丑の刻参りを見てしまった話

芦原瑞祥

草木も眠る丑三つ時に

 中学三年生の頃、私は毎日真夜中まで勉強していた。四当五落――「五時間も寝てる奴は受験に落ちる、四時間睡眠で頑張る者だけが受かる」という言説に叱咤され、朦朧とした頭で問題集を解いていたものだ。


 ある秋の夜二時頃、私は眠気覚ましにベランダでぼんやり外を見ていた。

 我が家は二階建ての一軒家で、大きな神社の参道付近にある。お祭りの日や朔日は深夜までお参りの人が通るが、その日は特に何もない日で静まりかえっていた。


 道の脇には木が植わっていて、ときどき夜行性のムササビが飛ぶのが見える。「ムササ、今日はいるかなー」と言いながら、ベランダの手すりに体をもたせかけていると、バン、と車のドアを閉める音が聞こえた。昔の車は思いっきり叩きつけないとドアが閉まらなかったのだ。


 近くに神社の参拝者用駐車場があるから、だれかが駐車して降りてきたのだろう。夜中の参拝者もそう珍しいことでもないので、私は構わず「894年白 紙に戻そう遣唐使」などとつぶやきながら外気に当たっていた。

 

 参道につらなる砂利道をザッザッと歩く音が聞こえてきた。やはり参拝者らしい。足音は一人分だったので、「こんな夜中に一人でお参りなんて、怖くないのかな」と思いながら、音が近づいてくる方を見た。


 木々が途切れたところから、白い着物を着た女の人が見えた。

 その頭に、小さな光が三つ揺れている。頭につけるタイプのライトかと思ったが、一つ一つが小さいし、光量が一定ではない。たぶん、蝋燭の火だろう。


――昔は丑の刻参りする人がぽつぽつおってなぁ、参道の木に藁人形が貼り付けられてて怖かってん。


 祖母がそう言っていたことを思い出す。

 まさかこの時代に丑の刻参りなんて、と思うけれど、女性の手には藁人形と金槌らしきものがある。


 私は身動きできずに、女性が神社の方へと歩み去るのを見送った。


 まだ心臓がばくばくしていた。殺人とは違うけれど別の形で、自ら手を汚してまで誰かを死に至らしめようとする。その感情の闇深さに、私は瘴気に当てられたように息苦しくなり、その場にしゃがみこんだ。


 ナーバスな受験生には強すぎる闇だったが、なぜだか私は彼女が戻ってくるのを待った。あれはただの行者さんで、丑の刻参りではない、と思いたい気持ちがどこかにあった。実際、真夜中に神社へ参拝する白衣姿の修験者は、何度か見かけたことがある。


 しばらくすると神社側から、砂利を踏みしだく足音が近づいてきた。私はベランダの手すりに隠れて、砂利道を見守る。


 白い衣を着た女性が見えた。行者装束ではなく、死装束に近いものだ。頭上の蝋燭は先ほどより短くなっている。手に握られているのは、錫杖しゃくじょうでも法螺貝でもなく、金槌。


(やっぱり丑の刻参りだった――)


 私は息を殺して、あの女性に見つからないようにする。確か、丑の刻参りをしているところを誰かに見られると呪詛が返ってきてしまうから、見た人を殺さなければならなかったはずだ。


 足音が遠ざかるのを確認して、私はゆっくりと立ち上がった。

 嫌なものを見てしまった。早く忘れよう――。


 そのとき、砂利道を走ってくる音が急速に近づき、先ほどの白衣の女が戻ってきた。立ち止まって、まっすぐにこちらを見ている。

 目を吊り上げ、真っ赤な唇を噛みしめる鬼のような形相が、薄闇の中なのにはっきりと見えた。


「ひっ……」


 女は振りかぶると、持っていた金槌を私へ向かって投げてきた。

 慌ててしゃがみ、手すりで身体を隠す。ゴツッという大きな音が、セメント製の手すりからした。


 このままだと、ベランダをのぼってくるかもしれない。私はガタガタと震える足で部屋の中に入り、ベランダのガラス戸に鍵をかけ、チェストでふさいでバリケードを築いた。


 物音を聞きつけて、母が起きてきた。

「こんな真夜中に何をやってんの!」という非難めいた声に、私は先ほど見たものを必死で説明し、丑の刻参りを見た人は殺されること、金槌を投げられたことも言った。

 それなのに母は、「あんたはすぐ妄想の話をする。疲れてるんやったら、さっさと寝なさい」とすげなく言って去った。


 そうだった、現実主義者の母は、オカルトの類いは一切信じないのだった。

 ときどき異形のものが見えていた私は、母に「夢の話ばかりする」と呆れられていた。毎晩枕元に、顔の部分だけが真っ黒に塗りつぶされた女の人がでるから、電気をつけて寝させてくれ、とお年玉貯金を全額差し出して頼んでも、「心が弱いからそんな妄想ばっかり見るんや」とまともに取り合ってもらえず、電気もこっそり消されてしまい、毎日のように顔面黒塗り幽霊と対面する羽目になったこともある。


 今回のは妄想じゃなくて、れっきとした生きた人間なのに、母の中の世界では「丑の刻参りなんてする非現実的な人間は存在しない」のだろう。


 勉強も手につかず、眠れないまま朝になる。朝刊を取りに外へ出ようとする母を「あの女がいたら殺される!」と引き止めたが、「まだ夢見てるんか、さっさと起きなさい」と一喝されてしまった。

 多少話のわかる父が「わしが行くから」とバットを持ってあたりを見回りに行ってくれたが、怪しい女性もおらず、金槌も落ちていなかったという。


「あの女に見られたから殺される、外に出たくない」という私の主張もむなしく、「サボりは許しません」という母に家から追い出される。雨でもないのに私は護身用の傘を持ち、全速力で駅まで走って学校へと向かった。


 いつ来るか、今来るか、と私はあの女の来襲に怯えていた。が、彼女が来ることはなかった。

 丑の刻参りは七日で満願だという。私が見たのが何日目かは知らないけれど、とにかく一週間が経過すればなんらかの結果は出たと思っていいはずだ。


 それに、神社の参道の木から、五寸釘に刺された藁人形が見つかったらしい。「今どきそんなことする人いるねんなあ、怖いわぁ」とご近所でも噂になった(私は母をにらみつけ、妄想呼ばわりしたことを批難しておいた)。他の人にもバレてしまったのなら、呪いの効果はもうないだろう。


 私もようやく「もうあの女の人は来ないはずだ」と安心し、勉強に集中できるようになってきた。

 夜二時を回ったところで、トイレに行きたくなった私は部屋を出た。すると、外から砂利道を歩く足音が聞こえる。


 一気に心臓が跳ね上がる。


 怖いはずなのに、確かめずにはいられなくて、私はベランダの戸をそっと開けた。外から見えないよう、かがんで手すりに近づく。足音は、駐車場側から神社へと向かっているようだ。


 もう七日経っているのに。あの女の人が丑の刻参りをやり直しているのだろうか。それとも別の人か。

 私は手すりからそっと頭を出し、砂利道を見た。


 白い衣を着て、頭にかぶった鉄輪に蝋燭を三つ挿した女性が歩いていた。あのときと同じだ。


 けれども一つ、違う点があった。その女性は、歩いているというより、浮かびながらスーッと移動していた。足音が聞こえているのに、だ。


 あの人、生きてない。


 そう直感した。

 たぶん、呪詛が跳ね返って命を落としてしまったのだ。


 次の日も、その次の日も、午前二時になると砂利を踏む足音がして、あの女の人が神社へと向かっていく。一週間が過ぎても、彼女の丑の刻参りはやむことがなかった。


 別にこちらに危害を加えてはこないのだけれど、毎日毎日足音が聞こえるのはさすがに不気味だし、何だかあの女の人がかわいそうになってきた。だからある日曜日、私はお年玉貯金を持って神社へと向かった。


 受付所に行き、事情を説明してご祈祷を申し込む。変な目で見られるかなと心配していたけれど、境内の木に藁人形が刺さっていたのは本当だったらしく、「それは大変でしたね」とすんなり受け付けてもらえた。

 神職さんの祝詞のりとに加え、巫女さんによる鈴祓いもついた本格的なご祈祷で、大麻おおぬさで頭上を祓ってもらった瞬間、ふっと身体が軽くなった。

 この神社の境内で誰かを呪っていたあの女の人も、恨みの気持ちを祓ってもらって成仏――神道式に言うと帰幽きゆうできるといいな、と思った。


 それ以降、あの女の人の姿は見ていない。

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丑の刻参りを見てしまった話 芦原瑞祥 @zuishou

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