慶長五年九月十四日、決戦前夜の石田陣にて
佐倉伸哉
本編
慶長五年(西暦一六〇〇年)九月十四日、深夜。美濃国・関ヶ原の北方、石田三成の陣。あと一刻で日付も変わるという頃合に、一人の武者がふらりと訪ねてきた。長身に筋骨隆々の
「
来訪に気付いた三成の
島“左近”
「……殿は
「松尾山へ参られました」
近侍がそう答えると、左近は微かに眉を
「なら、待たせてもらおうか」
そう言うと、左近は中央にある矢盾を組んだ机の前に並べられた
程なくして、
「……兵庫」
目を開いて入って来た人物を確かめた左近が、表情を変えず漏らした。
舞“
「おう、左近殿もいらっしゃっていたのか」
兵庫の片手には酒
「殿は?」
「松尾山。
問われた左近が渋い表情で答えると、兵庫は肩を竦めた。
今日の昼間、小早川秀秋の軍勢が松尾山に入った。元々伊藤盛正が入っていたのを追い出して陣についた事に、三成は『敵方と通じているのでは?』と
「“万事
そう言うと、兵庫は左近の向かいの席に座ると、近侍に器を二つ持ってくるように頼んだ。どうやら持参した酒を飲みながら待つつもりらしい。
かくいう左近も、あまり戦場に立たない主を気遣い早く就寝するよう促しに来たのだが、肩透かしを喰らった恰好だった。手持ち無沙汰にもなっていたので、兵庫の提案を黙って受ける。
すると、再び幔幕が揺れた。
「おや。ご両人お揃いで」
「お、
入って来た人物は石田家を支える重臣二人の顔を見て驚きの声を上げた。
渡辺“勘兵衛”
先述した左近や兵庫の他にも、
「殿には早くお休みになってもらおうと思いましたが……何処に?」
「松尾山じゃ。殿もご苦労な事だ」
そう言うなり兵庫は自らの隣の床几を手で叩きながら「ここに座れ」と促す。訳の分からないまま勘兵衛は恐縮しながら指定された席に腰を下ろす。
石田家に仕える家臣は、将兵問わず勤勉で働き者が非常に多い傾向にある。恐らくは主君の三成が豊臣家の為に日夜働いている影響が大きいのだろう。左近も兵庫も勘兵衛も、主君の体調を思って早めに休むよう進言しに来たのだが、当の本人が不在なのだから仕方がない。
近侍が勘兵衛の分も含めた器を三つ持ってきた。兵庫は近侍に礼を言うと、徳利から酒をそれぞれの器に注いでいく。
「では」
「ん……」
三人は器を掲げてから、それぞれ口をつける。
「明日はいよいよ決戦ですね」
「……そうだな」
勘兵衛の言葉に、左近が静かに肯定する。
赤坂に放っていた忍びから、徳川勢が西へ向かうと報せが入った。大垣城に入っていた徳川追討の軍勢は徳川勢の西進を阻むべく、
北から石田・島津・宇喜多・大谷の軍勢が関ヶ原に布陣し、南の松尾山には小早川、東の
しかし、居並ぶ三名の表情は、険しい。戦場に“確実”の二文字は存在しない事を誰よりも知っている三名は、明日に迫った決戦がどう転ぶか全く見当がつかなかった。だからこそ、希望的観測に
「されど、我等は果報者だな」
「……そうだな」
兵庫が顔を綻ばせて言うと、左近もそれに同意を示す。
味方は約八万、敵は約七万。古今東西、これだけの軍勢がぶつかる戦は存在しない。おまけに、敵方の総大将は過去に天下人・豊臣秀吉に勝利した事もある
秀吉亡き後、家康は天下を獲るべく積極的に動いていた。豊臣家の天下を
明日の戦に勝利した方が、次の天下を握る。そうした戦に臨めると思えば、武人
こうして酒を
これ程の規模の戦は、
「左近殿、頬が緩んでおりますぞ」
「……そう言う兵庫こそ、楽しそうではないか」
指摘した兵庫に、すかさず切り返す左近。ぶっきらぼうな言い方にはなったが、言葉に
結局のところ、働き者の主君を寝かせるつもりが、武人の血が騒いで左近本人が眠れないだけなのかも知れない。それは兵庫も勘兵衛も一緒みたいで、目は冴えていた。皆、似た者同士なのだ。
「ふふふ……」
「あはは……」
「あっはっは!!」
三人が三人、互いに顔を見合っている内に、自然と笑いが込み上げてきた。草木も眠る夜更けに、三人の豪快な笑い声が
「どうした、こんな真夜中に騒々しい。」
笑い合っている三人の後ろから、不意に声が掛かる。揃ってそちらを向くと、そこに立っていたのは石田“
怪訝な顔をして三人の顔を見た後、素っ気なく告げた。
「明日は大事な一戦ぞ。こんな所で油を売っている暇があるなら、さっさと寝るがいい」
一見すると
敵の多い三成ではあったが、仕えている身からすればこれ程までに遣り甲斐のある主君は居ないと思っていた。理不尽な命令は一切ないし、三成が止めない限りは好きなように動けるし、何より一番なのは忖度する必要がない事。非常に稀有な主君に仕えられて、皆幸せに感じている筈だ。
主君から寝るように言われてしまった以上、酒盛りを続ける訳にもいかない。各々は器に入っている酒を飲み干すと、床几から立ち上がる。
「左近、兵庫、勘兵衛」
それぞれが自陣へ帰ろうと歩き出した時、三成から声が掛かった。
「はっ」
「――明日の戦、勝ったら一緒に酒を飲まないか」
主君からの思いがけない提案に、三人は一瞬
「がはははは……
また一つ、楽しみが増えてしまった。これは余計に、明日の戦は絶対に勝たなければならない。
日付変わり、九月十五日。天下分け目の
慶長五年九月十四日、決戦前夜の石田陣にて 佐倉伸哉 @fourrami
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