私はとても警戒されていた。

 それでも、この土地で共に暮らし、彼らに学ぶうちに、少しずつは信用してもらえるようになったのだと思う。私自身も布をもらって、彼に刺繍を学ぶようになった。私が手を動かさなければ、雪の山はきっと刺繍の意味を教えてはくれなかっただろう。

 彼に教えてもらったから、私はこうして雪の山の布を読み解くことができる。この行為は研究のためのものだが、それだけではない。彼は信用できない外からきた者である私と対話し、その後も様々な面倒を見てくれた。その感謝だけでもない。彼はこの土地での私の父親のようなものだ。

 もっともセマザサ族の場合、家の中にいるのは母親とその家族で、父親はいない。男親というものに対する感覚が、私とは違いすぎた。だから私の「父親のよう」という言葉の微妙なニュアンスは、雪の山には最後まで伝わらなかった。


 私は、自分の布を広げ、そこに刺繍を始める。




 アテの花が咲いた日

 雪の山は精霊が連れていった

 悪い精霊は雪の山に近付けない

 雪の山は強い 優しい 賢い

 だから精霊に呼ばれた

 悪い精霊は雪の山の魂を運べない

 雪の山は強い 優しい 賢い




 私の布に、雪の山の守り名を縫い付ける。雪の山の魂を狙う悪い精霊を封じ込め、雪の山が正しく精霊に連れてゆかれるように。そして、雪の山が強い精霊になるように、私の拙い語彙でありったけの刺繍をする。




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