仕事終わりのラーメン屋で

カユウ

第1話

 千円札を二枚、券売機に入れる。パッと注文可能なボタンの灯りがつく。灯りがついたボタンから、チャーシューメンと大盛りを押す。出てきた券とおつりを取り、先にカウンターに座っている係長の左隣に座る。カウンターに券を置くと、厨房から店員さんの手が伸びてきて、券を半分に切る。半分をカウンターの上に戻し、もう半分は厨房へ。これで注文完了だ。


「係長、ごちそうさまです。これ、おつりっす」


「ん?ああ、いらんいらん。とっときや」


 小銭を乗せた左手を差し出すも、係長に笑顔で拒否される。仕方なく、僕は小銭をジャケットのポケットに入れる。


「それにしても、大規模プロジェクトおつかれさん。お客さんからの評判も上々やって、こっちにまで話きとるよ。壱河くんが朝早くから夜遅くまでがんばったからやな」


「……あざっす。けど、僕なんて議事録書くとか作業スケジュールのリマインドするとかしかしてないんで。部長たち総出で対応した結果かと。それに朝早くから夜遅くまでって言いますけど、僕は係長より朝遅いですし、係長より夜早いですからね」


「そんなことないって」


 ごまかすように水を飲む係長を横目で見る。追い込みをかけようと口を開いたところで、厨房からラーメンが出てきた。


「お待たせしました。特製味噌ラーメンと、チャーシューメン大盛りです」


「わーい、待ってました」


 いつの間にか係長の右手には箸が握られている。小さく息をはくと、僕も箸を手に取る。


「いただきまーす」


「いただきます」


 係長の声につられて手を合わせる。それからしばらく、二人とも無言でラーメンをすすった。

 係長が次に言葉を発したのは、僕がそろそろ食べ終わるかな、という頃合いだった。


「私な、次は福岡のお客さんのプロジェクト担当するんよ」


「え、福岡って九州のですか?それにいくら係長でも六つものプロジェクトはおかしいと思いますよ」


「あ、言うてなかったっけ。三つはこの前終わったんよ。残り二つは課長に引き継ぎ中。で、体を空けて九州の福岡県のお客さん一本になる」


「なるほど」


「要件定義のためのヒアリングからやから、福岡に行きっぱなしになる予定なんよ。だから一本にせなあかんわけ」


「リモートじゃダメなんですか?」


「うーん、ダメってことはないけど、お客さんの空気感とか他のシステムの使い方とかを見たいからね。カメラに映らないものも意識したほうが、いいシステムになるんよ。大規模プロジェクトでもそうやったやろ?壱河くんがお客さんのところに行って、ヒアリングや現行業務を見せてもらって。システムの外側の業務も改善しないと意味がないんですって開発部長にくってかかったって聞いてるで」


「お客さんの期待感を見ちゃって、これでいいのかって思ったことを言っただけで……って、誰がくってかかったなんて言ってるんですか?」


「開発部長本人。次のプロジェクトの相談を受けたときにね、君の教育が行き届いている成果だってほめられちゃったよ。いやぁ、上司冥利につきるね」


「なんか、すみません。」


 係長は軽く肩をすくめると、コップに残っていた水を飲みほした。少し間があいてからカウンターの上に置かれたピッチャーに手を伸ばし、空になったコップに水を注いだ。


「で、な。あんな、その、あの、えっと」


「どうしたんですか?」


「いや、うん、えっと、だから、その」


 言い淀む係長を気にしつつ、残りの麺と、どんぶりの底に沈んでいた最後のチャーシューを食べる。


「……私と一緒に福岡に行ってくれへんか?」


 僕がスープを飲みほした直後、係長の口から意味のある言葉が紡ぎ出された。水の入ったコップを持ち、いっきに飲み干す。


「それは、係長からの業務命令ですか?」


「ううん、ちゃうよ。これは私の、篠守しのかみ舞依まいから壱河くんへのお願いや」


 係長の視線を感じる中、口を開いては言葉が出ずに閉じることを繰り返すこと数度。


「係長、食べ終わったんで出ましょうか」


 厨房にごちそうさまと告げて、僕は先に立ち上がる。ラーメン屋の外に出て、入口から少し離れたところまで移動すると、係長もわたわたしながら荷物を持って出てきた。係長は僕の前で立ち止まると、不安そうな表情で見上げてくる。


「係長。いえ、篠守先輩。ぜひ、福岡にご一緒させてください」


 僕の言葉に、ぱあっという効果音が聞こえそうなほど係長の表情が華やいだ。僕が入社してから5年間同じ部署で働いているが、初めて見るうれしそうな笑顔だった。僕の見間違いでなければ、篠守先輩の顔や耳が赤くなっている。そう思ったとたん、僕の顔がかあっと熱くなる。


「ほんまに?ええの!?」


「はい、篠守先輩のお願いに応えたいんです。一緒に行かせてください」


 念押しとばかりに確認してくる篠守先輩に、僕も笑顔を見せる。週明けの月曜日、福岡のプロジェクトについての共有をしてもらうことを約束してから、篠守先輩と別れて帰路についた。

 家の近くにある桜並木にさしかかったとき、普段よりも早く咲いた桜の花が目に入った。


「あ、阪上先輩に転職の辞退の連絡しなきゃ」

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