日記めぐり

吉岡梅

第1話

会社から帰宅したしのぶのスマホがポロリンと鳴った。


きなこな:

突然すいません。きなこなの妹です。しのむさんにお渡ししたい物があるので住所を教えていただけないでしょうか。


ネット上のみで交流がある「きなこな」さんからのメッセージだ。かれこれ3年ほどやりとりしている。が、妹? 住所? すいませんと言われても突然すぎる。きなこなさんのイタズラだろうか。ありうる。だが、こんな唐突な事を言いだすだろうか。忍は探り探り返信した。


しのむ:

どういうことでしょう。きなこなさんに何かあったのですか。


きなこな:

姉は事故で他界しました。遺品を整理していたところ日記が出て来まして、しのむさんに受け取っていただきたいのです。


忍はスマホを握ったまま絶句した。きなこなさんが事故。しかも亡くなっただって? あの愉快な人が。嘘だろ。しばらく呆然としていたが、なんとか返事を返した。


しのむ:

すみません。急な話で驚いてしまって。では、近場でしたら僕の方から伺わせてください。こちらは静岡市在住です。土日なら都合が付きます。


きなこな:

静岡ですか。わかりました。では、静岡駅で待ち合わせという事でいかがでしょうか。


どうやら妹さんも静岡近辺に用事があるらしい。日程と時間を決めスマホを机の上に置いた忍は、がっくりと項垂れて首を振った。


##


「しのむさん、ですか」

「はい。きなこなさんの?」

「はい。妹のさなみと申します」


駅に現れたさなみは、短かい髪を軽く押さえてぺこりとお辞儀をした。スーツ姿の忍も頭を下げる。さなみを連れて喫茶店に落ち着くと、紙袋に入れて持参した花を手渡し、もう一度頭を下げた。


「この度は、ご愁傷様でした」

「いえ、お花ありがとうございます。気を使わせてしまったみたいですみません」

「とんでもない。急な話で驚きました」

「ほんと、急、ですよね。……姉はよく、しのむさんの事を話してまして」

「僕のこと、ですか。」

「はい。私の描くイラストを気に入ってくれて、いろんなコメントをしてくれる面白い人がいる、って言っていました」

「そうでしたか。きなこなさんの描く絵、好きなんですよ」

「喜ぶと思います。それで、これなんですけど……」


さなみは1冊のノートを忍に手渡した。サイズはB5サイズ程。表紙には「食べ日記」と書かれている。


「これが日記。『食べ日記』、ですか。拝見してもいいですか」

「はい」


中を見ると、それはグルメ・レポートだった。見開き2ページを使い、店の簡単な地図に料理のイラスト。その感想やメモ書きが楽し気に描かれている。まるで雑誌のお店紹介コラムのようだった。


「これは、可愛いっすね」

「ふふ。はい。食べ歩き、姉の趣味だったみたいです。食べ歩くだけなので、『旅日記』でなくて『食べ日記』。まんまですよね。それ、姉のイラストが好きなしのむさんに受け取っていただければと思いまして」

「いや、嬉しいんですが、本当にいいんですか」

「はい。是非。姉は人付き合いが苦手だったので、仲のいい友達が少ないんです。その中でも良くお名前を聞いていたしのむさんでしたら、嬉しいと思います」

「では、いただきます」


忍は押し頂くようにして、日記をバッグにしまった。そこで緊張が解けたのか、ポツリと呟いた。


「……実は僕、好きだったんですよね。きなこなさんのこと」

「え」

「顔も歳も知らないのに変な話ですけどね、たぶん同年代くらいの女性かなって勝手に思ってまして。恋愛感情っていうか、そんな感じで」

「ああ、そういうこともありますよ……ね?」


さなみは相槌を打っているものの、明らかに戸惑っている。忍は慌てて手を振った。


「いやいや、すみません。気にしないでください。ついつい余計な事を。日記、確かに受け取りました」


誤魔化すようにぺこりと頭を下げると、顔を隠すためにコーヒーを飲んだ。


##


それからの週末、忍は「食べ日記」に描かれているお店を1件1件巡った。かつて彼女が行ったであろう店に行き、席に着くと日記を取り出す。


彼女が食べたであろう料理を注文し、食べる。ネット上だけの付き合いでは知らなかった友人の違った一面を追体験し、味わう。


店のレパートリーはさまざまだった。穴場的な定食屋もあれば、チェーン店のファミリーレストランもあった。カフェでパンケーキと言う時は少し気恥ずかしかったが、多くの場合、けっこうなチョイスで食べがいがあるメニューが多かった。きなこなさん、大食漢だったようだ。


とろとろの親子丼、たっぷりのポークステーキに焼きうどん、スパイスカレー。梅おろしそばにとろろ汁。かと思えばフレンチのコース料理に海鮮のお造り。


日記に添えられている感想コメントの通りのものもあれば、ちょっと違う感想のものも。


「お腹がいっぱいで食べられないけど、次はこれを狙いたい」とコメントが添えられている場合もあった。そんなときは覚悟を決めて胃薬を飲み、そちらも一緒に注文した。きなこなさん、すみませんね。僕、いただいています。と、忍はひとりほくそ笑みながら食事を楽しんだ。


週末ごとに1件、また1件と、日記を水先案内人としてお店を辿り、その写真と簡単な感想をTwitterで呟いたりもした。


きなこなさんが見ていたら、どんなコメントをしたかな。忍はそう考えながらスマホを操作していた。


##


そして数カ月が経ち、遂に日記の最後のページがやって来た。


日記に案内された最後の1件は、小さな洋食屋さん、といった雰囲気だった。これがラストかと思うと、何か緊張する。忍は妙に背筋を伸ばしてドアを開け、中に入った。


「いらっしゃいませ。ふらいぱんへようこそ」

「1名なんです……が」


忍はそこで言葉を止めた。目の前ではキッチンスーツに身を包み、セピア色のエプロンに調理キャスケットを被ったが微笑んでいた。


「きなこなさんの妹の……さなみさん?」

「ふふ、はい。本当に最後まで来てくれたんですね。お待ちしておりました」

「え? どういうことですか」

「ここ、私がやっているお店なんです。ちょうど前にお会いしたころから始めて」

「妹さんが。じゃあ、きなこなさんが最後に来たお店って、妹さんのお店だったんですか」

「ふふ、そうでもあるんだけど、ちょっと違うかな。しのむくん」


さなみは白い歯を見せて悪そうに笑うと、1枚の名刺を差し出した。


「は?」

「あらためまして、ふらいぱんのオーナーシェフ、くすのき小南さなみです」

「楠……小南。まさか!」

「ふふ、気づいた? 木南きなん小南こなん、ってわけ」

「えー! お姉さん!? いや、本人、きなこなさん!? どういうこと」

「あははは。正解。ごめんね。まあまあ、まずは席についてよ」


小南は入り口に「準備中」の札を下げて戻って来ると席に着いた。机に両肘をつき頬を抱えて忍の顔を嬉しそうに覗き込む。


「さあさあ、どこから話そう。しのむくん」

「うわー、本当にきなこなさんかよ。ウッソだろ」

「ふふふ。ごめんごめん。あの頃さ、このお店を立ち上げる時期でさ、こっちに注力するために、個人用のアカウントちょっと閉じちゃおうと思って」

「あー」

「それに、なんか変な奴に粘着されてたしさ」

「そういえばいたね。変に絡んでくる奴」

「そそ。でも、しのむくんとは長い付き合いだし、お店のこと知らせようかなって」


忍は胸の前で腕を組んで怒って見せた。


「そうだよ。水臭いな。長い付き合いだろ。一緒に覇王ミノッサムを屠った」

「あはは。まだやってる?」

「いや、もう時間なくて無理」

「そうなるよねー。でさ、知らせようかと思ったけど、なんか馴れ馴れしいかな、とか、宣伝みたいになってやだな、とか。あと、変なのに粘着されててちょっと人間不信みたいになってたとこもあって」

「いろいろめんどくさいな」

「ふふ。それで『食べ日記』なわけ。もしね、しのむくんが日記を辿って来てくれたら、その時は本当の事を言おうって」

「そうだったのか……。じゃあ僕は完全に掌の上で」

「フフフフ。見てたよ。食べTweet」

「やめて」

「『彼女もこのパイを頬張っていたのだろうか』。はい、頬張っていました」

「めちゃくちゃ楽しんでやがる……。もし僕が日記を辿らなかったらどうするつもりだったの」

「その時はさ、それまでの関係だったんだなってことで」

「ひどい」

「あはは。ごめんごめん。でも、結構励まされたんだよーあれ。なかなかお店が軌道に乗らなくて焦ってるときにさ、しのむくんの呟き見て和んだり。ささ、今日は奢るし。存分に食べて行ってよ。積もる話もあるだろうし、大いに語りあかそうじゃないか」


小南は立ち上がると、ワイングラス2つと1本のボトルを持って来た。


「くっそー。今日は食べてやる。なんだよもー。まあ、きなこなさんとまた会えたのは良かったけどさー。僕、花束まで持ってったんだぜ」

「あれ開店祝いの花に流用したよ」

「水増しに使ってるじゃねーか」

「ふふ。でも私も嬉しかったんだけどな。理由はともかく男子から花束貰ってさ、それでさ、私の事さ」

「あー……」

「何て言ったっけ? もう一度聞きたいなあ、しのむくん」


小南はグラスにワインを注ぎながら、いたずらっぽく忍を見る。


「……この度は、ご愁傷様でした」

「そっちじゃない方なんだけど。ま、とりあえず乾杯!」


忍は苦笑いしてグラスを受け取り、乾杯した。今度また花束を持って来よう。華やかで、楽しげな花束を。


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