救世観音、顕現せし。

烏目浩輔

救世観音、顕現せし。

 飛鳥の時代にかんのんの化身だと言われた男がいた。


 ある美しい娘が皇居の中を巡り歩いていると、うまの前に差しかかったところで急に産けづいた。はたして生まれたのは元気な男児であった。

 すると、西の方角より眩しい光が射して男児の誕生を祝った。

 男児はいちじるしく聡明であり、生まれし直後より言葉を発した。父や母の名をしっかと呼び、花や鳥の名をすでに理解していた。


 二歳になった男児は春の頃に東の方角を向いて合唱した。そうして清らかなる声でこう唱えた。

ぶつ……」

 つまるところ男児は仏にすると口にしたのだ。仏を心より信じてその加護を祈ったのである。

 すると、東の方角より眩しい光が射して男児をあたためた。


 三歳になった男児は他の童子とはたわむれず、平素から木々や草花を愛でるたちであった。特に松の葉を好んだ。

 花は美しく可憐に咲いても一時のものである。しかし、松の葉には永遠を生きる強さがあった。男児はその揺るぎなさに魅入られた。

 すると、北の方角より眩しい光が射して男児に命の美しさを教えた。


 七歳になった男児は気まぐれに仏教経典を百巻読んだ。しるされた内容に感銘を受けると、さらに経典百巻を手にして読みふけった。

 男児は善行の美徳を学び、いかなる殺生も忌み嫌った。

 人々にも不殺生を説いた。

 すると、南の方角より眩しい光が射して男児に慈しむ喜びを与えた。


 十二歳になった男児はあるとき眉間から突として光を放った。それは陽光のように力強い光であり、目を細めずにはいられなかった。人々はその光を前にして確たる思いを抱いた。

 男児はかんのんの化身に違いない。

 の人々を苦しみからう救世観世であるのだと信じた。


 このように幼い頃から特異な人物であった男児は、成長するにつれて人々の厚い信頼を得るようになっていった。いつしか国政をも任せられるようになり、冠位十二階や十七条の憲法を定めた。

 また、聡明な彼はひとところに人々を集めると、もの話を一度に聞いたのである。その話をすべて理解したうえで、おのおのに的確な助言を施していった。


 彼の真の名は厩戸王うまやとおうというが、四十九歳で死去したあとには、聖徳太子と呼ばれるようになった。『聖徳』は偉大な知者を意味し、『太子』は皇太子を示している。厩戸王の功績を称えて聖徳太子というそんしょうが後世になって贈られたのである。


 厩戸王の没後から一千五百年近くもの月日流れたが、彼の魂はいくとなく生まれ変り、元号を令和とした現在にまでり続けている。

 こんにちに至った厩戸王の魂ははらそういちろうという名を持つ。


 田原総一朗は『朝まで生テレビ!』という番組で、ほどいる個性的なパネラーたちの話に耳を傾けている。その話をすべて理解したうえで、各パネラーに的確に応じている。





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