洗い流せるものではない

@candy13on

洗い流せるものではない

 洗濯って、楽しくない。

 作業は好き。

 でも、作業が終わった後のコトって嫌い。

 後片付けとか、お掃除とか。楽しくない。

 楽しかった作業が終了、完結、停止してしまったことを痛感させるから。


 その、彼の、自宅から徒歩十分ほど、コインランドリーがある。そこは、平日の日中はびっくりするほど混雑してる。土日祝のほうがすいてる。

 たまに、不機嫌そうな、疲れた顔した奥様あたりが面倒くさそうにやってくる。おそらく我が子のスポーツシューズやらユニフォームやら、お洗濯だろう。

 雨の日、乾燥機のフル稼働っぷりしかり、衣替直前のカケコミしかり。混雑するタイミングは予想できるというものだ。

 だから、土曜日と日曜日の境界線。真夜中を待って、彼はコインランドリーへ赴く。洗濯物は少ないが、足取りは重い。

 コインランドリーで、いろいろ『お洗濯』を試してみたいが、いつも同じような服だ。いつもいつもいつも……同じ。

 全国各地にコインランドリーはあれど、そこはスペシャルだ。例えるなら、道中での拠点。回復にセーブにアイテム売買もできちゃう、お得な施設のような。

 スペシャルなのだ。彼にとって。同業者にとって。知る者ぞ知るスペシャリティ。

 ランドリーバッグ片手に、コンビニ前を通り過ぎ、メインストリートの交差点を横切って、繁華街のノイズも踏切と列車のデュエットも遠ざかった頃。オフィスビルのパズルにうまく収まったコインランドリーが見えてくる。

 夜に抱かれたバス乗り場の前、自動ドアがすんなり開いて、彼は足早に『いつもの4番』のドアを開けた。

 さっきまで誰か使用中だったのか、ぬるい湿り気が漂う。構うものか、と彼は洗濯物を放り込み、ドアを閉めて、洗濯設定して、コイン投入。38分間の待機。

 他のナンバーズは洗濯稼働していない。彼にとって、4番が重要だ。4番でなければ、ここまで来る意味はない。

 乾燥機の群れ、一台だけ稼働中。奥側の下段、小さめの奴。つい見てしまうセグメント、残り時間。あと4分。洗濯機と違って、乾燥機は乾燥終了時間をすぎても洗濯物を回収しに来ない場合が多い。

 4分後、誰か来るかもしれない。

 真夜中だから。

 スマホでも眺めながら、壁際の座り心地の悪いベンチで洗濯完了を待つか。あるいはコンビニにでも行って……そのとき気づいた。

 誰もいなかった、はず!

 彼は、高速回転するかの如く、振り向いた。

 すでに、俯いてベンチに座る者。発見、その存在を認めたと同時に幕開けするのか、禍々しき腐敗臭めいた、陰惨たる血の臭い。

 殺気も邪気もない、ただ果てしない空虚がダラダラ滴り落ちる濡れた長い黒髪、小刻みに震え続ける細く長い指。

 その手はしがみつくように、はおった薄手のコートをつかんでいた。そしてスカート、裸足、その足元に散らばる小銭と、某マスコットの小銭入れ、さらに折れたカチューシャ。

 見るつもりはなくとも、気づくつもりはなくとも、彼は理解ってしまった。そのベンチで息を殺して位置する存在は、コートしか着ていない。

 艶やかで滑らかな素肌、曲線、なんてことだ。

 彼は『彼女』から目を背けると、平常心というものを思い出しながら、スマホを取り出した。とにかく、板をなでたり、ポチポチ叩いてみる。

 だが、彼は誰にも聞こえないように、生唾を飲み込んだ。そして、小さくとも甘美な空想を数秒、描いてしまう。

 ボロボロのズタボロのズタズタな『彼女』に、真夜中のコインランドリーで会う。

「あんた、何も知らないで、ここに洗濯しに来たわけじゃないよね?」

 彼はスマホを眺めたまま、『彼女』に背を向けたまま、声を出した。

 背後、反応は知らなくともよい。もともと、彼は気づきたくもなかったし、視界どころか意識の外へ置きたかったのだから。

 だが、乾燥機の4分。長くは無かった。

『乾燥が完了しました』

 この場に似つかわしくない女性の声でアナウンスされる。

 即座、『彼女』は立ち上がり、荒々しく乾燥機のドアを開けた。同時に、何か落ちた音がした。だから彼はベンチへ振り返る。床に落ちていたものを見る。赤い液体に染まったタオルと……ちらっと見えた、おそらく包丁の柄。

 一方『彼女』は洗濯物、その白いブラウスを引きずり出す。慌てる、というよりも。確かめるように。

 そんな姿を横目に、彼は声を出す。

「4番じゃなきゃ、キレイさっぱり洗い落とせないんだよね」

 すると『彼女』は、4番の前に立つ彼を、疲れた目で見上げた。乾いたブラウスには、不自然な茶色のシミ。

「誰か、刺しちゃったかぃ? 殺しちゃったのかい? 洗濯よりもシャワーのほうが先だったかもしれんよ? あんた、血なまぐさいよ?」

 だが『彼女』は、ぼんやりと。近寄る彼を、小さく口を開けて見あげていた。右手、ブラウスを掴む指先から、力が抜けた。

 彼は言う。

「手ぇ、貸そうか?」

 何があったか知らないが、穏やかではないことがあったんだろう。今すぐ、洗い流したい過去がインプットされちまったんだろう。

 間近で、見下ろす『彼女』のコトなど、実は興味ない。彼にとって、予定外というべきか予想外ともいうべきか。試してみたかったことができる、そう、最大の好機。

 やはり、本能的に『彼女』は察したのか、目を見開き、自分を強制的に取り戻す。数時間前の鮮血にまみれたエモーションも、今は吹き飛んだ。

 逃げようとした。しかし、彼は手慣れたもので、すんなり捕獲した。さらに、迷うことも不必要な真似もしない。

 淡々と作業する。今回は、ちょっと楽しい。

 乾燥機に『彼女』を放り込み、ドアを閉めた。素早くコイン投入、ひとまず20分。

 4番だった、乾燥機も。

 ドアの向こう側の『彼女』を見ることはできないが、彼はドアを背で押して、スマホ、イヤホン、BGMを選んで、プレイ。

 がん、どん、ばん。

「すごいな、動いてる」

 背中に伝わるバイブレーション。

 ふいに自動ドアが開いて。また血なまぐさい奴がきて。乾燥機の前の彼に気付いているのか、気付いていないのか。4番が使用中と見るや、そそくさと出て行った。

 床に、ひとつふたつ、赤い点を残して。

 彼は、一寸、申し訳無いなぁと思った。

 鮮血系の方々、諸先輩の皆様、ホント申し訳無いッス。血で血を洗う日々、ユニフォームのお洗濯、難儀なことは承知です。真夜中の、此処。このコインランドリー、洗濯機、4番。その洗浄力は悪魔的なのでございます。ですが、焼け焦げる臭いもまた一興。乾燥機、4番、お試しくだされ。

 なんてことを思ってた。

 がん、どん、ばん。

「すごいな、丈夫なもんだ、まだ動いてる」

 真夜中の。

 洗濯って、楽しくなりそう。

 

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