うさにっき
いすみ 静江
デイジーより愛をこめて
私は、手紙を書き始めた。
親愛なる
今、朝陽が昇り、ベランダの向こうから、白とグリーンのお部屋をほかほかにしてくれるの。
私はね、机の引き出しから、赤い表紙の日記帳を出した所なのよ。
いつもは、夜なのだけれども、今日は、朝から日記を広げてみたわ。
ダイアリーの文字の下には、大好きな花の名前、デイジーと綴ってあるの。
名前も内緒にしたいけれども、誰のものか分からなくなるから仕方がないのよ。
生意気にも鍵をかけていたりするの。
だって、お兄ちゃんやママに見られたくないじゃない。
今時分、アナログだねと言われそうだけれども、私は、紙にペンが好きなの。
この国は、皆の知っている所なのよ。
遠くもなくて一番近い、海に囲まれた列島と言えば、もう分かるわよね。
佐祐さんは、聡明だからね。
クイズ好きのあなたに問題をプレゼントしちゃった。
さてさて、本日のモチモチ日記を記すね。
うさぎのモチモチはね、ほっぺたがぷにぷになのよ。
全身灰色の垂れ耳うさぎで、どこを触ってもふかふかで、いやーん。
お家をお散歩するのが大好きなトコトコうさぎさんよ。
佐祐さんにもモチモチと会って、一つ傘に入るような関係になって欲しいな。
なんて書いたら、お嫁さんになるようだわね。
照れてしまうから、お便りはここまでにしようかな。
てへ。
デイジーことひなぎくより。
「私が、モチモチ日記を始めたのは、彼を迎えたときからなの」
私は、独り言ちて、日記の表紙を捲った。
『モチモチ日記一日目。赤ちゃんうさぎさんが沢山いる中で、あなただけがキラキラとして見えました。周りよりも少し育ってしまったぽんぽんうさぎさんの尻尾をぴくりと動かして、撫でると頭に指の跡が残り、可愛らしさは特段でした』
「はあ、懐かしいな。佐祐さんと一緒に暮らしていても、中々子に恵まれなかったのよね。佐祐さんがペットを迎えようかと語り掛けてくれたのが先なのか、うさぎさんと暮らしたいと私がお願いしたのが先なのか、今では思い出せないわ」
溜め息をつきながら、日記を眺めて行く。
『モチモチは、最期まで、ほっぺたがぷにぷにとしていたのよ。ずっと撫でていたけれどもね、段々と硬直されて行った。縁側に出られる掃き出し窓からは、雪が見えた。モチモチは、この寒空でもお空へ階段をぴょんこぴょんと跳ねて行くのだろうか』
日記には、自分で挿絵を入れていた。
「うさぎのモチモチが幼かった日のこと、うさぎのモチモチがイチョウを食べた日のこと。彼女の二度と戻れない日々がここには沢山さん書いたり描かれたりしているのよ。恋しちゃった位大好きだったモチモチのことばかり心のアルバムに」
お手紙と日記を赤い箱に仕舞い、郵便局へと足を運んだ。
遠い国に暮らす佐祐さん宛てに、宅配便でお願いをして来た。
「今日、この日記を佐祐さんの暮らす国へ届けられるといいな」
◇◇◇
翌朝。
ベッドの中、薄紫のパジャマ姿で微睡んでいた。
「枕元に日記が? 昨日郵送したのに……。おかしいな」
風で日記がはためく。
「おはようウサ。ウサ語では、初めまして」
「も、もしかして。モチモチなの? モチモチが元気になったのね!」
いつもはのんびり起きる私が、がばりと体を起こした。
そして、いつもの椅子に腰掛ける。
「ごめんウサ。元気なのは少しの間だけウサよ」
「佐祐さんに、日記を見て貰えたんだね」
灰色うさぎが、ウインクをしてみせる。
「それは、勿論ウサよ」
「どうして、私の所へ来てくれたの?」
私は、モチモチの頭をそっと撫でた。
いつも通りに指の轍ができたりしない。
ふさふさのようで、そうではない。
モチモチは、お亡くなりになったままなのか。
「ママの好きな人が、病気で苦しんでいるのを伝えに来たウサ」
「な……。佐祐さんがご病気に?」
「残念ウサ」
「治るの? 治る見込みはあるの?」
モチモチに訊いてどうするのだろうか。
「それを確かめに行って欲しいウサ」
私は、自分の膝掛を見詰める。
「――私は、この通りだから、外の国での一人暮らしは辛いわ」
「ママ、体のことは仕方がないウサ。本当に好きだと思うのなら、文通やモチモチ日記ではなくて、傍にいて欲しいウサ」
哀しい想いで、膝にあるものを濡らしてしまった。
「それができたら、大切なモチモチの日記を贈って、私の気持ちを伝えたりしていないわよ」
「恥ずかしいことや心配なことを全て受け入れてくれる優しい人だったウサ」
ハッとして面を上げる。
「佐祐さんの声が聞えたの。呼んでいるわ――」
音を頼りにバックで少しだけ進んだ。
「こっちへと」
私は、掃き出し窓から、縁側に進む。
ガタリ。
片輪が外れた。
次の瞬間、激しい衝撃と痛みを覚悟していたが、不思議と感じなかった。
車椅子の大きな輪から、倒れている私が見える。
◇◇◇
「身が軽くなった気がするわ。ここは、どこなの?」
よく見ると、デイジーの花畑が果てしなく続く中にいた。
私の薄紫と、デイジーのそれが重なり合う様子に、背筋がぞくりとする。
足下にモチモチが丸くなっていた。
「どうなっているのかしら。あれは、佐祐さん!」
久し振りで嬉しくなり、飛び付いた。
「う……。久し振りだわ。懐かしい香りがするのね。夢でもないみたい」
洗いたてのシャツの香りが、私の心を擽る。
「もう、うさぎみたいに、ぴょんってできるようになったね。ひなぎくさん」
「そうね。不思議だわ。ここは佐祐さんの国なの?」
オランダとかだとチューリップのイメージがある。
「狭間の世界に入り込んでしまってね。異世界とでも表現するのかな」
「異世界! あ、モチモチもお話し上手になっていたし。いつからいたのかしら」
佐祐さんが、後ろに手を回して、さっと手前に出した。
どんな手品かと思ったら、びっくりだ。
「これはね、モチモチからのプレゼントだよ。僕が預かった」
「ええ? ママ日記って書いてあるわ」
私は、数頁読んだだけで、我慢できない位に込み上げて来るものがあった。
しゃがみ込んで、日記を膝に置くと、モチモチが乗って来た。
「もう、目がびしゃびしゃで、見えないよ……」
「いいんだよ、ひなぎくさん。我慢しなくても」
「佐祐さん、優しいよね。モチモチも優しいしね」
デイジーの花が風に舞う。
モチモチは、最初の頁、ママ日記一日目の所を開いて押さえていた。
花弁が落ちた所には、赤ちゃんのモチモチが、色鉛筆で描かれている。
『名前はどうしようかと二人で悩んだ後、ママが、モチモチしているのが可愛いからと命名してくれたウサ』
【了】
うさにっき いすみ 静江 @uhi_cna
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