BL掌編集

白川三春

いしのうえにも

 そこは知る人ぞ知るなんてレアなお店でもなく、ただ単にホッケのひらきと日本酒が美味しいというだけの、どこにでもある居酒屋だった。

 喧騒が辺りを満たす――なんて言えば、なんだかカッコいいように聞こえるけど、要するに飲んだくれた客たちが、酒に酔っていい気分になるにはちょうどいいところというわけで、お洒落な雰囲気のカケラもない。


「気ぃ使わなくていいから楽だろ?」


 このお店を紹介してくれたのは、会社の先輩の石上さんだった。

 石上さんは、会社に馴染めなくて失敗ばかりしていた頃の俺を見兼ねて、この店に連れてきてくれた。

 

「あの俺、飲みとかあんまりしたことなくて……」

「ここはホッケと日本酒の店だけど。お前は唐揚げでも頼めばいいんじゃないの」


 あの頃、俺が会社でなにか失敗すると、石上さんは必ずこの店に連れてきてくれた。

 俺が日本酒を飲みなれてなかったこととか、焼いたホッケをほぐしたときに溢れてくるあの独特な匂いとかが苦手だったこともあって、最初は迷惑に感じていたんだ。


 ちなみに、唐揚げの味は普通だった。


「もっと普通にしてろ。早く仕事覚えなくちゃとか、役に立とうなんて考えなくていい。入って即戦力なんて、会社側の勝手な思い込みに付き合う必要はねぇ。おまえ、課長が言うほど物覚えわるい方じゃねぇぞ」


 石上さんは、大学までは野球でそこそこの選手だったというなりにマッシブな体格をした人で、百八十そこそこの高身長と男らしい分厚い胸板が見せる存在感は、一見して弱小の商社にいるような人ではなかった。


「俺なんてもっと酷かったぜ。なんせ野球しかしてこなかった馬鹿ガキだったからな。四年になっても社会人から声かからなかったから、諦めてこの会社受けたけど、入った時にゃまずは『よろしくお願いします』の指導からだ。初日の自己紹介が『おなっしゃーす!』じゃない分、スタートも俺よりマシだぜ」


 笑いながらホッケをつまみ、日本酒を呷る石上さんの豪快さにしがみ付くようにして『社会人』になる努力を始めてみれば、いつの間にか、あれからもう三年が経っていた。


「しがみ付かれた方も、あっという間だったけどな」


 いまでは石上さんは係長待遇になり、あいかわらず俺は、今日もホッケと日本酒のうまい居酒屋に連れてこられている。

 最近になって、同期の人たちや取引先の人とは、もっとお洒落な店やバーに行っていると聞かされて、すこし不満を垂れてみた。


「お前とは、長い付き合いになりそうだと思ったからな。肩肘張らねぇ店の方がいいと思ったんだよ。嫌だったか?」


 そう言われて、少し考えてみたけれど――。


「いえ――大好きですよ」

「だよな。俺も、これのが好きだぜ」


 そういうと、石上先輩はホッケを一口、豪快につまんで、美味しい日本酒を呷った。

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BL掌編集 白川三春 @tukineko5121

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