慶長五年九月十四日、決戦前夜の石田陣にて

佐倉伸哉

本編

 慶長五年(西暦一六〇〇年)九月十四日、深夜。美濃国・関ヶ原の北方、石田三成の陣。あと一刻で日付も変わるという頃合に、一人の武者がふらりと訪ねてきた。長身に筋骨隆々の体躯たいく、甲冑を身に着けたその姿や佇まいから、歴戦の風格を漂わせていた

左近さこん様……いかがされましたか?」

 来訪に気付いた三成の近侍きんじが声を掛ける。

 島“左近”清興きよおき。官僚畑を長らく歩んできた三成が四万石の大名に取り立てられる際、自らの苦手としている武人の部分を補う為に二万石で召し抱えた傑物である。その働きぶりから『治部少じぶしょう(三成の官名)に 過ぎたるものが 二つあり 島の左近と 佐和山の城』と謳われる程で、三成の右腕であり懐刀ふところがたなとして石田家を支えていた。

「……殿は何処いずこに?」

「松尾山へ参られました」

 近侍がそう答えると、左近は微かに眉をひそめた。

「なら、待たせてもらおうか」

 そう言うと、左近は中央にある矢盾を組んだ机の前に並べられた床几しょうぎに腰を下ろす。腕組みをして、目を閉じて静かに待つ。

 程なくして、幔幕まんまくが揺れて誰かが本陣に入ってくる。

「……兵庫」

 目を開いて入って来た人物を確かめた左近が、表情を変えず漏らした。

 舞“兵庫助ひょうごのすけ”忠康。前野長康の一門衆だったが、関白秀次が切腹すると前野一族にも影響が波及。そんな中、兵庫の才を惜しんだ三成が秘かにかくまった。その後、五千石で召し抱えられ、左近に次ぐ第二家老として重きを成していた。

「おう、左近殿もいらっしゃっていたのか」

 兵庫の片手には酒徳利とっくりが握られている。そして、ほのかに顔が赤い。

「殿は?」

「松尾山。金吾きんご殿に念押ししに行かれたのだろう」

 問われた左近が渋い表情で答えると、兵庫は肩を竦めた。

 今日の昼間、小早川秀秋の軍勢が松尾山に入った。元々伊藤盛正が入っていたのを追い出して陣についた事に、三成は『敵方と通じているのでは?』と猜疑心さいぎしんさいなまれていた。決戦を明日に控え、どうしても念を押したくなったのだろう。

「“万事つつがなく”が殿の気性きしょうだからな……こればかりは仕方ない。御大将には明日に備えて早くお休みになって欲しいと思ったのに、無駄足か」

 そう言うと、兵庫は左近の向かいの席に座ると、近侍に器を二つ持ってくるように頼んだ。どうやら持参した酒を飲みながら待つつもりらしい。

 かくいう左近も、あまり戦場に立たない主を気遣い早く就寝するよう促しに来たのだが、肩透かしを喰らった恰好だった。手持ち無沙汰にもなっていたので、兵庫の提案を黙って受ける。

 すると、再び幔幕が揺れた。

「おや。ご両人お揃いで」

「お、勘兵衛かんべえ。いかがした、こんな夜更けに」

 入って来た人物は石田家を支える重臣二人の顔を見て驚きの声を上げた。

 渡辺“勘兵衛”新之丞しんのじょう(同時期に活躍した同姓同名の渡辺“勘兵衛”さとるとは全くの別人で、血縁関係もない)。かつては柴田勝家や豊臣秀吉から二万石で仕官しないかと誘われる程の優れた武将だったが、秀吉の小姓をしていた三成が「私が百万石の大名になったら十万石を与える」という約束で、当時の禄五百石を全て渡す形で召し抱えた。後年、三成が佐和山十九万四千石の大名になり勘兵衛の禄を増やそうとしたら、「百万石になった時に加増してもらいます」と固辞した逸話が残されている。

 先述した左近や兵庫の他にも、転封てんぽうとなった蒲生がもう家から勇士を多く引き取るなど、石田家は石高に対して有力武将を多数抱えていた。豊臣家を支える五奉行の一人である三成はずっと官僚畑を歩んできたが、力のある武将を大勢家臣に抱えて万一に備えていた。三成は武将としての経験や実績は少ないが、左近や兵庫など歴戦の猛者がそれを支える形が出来上がっていたのだ。

「殿には早くお休みになってもらおうと思いましたが……何処に?」

「松尾山じゃ。殿もご苦労な事だ」

 そう言うなり兵庫は自らの隣の床几を手で叩きながら「ここに座れ」と促す。訳の分からないまま勘兵衛は恐縮しながら指定された席に腰を下ろす。

 石田家に仕える家臣は、将兵問わず勤勉で働き者が非常に多い傾向にある。恐らくは主君の三成が豊臣家の為に日夜働いている影響が大きいのだろう。左近も兵庫も勘兵衛も、主君の体調を思って早めに休むよう進言しに来たのだが、当の本人が不在なのだから仕方がない。

 近侍が勘兵衛の分も含めた器を三つ持ってきた。兵庫は近侍に礼を言うと、徳利から酒をそれぞれの器に注いでいく。

「では」

「ん……」

 三人は器を掲げてから、それぞれ口をつける。

「明日はいよいよ決戦ですね」

「……そうだな」

 勘兵衛の言葉に、左近が静かに肯定する。

 赤坂に放っていた忍びから、徳川勢が西へ向かうと報せが入った。大垣城に入っていた徳川追討の軍勢は徳川勢の西進を阻むべく、急遽きゅうきょ城を出て野戦の構えをとった。

 北から石田・島津・宇喜多・大谷の軍勢が関ヶ原に布陣し、南の松尾山には小早川、東の南宮山なんぐうさんには毛利・吉川きっかわ安国寺あんこくじ長曾我部ちょうそかべ。これ等全ての軍が徳川勢を包み込むように攻め寄せれば……当方の勝ちは固い。

 しかし、居並ぶ三名の表情は、険しい。戦場に“確実”の二文字は存在しない事を誰よりも知っている三名は、明日に迫った決戦がどう転ぶか全く見当がつかなかった。だからこそ、希望的観測にもとづいた発言を控えていた。

「されど、我等は果報者だな」

「……そうだな」

 兵庫が顔を綻ばせて言うと、左近もそれに同意を示す。

 味方は約八万、敵は約七万。古今東西、これだけの軍勢がぶつかる戦は存在しない。おまけに、敵方の総大将は過去に天下人・豊臣秀吉に勝利した事もある戦巧者いくさこうじゃの徳川家康。相手にとって不足なし、だ。

 秀吉亡き後、家康は天下を獲るべく積極的に動いていた。豊臣家の天下を簒奪さんだつする意図は明白、それに真っ向から異を唱えたのが我等が主君・石田三成だ。家康が上杉家を討伐すべく東へ向かった機を見計らい、三成は毛利輝元を総大将に徳川家追討の狼煙のろしを挙げた。短期間で毛利・宇喜多などの大老を自陣に引き込み、総勢十万を超える兵をまとめ上げたのは、間違いなく三成の手腕があったからに他ならない。

 明日の戦に勝利した方が、次の天下を握る。そうした戦に臨めると思えば、武人冥利みょうりに尽きると言えなくもない。

 こうして酒をわせるのも、今宵こよいが最後かも知れない。けれど、水盃みずさかずきを交わそうとは誰も言わなかった。別れを前提に呑むというのは、縁起えんぎが悪い。きっと次もある。また酒を酌み交わそうではないか。そうした想いも込められていた。

 これ程の規模の戦は、よわい五十八になる左近にも経験が無かった。筒井家に仕えていた頃は大和やまと国内の小競り合いみたいな戦ばかりだったが、豊臣秀長に仕えてからは四国や九州など各地を転戦。三成に仕えてからも北条征伐や朝鮮にも従軍した。これまでは天下獲りの過程の戦を間近で見てきたが、天下の行方を左右する戦は左近自身これが初めてだった。正しく、武人冥利に尽きる思いだ。

「左近殿、頬が緩んでおりますぞ」

「……そう言う兵庫こそ、楽しそうではないか」

 指摘した兵庫に、すかさず切り返す左近。ぶっきらぼうな言い方にはなったが、言葉にとげはない。二人のやりとりを見守る勘兵衛もまた、どこか嬉しそうである。

 結局のところ、働き者の主君を寝かせるつもりが、武人の血が騒いで左近本人が眠れないだけなのかも知れない。それは兵庫も勘兵衛も一緒みたいで、目は冴えていた。皆、似た者同士なのだ。

「ふふふ……」

「あはは……」

「あっはっは!!」

 三人が三人、互いに顔を見合っている内に、自然と笑いが込み上げてきた。草木も眠る夜更けに、三人の豪快な笑い声が木霊こだまする。

「どうした、こんな真夜中に騒々しい。」

 笑い合っている三人の後ろから、不意に声が掛かる。揃ってそちらを向くと、そこに立っていたのは石田“治部少輔じぶのしょう”三成。我等が主君である。

 怪訝な顔をして三人の顔を見た後、素っ気なく告げた。

「明日は大事な一戦ぞ。こんな所で油を売っている暇があるなら、さっさと寝るがいい」

 一見すると叱責しっせきしているように聞こえるかも知れないが、当の三成に他意はない。家臣達に早く体を休めるように言いたいだけなのだが、そうした言葉遣いが出来ないのである。言動以外にも、他人に対する態度や姿勢で誤解や怒りを買ってきたのが三成という男だった。無意識の内に他人の神経を逆なでする事から、三成を快く思わない者達は“へいくわい者”と陰で呼んでいた。

 敵の多い三成ではあったが、仕えている身からすればこれ程までに遣り甲斐のある主君は居ないと思っていた。理不尽な命令は一切ないし、三成が止めない限りは好きなように動けるし、何より一番なのは忖度する必要がない事。非常に稀有な主君に仕えられて、皆幸せに感じている筈だ。

 主君から寝るように言われてしまった以上、酒盛りを続ける訳にもいかない。各々は器に入っている酒を飲み干すと、床几から立ち上がる。

「左近、兵庫、勘兵衛」

 それぞれが自陣へ帰ろうと歩き出した時、三成から声が掛かった。

「はっ」

「――明日の戦、勝ったら一緒に酒を飲まないか」

 主君からの思いがけない提案に、三人は一瞬呆気あっけに取られた。しかし、直後には三人の豪快な笑いが飛び出した。

「がはははは……左様さようですな。絶対に勝ちましょうぞ」

 また一つ、楽しみが増えてしまった。これは余計に、明日の戦は絶対に勝たなければならない。

 銘々めいめいが固い決意を胸に秘め、自分の陣に帰っていった。

 日付変わり、九月十五日。天下分け目の大戦おおいくさの火蓋が切られるまで、あと残り数刻というところまで迫っていた――。

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慶長五年九月十四日、決戦前夜の石田陣にて 佐倉伸哉 @fourrami

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