真夜中のモーニングコール

黒いたち

真夜中のモーニングコール

――月下美人が咲いた。


 午前0時の電話に、私は飛び起きて深月みづきの実家に向かう。

 真夜中の静かな住宅街に、アスファルトを走る音が響く。

 夏の夜、生ぬるい風は私の汗をなでて、ひゅうと耳元をかすめていく。


 徒歩十分は走って三分。

 陸上部に所属していた深月の口癖くちぐせだ。

 そのたびに運動音痴の私は、とちゅうで疲れて歩くから七分はかかる、と反論していた。


 そうして、ほがらかな深月の笑顔を思い出す。

 なつかしさに胸がしめつけられ、息苦しさに足が止まる。

 外灯の下、両手でひざをつかみ、ゼエゼエとあらい呼吸をくりかえす。

 

「……ありえない」


 そう、ありえない。

 月下美人が咲くことではない。

 彼女から電話がかかってくることがありえないのだ。


「……初盆はつぼんだから?」


 汗が冷えて、背筋に寒気がはしる。

 それでも深月に会えるなら――もういちど、話がしたい。


 徒歩十分は走って三分。

 深月の口癖を思い出し、私はおおきく息を吸って、また走り出した。






 三年前、私たちは高校生だった。


「みて、朝陽あさひ。“月下美人”だって」


 ホームセンターの出入り口、園芸用品の特売コーナーで立ち止まった深月が、なえして笑顔を浮かべる。


 朝陽あさひ深月みづき

 正反対の名前とはうらはらに、私たちは気が合った。

 幼稚園からのおさななじみで、高校は離れたものの、ひまなときは気軽に連絡をとって遊ぶ仲だ。


「私は“火の鳥”のほうが気になるな」


 燃えるような花穂、と書かれたポップ通り、炎のような三角形の赤い花がついている。


「じゃあ一緒に買いましょう。今日の思い出に」

「398円の思い出?」

「そう。私は月下美人、朝陽は火の鳥」

「いいけど……私、すぐらしそう」

「私はがんばって育てるわ! おなじ月の名を持つものとして、どれだけ美人か見てやろうじゃない」

「いいね。花が咲いたら、どちらの方が美人か、私がジャッジしてあげる」

「よろしく。あ、『育て方パンフレット、ご自由にお持ちください』だって」


 わいわい言いながら、月下美人と火の鳥のパンフレットを手に取る。

 深月はその場で目を通し、むずかしそうな顔をする。

 

「――白く美しい花を一晩だけ咲かせます。夜に咲き始め、翌朝までにしぼみます」

「一晩だけ?」

「そうみたい。――開花後のしぼんだ花は食用にできます」

「食べられるの!?」


 深月が肩をすくめる。


「ゆでてポン酢がおすすめらしいよ」

「へえ……おいしいのかな」

「それも試してみればいいんじゃない?」

「え?」


 深月がくすりと笑った。


「――花が咲いたら朝陽に連絡する。朝陽は花と私を比べて、どちらがより美人かをジャッジする。終わったら花をゆでて、ポン酢で食べる」

「じゃあ……連絡もらったら、ポン酢持参で行くわ」

「んっふふ、それ助かるわ。真夜中らしいけど、ちゃんと起きてね」

「わかってる。モーニングコール、よろしくね」


 そんな会話をして、笑いあった。

 しかし月下美人がつぼみをつける前に、深月は県外の大学に進学することになった。


「長期休みには帰省するから、そのときにまた遊ぼうね」


 見送りに行った駅のホームで、深月はスーツケース片手に朗らかに笑った。


 その半年後。

 深月は行方不明になった。

 部屋にスマホと財布を置いたまま、壁に血痕を残して、彼女は消えた。

 周囲の話では、ストーカー被害にあっていたらしい。

 警察の捜査もむなしく、解決への糸口が見つからないまま二年の月日が経ち――先日、深月の家でひっそりと葬儀が行われた。






「案外、早かったわねぇ」


 深月みづきの実家のまえには、二年前の記憶と寸分の狂いもない彼女が立っていた。


「――走って三分だから」


 言いたいことはたくさんあったが、彼女を見て、出てきた言葉がそれだった。


朝陽あさひは七分かかるんでしょ?」


 私も成長したの、という言葉を飲み込んだのは、空白の二年間を彼女に意識させてはならないと強く思ったからだ。

 もしこれがお盆だけの奇跡だとしたら――できるだけ、彼女と一緒に居たかった。


「……月下美人が、はやく見たくて」

「うん。お母さんたちは寝ているから、しずかにね」


 そういって玄関の扉を開けた深月は、共犯者に対するような笑みを浮かべた。




 深月の家には、庭と縁側えんがわがある。

 記憶のなかでは、季節の花が咲くあかるい庭だ。

 それがいまや見る影もなく、放置された庭木は陰鬱とのびて、背のたかい雑草が絡まっている。

 庭のすみに乱雑につまれたプランターには、ひからびた土がつまり、花の一本もみあたらない。

 

 その荒れはてた庭の真ん中、ぽつんと置かれた月下美人はあまりにも場違いで、あまりにも幻想的だった。

 真っ暗な闇に、白い花が浮かびあがっている。

 あまい芳香に誘われ、私は花に近づいた。


「……きれい」


 純白の花はおおきく、ひときわ伸びた雌蕊めしべは、先端が花のかたちをしている。

 幾重いくえにもかさなる花弁はまるく、がくだけ赤くてほそい。


「――ねえ朝陽、花と私、どちらが美人?」


 ふくみ笑いの質問が投げかけられる。


「……選べないなあ。どちらも美人で」


 ふりむくと、深月が微笑んでいた。


「――太陽が昇るまで、見れるみたいよ」


 その主語は、月下美人の花か、それとも――。


「……そっか。ねぇ深月、それまで座って話さない?」


 うなずく深月は、月光を浴びてとてもきれいだった。




 私たちはいろいろな話をした。

 昔に戻ったかのように、くだらない話をして笑いあう。

 その多くが思い出話で――深月がいない二年間だけは、どうしても話題にできなかった。


 ずっとこの時間が続けばいい。

 私の願いはむなしく、東の空が白みはじめた。

 花はすでにちからなく垂れさがり、しぼみきるまであとすこし。

 深月は立ちあがり、月下美人に近づく。

 その後ろ姿は、太陽に溶けてしまいそうなほどはかない。


「そろそろ、終わりだね」

「……深月」

「なあに?」

「――二年前、電話に出なくてごめん」


 深月の失踪前夜、私のスマホに深月から着信があった。

 私は出なかった。

 気になっている人とデートをしていたからだ。

 出られなかったわけではない。

 ちょっと席を外して、用件を確認することぐらいはできた。

 それでも私は、出ない選択をした。

 後でかけ直して話せばいいと――二度と話せなくなるなんて、夢にも思わずに。


「……もう終わったことだよ」

「それでも深月は私を選んでくれたのに! 私があの電話に出てさえいれば、こんなことには――」


 あとは言葉にならなかった。

 涙があふれて止まらない。

 まだ行かないで、と強く願えば、深月が苦笑した。


「朝陽が責任を感じる必要はないよ」


 強い風が吹いた。

 月下美人の甘い芳香が、庭中にただよう。

 明けていく空、しぼんだ月下美人、私は深月の姿を目に焼きつける。


「……ねえ、深月」

「なあに?」

「……呼んでくれて、ありがとう」


 深月が朗らかに笑ってうなずく。

 朝日が庭にふりそそぎ、目をすがめた瞬間、あらがいがたい眠気が私を襲った。

 寝落ちしたような感覚のあと、目を開けると、荒れはてた庭のどこにも月下美人は見当たらなかった。


「深月……」


 庭の中央まで歩いて、たちどまる。

 月下美人の甘い芳香が、かすかに香った気がした。


 深月のおかげで、私の心はすっきりとしていた。

 早朝の空気を、胸いっぱいに吸い込む。

 太陽の光を浴びて背伸びをし、そうしてあることを思い出した。


「深月! ポン酢持参するの忘れてごめんね!」


 明るい空に向かって謝る。

 深月ならきっと、朗らかに笑ってこう言うだろう。


「――そうだと思った!」


――ん?


「でもだいじょうぶ。このうちに、ちょうどあったから」


 続けて聞こえてきた肉声に、おもわず振りかえる。


「……深月?」

「なあに?」

「――ええ!?」


 靴を脱ぎすて縁側をあがり、おもいきり深月を抱きしめた。


「朝陽!?」

「い、生きてる!? うそでしょ!?」

「……いまさらなの?」

「だって深月は幽霊だとばかり」

「朝陽って霊感あったっけ?」

「――ないけど! それより、この二年間なにしてたのよ!」

「うーん、まあいろいろあって。ようやく家に帰ってきたら、月下美人が咲いていたから、とりあえず朝陽に電話したの」

「――月下美人! そう、あれも庭から消えてたし――」

「朝陽が寝落ちして暇だったから、さきに茹でといたわ」


 そういって深月が指さすキッチンには、月下美人の鉢があり、テーブルには茹でた花が皿にのっていた。


「み、深月……マイペースすぎる」

「朝陽には負けるわ。――それより」

「なに?」

「うちのお母さん、びっくりして心臓止まらないかしら」

「……言いにくいんだけど、このあいだ深月の葬儀が執り行われました」

「あらら。じゃあ私はいったん隠れるから、朝陽から説明してもらって――」

「いやいやいやいや、私だけリビングにいるとか不法侵入はなはだしいでしょ」

「それもそうか。うーん……とりあえず家族の朝食でも作るわ。朝陽も食べていくでしょ?」

「ええ……このあとぜったい修羅場になるじゃん……」

「そのための朝陽よ。うちの親、朝陽には甘いから」

「限度があるよ! そこまで高性能な緩衝材かんしょうざいじゃないからね私!」


 深月が朗らかに笑う。


「終わったらプールに行って、アイスを食べましょう! お詫びにおごるわ」

「……しかたないなぁ」


 つられて笑う私は、もうどうにでもなれという気分だった。


 そう。生きてさえいれば、どうにでもなる。

 マイペースで人騒がせな親友は、明るい太陽の下で、これからも私とバカなことをやっていくのだろう。


 朝活よろしく鳴くセミが、今日も暑いと伝えてくる。

 残暑がきびしい夏、私たちはまだまだ遊び足りない。


 縁側からの風に吹かれて、月下美人の緑が、笑うように揺れていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

真夜中のモーニングコール 黒いたち @kuro_itati

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ