ラジオ

砂鳥はと子

ラジオ

 真夜中に聴くラジオは何だかとても贅沢で満たされた時間をくれる。


 明かりを消した部屋、カーテンの隙間から零れる満月の光、窓辺のラジオ。


 これだけで特別な空間になる。


 ラジオは午前0時の時報を告げ、ギターが奏でるゆったりとした曲が流れてくる。


『こんばんは。今日も「シロの音楽散歩」の時間になりました。パーソナリティのシロです。みなさん、この一週間、どのように過ごされてましたか?』


 聞こえてきたのは、春の陽だまりのような優しく穏やかな声。私は毛布にくるまって、その声に意識を集中する。


『そろそろ桜が咲く時期になりましたね。私が勤めている会社のすぐ近くに公園があるんですけど、そこの桜の蕾もだいぶ膨らんできました。来週にはもう咲いていそうで、開花が待ち遠しいです』


 私の脳裏には少し古びた会社のビル、隣りの公園、大きな桜が浮かぶ。


 そして大好きなシロさんの顔も。


『本日の一曲目は桜をテーマにした曲を選びました。それではお聞きください――――』


 ラジオから今の季節にぴったりで、それでいて少しマイナーな曲が流れ出す。私は満開になった桜の情景を思い浮かべながら、目を閉じた。

 

 

 シロさんこと白野しろの茉耶夏まやかさん。


 私の四つ上の会社の先輩で、社内のムードメーカー的存在。


 彼女の春の太陽みたいな明るさは一緒にいるだけで心が癒やされたし、誰にでも気さくで人と話すのが苦手な私でも話しやすい人だった。


 そんなシロさんは高校、大学は放送部に所属していて、話すのを得意にしていた。


 それが社長にも伝わり、地元のコミュニティFMでうちの社がスポンサーになっている番組のDJに抜擢された。


 元々は他の人が担当していたのだけど、その人が故郷に戻ることになり、その代打に選ばれたのがシロさん。


 当初は次の担当が見つかるまでの予定だったのに、シロさんの喋りが評判がよく、局から音楽番組のパーソナリティを打診された。


 結果として最初の番組は他の人に譲り、今は土曜深夜の冠番組「シロの音楽散歩」を担当している。


 数あるラジオ番組でも一番のお気に入り。


 好きなところはたくさんある。まず選曲がいい。シロさんは音楽が好きで、好きだからこそあえてマイナーな曲を選ぶ。


 多分誰もが知ってる有名な曲はそんなにかからない。だからこそ新たな音楽を発見する楽しみがある。


 かかる音楽も多彩で、ポップスもあれば、時にはクラシックがかかることもあった。ジャズやボサノバ、イージーリスニング。色んな曲がかかる。それでいてごちゃごちゃした印象がなく、どれも「音楽散歩」に相応しい選曲になっている。


 シロさんの日常に密着したトークも好きだし、何より私はシロさんの声と、シロさん自身が大好きだ。


 この好きは人として、先輩としてじゃなくて、多分恋だということは私だけの秘密にしておく。


『本日もメールいただいております。みなさん、いつもありがとうございます。今日の一通目は、ラジオネーム・ブランコさんから。先々週もブランコさん送ってくださいましたよね!』


 自分のラジオネームが読まれて、私は恥ずかしさに枕に顔をうずめる。


 たまにこうしてメールを送っているけど、何度読まれても恥ずかしい。


 好きな人に自分のメールを読まれる嬉しさと恥ずかしさがないまぜになって、私の頬を熱くさせる。


 ちなみにラジオネームのブランコはあの公園にある遊具ではなく、スペイン語で白という意味。もちろんシロさんにあやかってだ。


 私はシロさんが自分の送ったメールを楽しそうに読んでくれるのをしっかり噛み締めながら、ラジオを見つめていた。


 今日は市内の新しくできたカフェに行きたいけど、おしゃれすぎて気後れするっていう、他の人からしたらどうでもいいことを書いて送った。


『私も分かるなー。おしゃれなお店って、お客さん側もそれなりにおしゃれじゃないと入っちゃいけないんじゃない? って思うんだよね〜。私、入ってもいいのかなって悩むよ〜。めっちゃブランコさんの気持ち分かっちゃう』


 いつでもさらりとおしゃれなシロさんが同意してくれて、ちょっと申し訳ないような、伝わって嬉しいような複雑な気持ち。


『対策としてはまずは友だちとか、誰か仲のいい人を誘って行ってみるのはどうかな? 一人だとハードル高いけど、一緒に行ってくれる人がいたら、入れそうじゃない?』


 私はラジオの前でなるほどなと頷く。


 確かに一人より二人の方が断然行きやすい。


「シロさん、私と行ってくれますか?」


 つぶやいても、当然電話じゃないのだから本人には届かない。


『私ならまず友だちとか、あとは仲のいい後輩誘うかなぁ』


「その仲のいい後輩に私は含まれますか?」


 答えは当然返って来ない。


『そんなブランコさんにはこの曲を。個人的にカフェで流れていたら嬉しい一曲です。ではお聴きください――――』  


 私は私のためにシロさんが選んでくれた曲を聞き逃すまいと、ラジオに集中する。


 リアルではなかなか距離を縮められない分を、私はラジオで満たしているのかもしれない。



 

 

 月曜日。バス通勤の私は会社の向かいのバス停で降りる。歩道橋を渡り、会社の前まで来たところで、駐車場が目に入った。


 いくつも並ぶ車の中にミントブルーの軽自動車が視線を引き、そこからちょうどシロさんが降りるところだった。


「おはようございます、シロさん」


花蓮かれんちゃん、おはよう!」


 私が駆け寄るとシロさんがにかっと笑顔を見せる。


 シロさんは社内でもみんなからシロさんと呼ばれてるので、私もそう呼んでいる。


 おかげでシロさんと呼ぶことで「音楽散歩」のヘビーリスナーばれすることがないので、あだ名として浸透しててよかったと思っている。


「今日は随分暖かいですね、シロさん」


「だねー。これは桜が今週中に咲くかな? またみんなでお花見行きたいね」


「はい!」


「その前に花蓮ちゃんを誘いたいところがあるんだけどね」


「私をですか?」


 急に何だろうかとドキドキしてくる。


 シロさんがどこかに私を誘うことはたまにあるけど、しょっちゅうあるわけでもないので、喜び踊りたい展開だけど、なるべく平静に、平静に。


「うん、そう。駅の南口に新しくカフェがオープンしたでしょ。花蓮ちゃんと行ってみたくて」


「南口の、ですか」


 そのカフェはまさに私がメールで「おしゃれすぎて気後れする」と書いたカフェだ。


 カフェなんてそんなぽんぽんできるわけじゃないから、そこをシロさんが選んだのは偶然なんだろうけど。


 そしてその日のお昼にランチをしに、私はシロさんと駅の南口に向かった。会社からは徒歩五分ほどで行ける場所にある。


「着いたよ、花蓮ちゃん」


「着きましたね」


 私たちは南欧風の真新しいカフェの前にいた。外から見るに、そこそこお客さんはいるようだ。


「ねぇねぇ花蓮ちゃん、ちょっと入るの緊張しない?」


「そうですね。緊張しますね、少し」


「でも二人だから大丈夫だよね」


 シロさんは私の顔を覗き込む。そんな無防備に顔を近づけないでほしい。


「入ろうか」


 私はシロさんにしっかり腕を組まれて、お店の扉をくぐった。中では音楽がかかっていて、これがまたシロさんが選曲しそうな曲だったりして、なかなか雰囲気がいい。


 私たちは奥の庭に面した席に通された。


 咲いたばかりのチューリップが見えて、柔らかな光が差し込んで、特等席とも言える。


 二人で向かい合って座り、私たちは同じメニュー、日替わりランチとコーヒーを頼んだ。


「このお店の空気感好きだなぁ。花蓮ちゃんはどう?」


「私も好きです」


「いいよね。今日のさ、お店よかったら⋯⋯、いや何でもない」


「???」


 何か言おうとしてやめたシロさんが気になるけど、それ以上答えてくれそうもなかったので、私たちの話題は他のことに移った。



 

 その後、木曜日にもシロさんとランチに行った。コーヒーがすごく美味しくて、ランチだって申し分ない。値段もこの近隣のカフェに比べたら少し安めなのもいい。


 すっかり気に入ったので、これはまたシロさんのラジオに結果報告をすべきか。


 いや、具体的に書いたらブランコが私ってばれやしないか。


 週末の夜、私はラジオへ投稿するメールに悩んだ。


(取り敢えず、おしゃれなカフェに知人と行けましたって感じで書いて報告しようかな)


 私はスマホのメモ帳を開く。いつもここに投稿するメールの下書きをしているからだ。


 何気なく先週書いたものを読み返す。


 私がおしゃれなカフェに気後れした話が綴られていて、最後に「ラジオネーム・鈴木すずき花蓮」と書かれているのが目に入る。


(鈴木花蓮!?)


 本来そこにはブランコと書かれているべきところに鈴木花蓮と入っている。


(間違えて、本名書いた⋯⋯?)


 私は恐る恐る送ったメールを開く。


 そこにはやはりラジオネームは鈴木花蓮のままで。


(もしかして、やらかした?)


 

 私はメールを送れないまま土曜日の深夜を迎えた。0時を過ぎた真夜中の生放送。


 私は心臓をばくばくさせながら耳を傾ける。


『今週はカフェに行った話です。会社の可愛い後輩ちゃんと行ってきたんです。どんな後輩かと言うと、一緒にブランコに乗りたくなるような後輩ちゃんなんですよ⋯⋯って、どんな例えだって話ですけどね。でも本当にそうなんです』


 やはりやらかしたようだ。


 私だってばれないようにするために専用のメアドだって作ったのに。こんなやらかしをするなんて。


 あまりの恥ずかしさに私はベッドに撃沈した。


 でも何故だろう、ばれてよかったような妙な安堵感もある。


 ラジオの時間はこれからだ。

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