シャロンが言うことには
飯田太朗
誰かが見てる
後数週間で聖夜という頃になると、帰省に向けて準備する子がちらほら出始めて、漏れなく私もその一人だった。親友のシャロンも帰省するようだったが、あの子は母子家庭で、しかもそのお母さんも病に倒れていて予断を許さない状況らしく、寮監のクーガン先生に一週間早く帰省休暇をもらえないか交渉していた。結果はどうも上手くいった……というより、学校側としてもシャロンのお母さんのことは懸念材料だったらしく、追加のレポートや課題なんかも一切出されず「自宅学習」の令が出たらしい。本来なら人より早く帰れるなんて浮き立ってしまうところだが、シャロンの場合は事情も事情だし、浮かない顔をしていた。私の日記に関する相談は、そんなシャロンへのプレゼントとなった。
大広間のテーブルで浮かない顔をしていたシャロンに、私は相談をもちかけた。
「誰かが日記を見てる?」
シャロンは顔を上げた。
「それって大変」
「でしょ」
「でも何でそう思ったの?」
私は丁寧に答える。
「私、いつも日記を書いたら机の端に、机の角と日記帳の角がぴったり合うようにして置くのよ。でもそれがずれてる」
「それだけじゃ誰かが机にぶつかったりとか……」
まぁ、色んな子が出入りする寮内じゃそういうこともあり得る。
「それと私、日記に栞を挟んでいるの。いくつもね。楽しい出来事があった日とか、思い返したくなるような出来事があった日とかに挟んでおいて元気がない時に読み返すの。でね、その栞、リボンがついてるんだけど、そのリボンが下になるようにしていつも挟んでいるの」
するとシャロンが首を傾げた。
「どうして? 普通リボンが本の上から出るように挟むものじゃない」
「尻尾みたいで嫌なのよ」
はぁ、とシャロンが息をつく。私は続ける。
「で、そのリボンがね、最近上になって挟まってるの」
「尻尾みたいに出てる?」
「ううん。リボンが折りたたまれてページの中に挟まってる。だから日記の外見だけ見ればいつも通りなんだけど、開いたら明らかに変」
「うーん、そっか。それは確かに変かも」
「あなたこういう不思議なこと解決するの得意でしょ。よかったら力を貸して」
「それはいいけど……」
と、シャロンが考え込んだところで声をかけられた。私の兄、トバイアスに。
「モニーク。帰省の準備は?」
「ほとんど済んでるわ」
「お母様から手紙が届いた。クイーンズクロスの駅まで迎えに来てくれるそうだ」
「あら素敵! ということは……」
「チャムニーが食べられる!」
本当に素敵! あ、チャムニーっていうのはお菓子のこと。クイーンズクロスの駅に本店があるの。
「じゃあ張り切って準備しなくちゃ。シャロン、また後で話しましょう」
「うん、後で」
そういうわけで、私はシャロンに日記の件について相談することにした。詳しい話はその夜にした。
*
「消灯時刻になったら談話室の明かりを消しますよ!」
寮長のジュリエットが口うるさく注意してくる。あの人自分の試験期間は規制を緩くするくせに。
談話室には私たちの他に駒遊びをしている男子のグループがひとつ。男子って同じ遊びを何百回やっても飽きないわよね。どうなってるのかしら。
トバイアスお兄ちゃんもさっきまで暖炉の前で新聞を読んでいたけどいつの間にか寝室へ行っちゃった。今談話室にいるのは私とシャロンと、男子のグループだけ。
「昼間に話していたこと以外に気になることは?」
日記について私の話を聞きながら、シャロンがすらすらとメモを取る。
「決定的なのがあるわ」
私は件の日記をシャロンに見せる。まぁ、彼女になら多少見られてもいい。
「これ。ページの隅の汚れ!」
私はダーレンと付き合うことになった日のページを示す。隅のところに、オレンジ色の染み。
「覚えがないのよね。まぁ、確かに私、厨房でお菓子を買ってそれを食べながら日記をつけたことはあるけど、大抵はチョコチップクッキーだし」
「あれあんまり美味しくないよね……」
「他のよりマシじゃない?」
「厨房で食べられるお菓子の中ではそれが一番私の口に合うかも」
「あーあ、私も早く五年生になってドゥリムンに行きたいわ」
五年生になると学校の近くにあるドゥリムン村への買い出しが許可される。お兄ちゃんから聞くところによるとチャムニーとよく似たお菓子が売られているお店があるらしい。
「そう言えばあなたの好きなチャムニーってどんなお菓子?」
シャロンに訊かれて私は答える。
「串に刺した丸いケーキをオレンジのシロップで固めたものよ。このシロップが外はこんがりで中はトロッとしててすごく美味しいの。あなたも今度クイーンズクロスで食べてみて!」
するとシャロンは困ったようにくすっと笑った。
「そうね。お母様の容態がよくなったら」
急に心臓が狭くなった気がして、私はシャロンの肩に手を添えた。
「お母さん、よくなるといいわね。高名な魔法使いなんでしょ? 大丈夫。きっと何か方法が見つかるわ」
「ありがとう」シャロンは今度は明るく笑って続けた。
「それで、日記のページに汚れがあったのね。他には?」
「ページがちょっとよれていたり、日記帳の角がちょっと傷んだりしてるの」
「落としたってことは?」
「私がノートの類をどう扱うか知ってるでしょ? ダーレンに『僕より本を大事にするんだね』なんて言われるんだから」
シャロンが笑う。それからちょっと考えるような顔になると、続けて訊いてきた。
「日記はいつも自分の机に置いているんだっけ?」
「そう。九号室の。私の他に、グレタ、それから三年生のジョイスと、ステラ。あとかわいそうなんだけど、一年生のスカーレットが一緒」
「うそ。一年生が同じ部屋にいるの?」
シャロンがくすくす笑う。
「居心地悪そうね」
「そうなの。いつも部屋の隅で小っちゃくなってるわ」
「かわいそうだよ。お友達になってあげたら」
「あの子妙に下に出るところがあるのよ。多分上級生の言うことなら何でも聞くんじゃないかしら」
ああ、そういえば、と私は続ける。
「スカーレットと言えば、彼女厨房に行くといつも西クランフ伝統のミルフィーユを頼んでるわ」
「それ、ジュリエットも頼んでるよ。今度こそ痩せるって言い張ってるけど……」
くすくす、と二人で笑う。すると噂をすれば、というやつで、いきなり寝室に繋がる階段の方からジュリエットの声がした。
「消灯します! 早く寝室に行きなさい!」
*
ダーレンが言う通り、私はとにかく本やノートを大切に扱うタイプなんだけど、どうしてかしら、男子ってそういうのをすごくぞんざいに扱うわよね。教科書やノートなんていつもぐちゃぐちゃ。あれじゃ勉強する気も失せちゃう。
なんて話をシャロンとした。彼女も男子の生態には多少興味があるようで(でも浮いた話がないのよね)、一緒に笑いながら話してたけど、私の兄もノートが汚いなんて話になるといきなり何か思いついたような顔になって、足を止めた。それから私に告げた。
「ちょっとスカーレットと話をしてくる!」
「あらどうして?」
「日記の件!」
「えっ、今ので何か分かったの?」
と私が訊くと、シャロンが言うことには。
「だって……簡単だもの」
「じゃあ私も行くわ!」
そういうわけで二人、一年生の授業がある大講堂の方へ向かった。ドアの前に着くとちょうど授業が終わった頃のようで、一年生の大放流だった。私たちはそこでスカーレットを捕まえた。彼女はびっくりした顔をしていた。
「ごめんなさい」
果たして、私の日記を盗んでいた犯人はスカーレットだった。彼女はじっと地面を見つめ、許しを請うように黙っていた。すると何故かシャロンが許した。
「いいの」
「ちょっと。いいかどうかは私が……」
「あなたが主犯じゃないものね」
続けて出てきたシャロンの言葉が聞き捨てならなくて、私は彼女に詰め寄った。
「私の日記を覗き見てた人がまだいるってこと?」
「日記帳、傷んでたんでしょ」
と、シャロンが視線を、木陰で教科書を投げて遊んでいる男子の方にやった。
「あんな風とはいかなくても、あなたに比べたら雑に扱ったのかもね」
「どういうこと?」
「男子があなたの日記に触れたの」
おぞましくて身の毛がよだつ。
「誰が?」
するとシャロンはスカーレットに訊ねた。
「スカーレット。あなた上級生の言うことは何でも聞きそうだよね」
彼女が委縮する。
「トバイアスさんに頼まれたんじゃないかな」
私はびっくりする。
「お兄ちゃんが?」
でも、でもそうか。お兄ちゃんの日記なんてあったら確かに気になるかも……ということは逆も然りで……。
「でも、何で一年生の女子に頼んでまで?」
「純粋に妹がかわいいんじゃない? 溺愛するタイプなんでしょ」
シャロンは困ったように笑った。
「ページの端にオレンジ色の染み。チャムニーの紛い物がドゥリムン村で売ってるのよね。それを食べながら見たのかも。で、開いたページが、妹に彼氏。ぽとっとチャムニー」
あり得る。あり得すぎて笑えてくる。
「スカーレット。例えそれが上級生の命令でも、人のものを持ち出すのはいけないことだよ」
彼女は萎れる。
「はい。でもトバイアスさんには、テストの過去問を貸してただけだって……」
「それでも持ち主に黙って勝手に持ち出すのは駄目。もう二度とやらないこと。後モニークは……」
シャロンがくすっと笑う。
「『お兄ちゃん! 見てるの分かってるんだから!』なんて書いておけば抑止力になるんじゃないかな」
「それ笑える」
二人でくつくつ笑ってから、スカーレットを解放する。
廊下で、私はシャロンに告げた。
「相変わらずお見事ね。あなた、卒業したら何になるの? やっぱり省庁関係?」
「ううん。私は事務所を開く」
「何の?」
「探偵」
シャロンが探偵事務所。なるほど繁盛するかも。
「じゃあダーレンが浮気してそうだったら依頼しようかしら」
「あの人嘘つくの下手そうじゃない?」
「確かに。でも男は信用ならないから」
そんな風に笑い合いながら廊下を歩いた。
聖夜まで、後少しの頃だった。
了
シャロンが言うことには 飯田太朗 @taroIda
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