猫の手を借りると獅子が現れる、平原の民の物語

兵藤晴佳

猫の手を借りると獅子が現れる、平原の民の物語

 未開の平原で獅子さえも狩る勇猛な部族の子どもたちを前に、呪術師シャーマンの古老が、今にも降ってきそうな満天の星空の下、燃え盛る焚火の前で物語る。


 この地に生まれ、死んでいった狩人たちの血を引く幼子たちよ、よく聞くがよい。

 お前たちは何でも望み通りになることを願うか、それとも何ひとつ思うようにできないことを望むか。

 望みがひとつでも多く叶えばよい、そう思っていることだろう。

 だが、それを自ら成し遂げるのでなく、他の誰かが叶えてくれると思っているのなら、大きな間違いだ。

 よく聞くがよい、これから語る不思議な出来事を。


 何でも思い通りにしてくれる神様がいた。

 願って叶わぬことがなく、困ったことがあると、また、困っていなくても、誰もが供物を捧げて祈った。

 祈れば全てが望み通りになり、誰もが幸せになったという。

 そこであるお婆さんも、その神様に祈った。

「家で怠けてばかりの息子を、外に出してほしい」

 全く働きもしなければ狩りにも出ない息子だった。

 親子共々、人の情けで生き延びていたが、お婆さんはなけなしの恵みを神様に捧げて祈った。

 神様は願いを聞き届けた。

 ある日、家を出た息子は、帰ってこなかった。

 お婆さんは喜んだ。

 息子が外へ出たのが嬉しかった。

 家の前に立って、狩りの獲物が持ち帰られるのを待っていた。

「一生にいっぺんくらいは、息子を褒めてやりたいもんだよ」

 ところが、息子は帰ってこない。

 それでもお婆さんは、狩りに励んでいることだろうと思っていた。

 日は次第に暮れていく。

 やがて、太陽が大地の向こうに沈んだ頃。

 現れたのは、帰ってきた息子ではなかった。

 一頭の、雄の獅子だった。

 肝をつぶしたお婆さんは、家の中に飛び込んだ。

 獅子は追いかけなかった。

 しばらく、家の周りをうろうろしていた。

 やがて、どこかへ行ってしまった。

 お婆さんは夜になっても息子を待っていた。

 息子は帰ってこなかった。

 お婆さんは一晩中泣き明かした。

 息子が、獅子に食われてしまったと思ったのだ。

「ああ、息子が死んだら褒めてもやれない!」

 涙も枯れた頃、夜が明けた

 日が昇ると共に、お婆さんは村長の家を訪れた。

 泣きながら訴えた。

「人を殺した者は命で償うのが掟だ。息子を食い殺した獅子を捕まえて罰してほしい」

 村長がそう言えば、それが掟だ。

 だが、村長はそうは言わなかった。

「猫でさえ人の思い通りにはできないのに、獅子が掟で縛れるものか」

 お婆さんは聞かなかった。

 村長の家の前に座って泣きわめきつづけた。

 困り果てた村長は、道行く村人に助けを求めた。

「誰か獅子を捕まえられないか」

 村長がそう言えば、それが掟だ。

 だが、日が高く昇っても、名乗りを上げる者はなかった。

 お婆さんは泣きわめいた。

 村長も助けを求め続けた。

 そして太陽が、大地の向こうに沈んだ頃。

 夕方になって、村長の前を通りかかった男が言った。

「私にかかれば獅子だって猫と同じです」

 村長は喜んで獅子狩りを任せた

「掟に従い、獅子には必ずや償いをさせてみせよう」

 村長がそう言えば、それが掟だ。

 お婆さんは泣きやんだ。

 だが、お礼は言わなかった。

 むしろ、悪態をついて帰ってしまった。

「こんな酔っ払いに、息子を殺した獅子が捕まえられるもんかね」

 その通りになった。

 男は、獅子狩りの備えをしなかった。

 すっかり酔って正体をなくしていたのだ。

 次の朝になって我に返った男は、慌てて村長に謝りに行った。

「酔っていた私は、本当の私ではありません。だから言ったことを信じないでください」

 村長は聞かなかった。

「ワシはあの婆さんに、獅子に罪を償わせると約束したのだ。このまま、人前に現れてはならん」

 村長がそう言えば、それが掟だ。

 仕方なく、男は槍を持って獅子を狩りに平原に出た。

 ところが、太陽が大地の向こうに沈んだ頃、男は帰ってきた。

 村長は喜んだ。

 辺りを見渡して尋ねた。

「獅子はどこだ?」

 男は答えた。

「私はこう叫びながら、平原で獅子を探し回りました……罪を悔いるなら姿を現せ、姿を現さねば、悔い改める気もないものとして、この槍で喉笛を刺し貫くぞ!」

 村長は呆れた。

「そんなことで平原の獅子が見つかろうか」

 男はまた答えた。

「なかなか見つからないので、あきらめて帰ろうかと思っておりましたところ、太陽が大地の向こうに沈んだ頃、獅子が自ら現れたのでございます」

 村長は踊り上がって尋ねた。

「捕らえたか?

 男はさらに答えた。

「悔い改めているようだったので、あの婆さんに詫びるよう諭して帰しました」

 村長は怒った。

「このまま人前に再び現れたら、命はないものと思え!

 村長がそう言えば、それが掟だ。

 その場から逃げ出した男の姿を見た者はその後、なかった。

 さて。

 お婆さんはというと、それからひとりで暮らしていたが、やがてネズミに悩まされるようになった。

 見かけるたびに追い出し、罠をしかけていたが、どれもうまく行かない。

 なけなしの金で買った食料も食い散らかされる始末。

 そのわずかな残りを、何でも思い通りにしてくれる神様に捧げてお婆さんは祈った。

「ああ、猫の手も借りたい」

 すると、どこからともなく1匹の猫が家の中へと入ってきた。

 ネズミが逃げられないように家の扉を全て閉め、猫の狩りの有様を見とどけようとする。

 しばらくすると壁の穴から、鼠がちょろちょろと現れた。

 猫の出番だと思っていると、ネズミが突進してきた。

「今だよ!」

 お婆さんは猫をけしかけたが、猫はかえって家の隅に逃げてしまった。

 今度は、ネズミが猫に噛みつこうとする。

 猫は怖がって、また逃げた。

 お婆さんは猫を叱りつける。

「意気地がないね、お前は!」

 ネズミは余計に調子に乗って、跳び上がっては猫の首筋に噛みつこうとする。

 やがて、その身体が膨らんだり縮んだりしはじめた。

 息が苦しくて喘いでいるのに気付いたのか、それまで身動きもしないでいた猫が、急にネズミへと飛びかかる。

 首筋を噛み砕かれ、ネズミは死んだ。

 お婆さんは喜んだ。 

「鼠が疲れるのを待っていたんだね! なんて賢い子なんだろう!」

 すると猫は、その場で大きな獅子になった。

 腰をぬかしたお婆さんの前に、ぺたりとひれ伏す。

 やがてお婆さんは、おそるおそる尋ねた。

「お前が、息子を食っちまった獅子かい?」

 獅子はうんともすんとも言わない。

 すると、死んだはずのネズミが口を開いた。

「そうだよ」

 お婆さんが驚く間もなく、ネズミはその場で正体をあらわした。

 それは、人前から姿を消した男だった。

 いなくなった男は語った。


 ……この村を出て、平原で暮らしていくことなどできはしません。だから、何でも思い通りにしてくれる神様に私は祈りました。

 この身体を投げ出しますので、せめて命だけは長らえさせてください、と。

 すると私の身体はネズミに変わり、こうして人の家の食べ物を分けて戴いて、命をつないでいたのですが、それができなくなったところで、人の身体が戻ってきたのです。


 お婆さんは言った。


 ……身体を投げ出して命を長らえさせようとしたお前は、命をつなげずに人の身体を取り戻した。

 私は息子が死んだばかりに何も褒めてやれなかった。

 せめて目の前に息子の亡骸があったなら! 

 何かひとつでも褒めてやって、息子を生きて取り戻すのに!


 するとそれを聞いていた獅子は、息子の姿に変わった。

 涙にくれるお婆さんの前で、息子は言った。


 ……あの日ふらりと外に出たら、身体が獅子に変わってしまった。狩られるといけないと思って平原に出たけど、獲物の捕りかたも分からないから帰ってきたけど、母さんは家に逃げ込んだ。

 どうすることもできなかった。

 本当に後悔した。

 怠け者だったばかりに、こんな獣になったのだ。

 怠け者だったばかりに、獣になっても獲物の捕りかたが分からない。

 そう思っていたら、この人に出会った。

 この人は言った。

「お母さんに謝りなさい」

 そこで、何でも思い通りにしてくれる神様に祈った。

 人に戻れなくてもいいから別の姿にしてください、と。

 すると、獅子の身体は猫になった。

 猫になったけど、家には食べるものがないから、母さんに養ってもらえるわけがな い。

 家の周りをずっとうろうろしていたら、母さんの声が聞こえた。

「ああ、猫の手も借りたい!」

 家の中に飛び込んだ。

 ネズミがいたけど、獲物の捕りかたなんか分からない。

 逆にこっちへ向かってきたから、逃げるしかなかった。

 噛まれそうになって、逃げるしかなかった。

 飛びかかられて、逃げるしかなかった。

 母さんに叱られた。

「意気地がないね、お前は!」

 本当にそうだ。

 でも、今度はネズミの息が荒くなってきた。

 しまいには、動かなくなった。

 何もしないで、じっと見ていられるようになった。

 疲れてきたんだと分かって、噛みついた。

 生まれて初めての狩りを、母さんは褒めてくれた。

「なんて賢い子なんだろう!」

 だから、生きて帰ってこられた。

 母さんの、望んだとおりに。


 お婆さんは息子と男とを連れて、村長のもとへ行った。

 村長は、何でも思い通りにしてくれる神様を称えた。

「感謝せよ、神様はお前たちに災難を与え、本当の望みに気づかせてくれたのだ」

 村長がそう言えば、それが掟だ。

 息子は狩りに出て親孝行に励むようになった。

 男は命を大切にして酒を飲まなくなり、うかつなことも言わなくなった。


 この地に生まれ、死んでいった狩人たちの血を引く幼子たちよ、よく聞くがよい。

 お前たちは何でも望み通りになることを願うか、それとも何ひとつ思うようにできないことを望むか。

 望みがひとつでも多く叶えばよい、そう思うか。

 それを自ら成し遂げるのでなく、他の誰かに叶えてもらおうとすれば、かように大きな代償を支払わねばならぬ。

 よく聞いたであろうか、これで語り終わった、不思議な出来事を。


 未開の平原で獅子さえも狩る勇猛な部族の子どもたちは、そろそろ眠そうだ。

 満天の星空は今にも降ってきそうだが、燃え盛っていた焚火はもう、ぼんやりと赤く光る消し炭に変わろうとしている。

 星明かりの下で、呪術師シャーマンの古老は語り終わった。

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猫の手を借りると獅子が現れる、平原の民の物語 兵藤晴佳 @hyoudo

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