笑顔の裏に、さみしさ抱えて。

依月さかな

魔女見習いの少年と猫に似たあやかしと恩返し

「これで送信、と——」


 液晶画面に表示されている送信ボタンをタップすると、すぐにぽんと音を立てて打ち込んだ文章が表示された。

 それを確認してからスマートフォンの電源をオフにして、机の上に置く。


 今の時刻は午後八時。

 学校の課題はすでに済ませてあるし、一通りの家事は終わっている。日課のハーブの乾燥は朝に終わってるし何をしよう。

 やるべきタスクがない自由時間なんて久しぶりだった。

 うーん、どうしようかな。急に暇になると何も思いつかない。とりあえずお茶でも飲もうか。


 メッセージはさっき送信したばかりだし、すぐに返信は返ってこないだろう。なにせ相手は海外にいて日本とは十六時間も時差があるのだ。今頃向こうは朝の四時くらいだろうし。

 そわそわした気持ちになって落ち着かない。スマートフォンは部屋に置いていくことにする。持って行くと気になって仕方ないだろうから。


 こんなに返信が待ち遠しいと思ったのは久しぶりだった。

 メッセージアプリでやり取りしている相手は師匠として慕っている幼馴染みの父親だ。彼は凄腕の魔女で、僕の父とは親交が深いらしい。

 魔女とは、あやかしとの共生を目指し、まじないや薬を精製し、未来を読む人間の集団のことだ。僕はまだ魔法を使えない見習いで、魔女としての技量は師匠には遠く及ばない。

 師匠は誠実で家族想いで優しくて、親戚でもない僕のことを気にかけてくれる人格者だ。一人の大人としてすごく尊敬している。物心がつかない頃から両親が家にいなかった僕に、彼は生きていくために大切なことをたくさん教えてくれた。


 師匠は僕が中学の頃は近所に住んでいたんだけど、とある事情で海外赴任になってしまい、今は海向こうの国で仕事をしている。

 だから以前のように直接教えを乞うことはできない。けれど今はインターネット最盛期の時代。メッセージアプリやビデオ会議のアプリで連絡を取り合うことができる。

 それでも時々たまらなく、さみしさを感じることはあるのだけど——。


雪火せっか、ご機嫌だね」


 台所でお湯を沸かしていると、髪の間から大きな三角耳を生やした男性が、きんいろの瞳を向けて僕の顔をのぞき込んできた。

 まるで平安時代からタイムスリップしてきたかのような前合わせの着物と長袴という出で立ち。

 僕の背を軽く追い越すほどの長身な彼は人外の存在だ。頭の上で細かく揺れる白毛の大きな三角耳と、背後で揺れる九本の尻尾。尻尾の先端はオレンジ色のグラデーションがかかっていて、色鮮やかな印象を受ける。

 九尾きゅうびの狐というあやかしを知っているだろうか。彼こそがその伝説級のあやかしであり、いろいろあって今は僕とひとつ屋根の下で暮らしている。


「まあね。最近、お店の売上もいいし」


 僕の店というよりも名義上は師匠の店、なのだけど。


 修行という名目で、僕は小さなハーブショップを経営している。僕の本職は魔女で、メインとする活動はあやかしを対象とした薬を作ることだが、そう頻繁に患者がくるわけじゃない。だから、少しのまじないをこめたハーブグッズを作って売っている。効果のほどは購入してくれた幼馴染みが保証してくれているものの、前までは売上は下がる一方だった。

 売上のノルマがあるわけではないじゃないから焦らなくてもいいのだけど、せっかく任せてくれているんだしがんばりたい。なによりも早く一人前の魔女になりたいし、師匠の期待にもこたえたい。

 だからこそ、良い報告ができるのは嬉しかった。


 火をかけていたやかんが汽笛を鳴らす。

 あらかじめティーバッグをセットしていたポットへ湯を注いでいると、くすくすと楽しげな声が聞こえてきた。


「ふふふ、それは良かったねえ。私も貢献した甲斐があるよ」

「なに言ってんの。九尾はなにもしていないでしょう。お店番だってサボってばっかりだったくせに。売り上げが上がったのは、アルバさんがうちで働くようになってからだよ」


 ポットに蓋をしてから、僕は腰に手を当てて軽く九尾を睨みあげる。

 彼は僕のことがとても好きで、物心ついた時から一緒にいる。今さら睨んだところで怯みはしないだろう。

 案の定、九尾は太い尻尾を機嫌よく揺らし、にこにこ笑っていた。


「まあ、いいじゃないか。アルバくんもお金が欲しくて仕事を受けてくれたわけだし。猫の手を借りていい結果になったのなら、お互いにとってよかったと私は思うよ」

「……うん、まあそうなんだけどね。ていうかアルバさんは猫じゃないから。ばくだからね」

「うん、わかっているよ。可愛いよねぇ、アルバくん」


 ほんとうにわかってるのかな。いまいち会話が噛み合ってない気がする。


 アルバという彼は見た目は完全に真っ白な猫なのだけど、獏と呼ばれる夢喰いのあやかしだ。近所に住み幼馴染みと同居していて、最近はうちのハーブショップでアルバイトをしてくれている。

 彼はとても真面目で義理堅い性格をしていて、なにより優しい心を持ったあやかしだ。そんな彼だからこそ、仕事を任せてみようという気になったんだけど、結果は僕が予想しているよりうまくいっている。


 人間の夢を食べるからなのか、彼は僕たち人間の習慣には詳しい。

 少し仕事を教えたら次の日には覚えてきて、うまくこなせるようになった。ここ数日ではうちに来るお客さんとは仲良くなったみたいで、なぜか近所のおばあちゃんに人気だ。

 最近売り上げがいいのは間違いなくアルバさんの仕事ぶりのおかげ。お客さんだって前よりもくるようになったし。


「改めて、アルバさんにお礼したいんだよね」


 カップにお茶を注ぎながら、ぽつりとつぶやく。


 僕としては店番してくれるだけで十分だった。けれどアルバさんは古びたポップを作成し直してくれて、雑多に置いた商品を整理整頓してくれて、お客さんにおすすめの商品を推すことまでしていると人づてに聞いた。

 義理堅い彼のことだからお礼なんていいって断るだろうけれど、このままでは僕の気がおさまらない。


「なになに? なにかアルバくんにおいしいものでも作るのかい?」

「なんでそういう話になるかな。どうせ油揚げしか食べないくせに、なんでそう食い意地張ってるんのかな。……うん、でもご飯をご馳走するのはいい案かもね」


 年中僕と油揚げのことしか頭にない九尾にしてはいい提案だったと思う。

 あやかしは普通僕たち人間みたいに食事はしないのだけど、彼は幼馴染みとよくごはんを食べている。前に僕が作った料理もおいしいって言ってくれたから、口に合うはずだ。

 たしか冷蔵庫には食材がまだたくさんあったはず。

 残りのお茶を飲み干してから、僕は冷蔵庫の扉を開けた。




 ☆ ★ ☆




「……おかず?」


 タッパーが入ったビニール袋を突き出した僕に、アルバさんはそう言って首を傾げた。


 外は日が暮れ始める夕方の時間。バイトの時は人間に化けている彼も店仕舞いした途端に幻術を解いたらしい。

 癖のない真っ白な髪を高く結い上げた、和服姿の男性。長い袖に隠れているけど、細身の九尾とは違って体格がいいタイプだ。白い頭の上からは細かく動く猫の耳が飛び出ていて、背中からは絶えず動く白毛の尻尾が見える。こうしてみると、アルバさんは獏というより猫のあやかしだ。夢喰いの彼が猫の姿になっているのには理由があるのだけど、その話は今置いておくことにする。


「うん。大したものじゃないんだけど、今までのお礼。アルバさんがきてくれてからすごく助かっているんだ。良かったら紫苑しおんと一緒に食べて」

「ええっ、おれだって金稼がせてもらってるんだからお互い様だろ? 雪火せっかにはこれ以上ないってくらい世話になってるし」


 アルバさんはあやかしなのに、時々人間みたいなことを言う。九尾だったらとっくにタッパーの蓋を開けて全部平らげているに違いない。

 彼に親しみを感じるのは、人間——ううん、年上の男性みたいに感じるからだろうか。僕の兄か、はたまた師匠みたいな優しい保護者のように錯覚してしまうのかも。


「それは僕も同じだって。このあたりではちょっと有名な郷土料理を作ったんだ。きっとアルバさんも気に入ってくれると思うんだよね」

「へぇ。開けてもいいか?」

「うん」


 郷土料理と聞いて、人間のことが大好きなアルバさんは興味を覚えたみたい。

 目の前でぱかりと蓋を開ける。それはカリカリに揚げられた天ぷらだった。昨日の夜に仕込んでおいて朝に揚げたからおいしくできていると、思うのだけど。


「これって、肉の天ぷら?」

「そう。とり天っていうんだよ。にんにくとか醤油で下味をつけた鶏肉に衣をつけて揚げるんだ。外はサクサクとしてて中はふわふわ。すごくおいしいんだよ。味の感想を聞かせてもらえるとうれしいな」


 少し下手に出れば、心根が優しい彼のことだ。きっと快くうなずいてくれる。

 僕の予想は当たっていた。

 アルバさんは素直な子供のようにタッパーに蓋をして、ビニール袋に入れ直した。彼って、ほんとにいいあやかしだよね。


「わかった、遠慮なくもらっとく。ありがとな、雪火せっか

「どういたしまして」


 にぃっと白い歯を見せて笑う彼からは悪意なんて一欠片も感じない。

 容姿も体格もまったく似ている要素なんかないのに、彼を見ていると陽だまりのような師匠を思い出すのはどうしてだろう。


 幼馴染みは日本にとどまることを選び、師匠とは離れて暮らしている。

 その発端となった主な理由は仕事ということになっているが、実際は魔女たちのいさかいに巻き込まれたせいだ。そして僕の両親がそのいさかいに関わっている。つまり、師匠が日本にとどまれなくなったのは僕のせいなんだ。


 師匠には帰ってきて欲しい。

 そう思う資格なんてないのだけど、いつだって心は正直だ。どうしようもなくさみしい気持ちに駆られる時、僕は日本を経つ前に言った彼の言葉を思い返すようにしている。


『近いうちに必ず戻るから、それまで紫苑しおんのことを頼みましたよ』


 その言葉を希望に、今日も僕は魔女の修行を続けるんだ。

 いつか師匠と肩を並べ、一人前の魔女になれる日を夢見て。

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