書き下ろし~パパがいるから、大丈夫!~
Youlife
第1話
東京・
隆介の収入源は、独自に取材して書き上げるルポやエッセイである。締め切りに追われながら、隆介は必死にパソコンのキーを叩いていた。
その時、キーを叩く音に交じり、ドアを何度もノックする音が聞こえてきた。
「ねえ、パパ、ちょっといいかな?」
別室にいた妻のあおいが、パジャマ姿で隆介を手招きした。
その顔は、どこか浮かないように感じた。
「どうした?会社でまた部下にいじめられたのか?」
「違うわよ!これ見てよ」
あおいはバッグから一枚の手紙を隆介に手渡した。
「二柳あおい・東北営業所勤務を命ずる……?」
「そう。以前配属された場所にまた行くことになっちゃった。今回は私だけ、単身赴任で行こうと思うの」
「え?数年前に東北営業所に配属された時は家族みんなで仙台へ引っ越したよね?」
「娘の
「じゃあ、あおいのご両親がこっちに来るのは?以前は時々こっちに来てくれただろ?」
「それがね、新型コロナウイルスの感染がまだ拡大してるから、こっちには来たくないって。確かに、両親とも高齢だからリスクはあるもんね」
「困ったなあ。俺の両親も富山だから、なかなかこっちに来れないだろうし」
あおいは頭に手を置きながらしばらく沈黙したが、しばらくすると、隆介の方を振り向き、指差ししながらまくし立てた。
「悪いけど、私は隆介ががんばるしかないと思ってるのよ。私は時々様子見に帰ってくるから、ご飯の支度と掃除、洗濯をお願いしたいのよ」
隆介は突如あおいに家事担当を振られて、しばらくの間気が動転したが、冷静になると、あおいの背中をさすりながら口を開いた。
「……まあ、今までもあおいが病気で実家に帰ったり長期出張に行ってた時は、俺が一人でフミの世話をしてたからな。何とか自分でやってみるよ」
「じゃあ、頼むわね。隆介だけが頼りだからね!」
~~~~~~~~~~~~~~~~~
こうして、隆介はフリーライターの仕事を抱えつつ、一人で家事全てをこなす毎日が始まった。
「ただいま!」
玄関から、学校帰りの文美音の声がした。
「お帰り、フミ。ご飯出来てるから、あたためて食べろよ」
「はーい」
隆介は部屋のドア越しに文美音に声を掛けると、再びキーを叩き始めた。
その矢先、居間から金切り声が響き渡った。
「もう、いい加減にしてよ!」
隆介は文美音の声を聞き、慌ててドアを開けて居間に駆け寄った。
「パパ、本当に全然料理の才能が無いんだから。何でまた豚肉の生姜焼きに冷凍コロッケなの?しかもこの肉、ちゃんと火が通ってないんだけど」
「ご、ごめんな、フミ。お前は昔から肉が好きだからさ。生姜焼きならお前も食べるだろうと思ってさ」
「それは、ママが作った生姜焼きだから好きなんだよ。それにさ、このお味噌汁、しょっぱすぎるんだけど!」
「だってお前、こないだ俺の作った味噌汁飲んだら、こんな味のしない具だくさんの味噌汁、イヤだって言ってただろ?」
「あのさ、だからと言ってこんなにしょっぱくしちゃダメじゃん!もういい!コンビニでサンドイッチでも買って来るから!んも~全く!ママ、早く帰ってきてよぉ」
文美音はそう言うと、椅子から立ち上がり、そそくさと玄関から出て行ってしまった。居間には、隆介が用意した夕飯がほとんど食べられないまま残されていた。
「はあ……俺、全然料理の才能ないな」
隆介はうなだれながら、文美音の残した夕食を食べた。
食器を片付けると、文美音はコンビニの袋を手に提げて、そのまま何も言わずに自室へと入ってしまった。
「おい!文美音。またコンビニかよ。しかも何で自分の部屋で食べるんだ?」
隆介は声を荒げたが、ドアの向こうから文美音の唸るような声が聞えてきた。
「一人で美味しいコンビニ弁当、食べたいから」
「はあ?」
「だって、パパは美味しいご飯、作れないんでしょ?」
「あのな。元はと言えば、お前が転校するのを嫌がったからだぞ?転校すれば、仙台にはママがいるんだ。ご飯の心配も洗濯の心配も何もいらないのに」
「私はもう転校なんかしたくない!私が三年生の時に転校してきた時、こっちの学校に慣れるのすごく大変だったんだからね。パパには何もわからないのよ!」
「だから、それはお前のワガママなんだぞ!ママなんて仕事で全国あっちこっちに行ってるんだ。お前も大人になったら……」
「うるさい!とにかく今夜はコンビニで夕飯買ったから、一人で勝手に部屋で食べてるから、これ以上私のために何も作らないでいいからね!」
そう言うと、文美音は机を強く叩く音を立て、部屋の中に籠ってしまった。
隆介は、ため息をついて居間に戻り、食器を片付けた。
「はぁ……ママがいる時は、素直でいい子なんだけどなあ」
隆介はベランダに洗濯を干しながら、夜空を眺めていた。
あおいが仙台に引っ越してまだ一ヶ月も経たないのに、小学生の文美音が隆介の料理に見向きもせず、コンビニで夕食を賄い続けているとあおいが聞いたら、一体どう思うだろうか?
「もう二度とパパには任せられない!」と愛想をつかされてしまうことは、想像に難くない。フリーライターとしての収入が上がらない隆介にとっては、外で働きしっかり稼いでくる妻を支えなくてはいけないのに、これでは夫としては失格、と言い渡されたようなもので、到底受け入れがたいことであった。
「まだ一ヶ月も経たないのに、ここで弱音は吐けない。もっと料理の腕を上げないといけないな」
決意した隆介は、近くの書店で家庭料理の本を買い、必死に読みふけった。
「豚肉の生姜焼き……あった!そうか、もっと焼き上げるのに時間をかけなくちゃダメなんだな」
気になったレシピの載ったページに付箋を貼ると、隆介は本を片手に台所へ向かい、早速実践することにした。
フライパンを火で熱し、豚の肩ロース肉をフライパンに並べると、肉は一気に色を変えていった。
「今度は良い感じだ。やっぱりちゃんとフライパンを熱さないとダメなんだな」
隆介はフライパンの様子を確認しつつ、傍らで野菜を刻み、鍋に入れて味噌汁を作り始めた。
その時、何かが焦げたような臭いが次第に室内に漂い始めた。
隆介はフライパンに目を遣ると、猛烈な煙を上げながら肉が黒く焦げ始めていた。
「ま、まずい!火を消すタイミングを逃しちゃった!」
焦げ臭い臭いは家中に広まり、隆介は慌てて窓を開けた。
「ちょっと、何してんのよ!」
背後から文美音の叫び声が聞こえてきた。
文美音はコンロの火を止めると、焼け焦げた肉を見て愕然とした表情を見せた。
「あーあ、これじゃ食べられないよ。もう、何ボケっとしてるのよ。味噌汁もめちゃくちゃ煮立ってるし、こっちもヤバいって」
文美音はパックに残っていた肩ロース肉を取り出すと、フライパンに並べ、再び火をかけた。
「こうやってね、ちょうどいい焦げ目がついた所で火を消すんだよ」
赤身の肉がある程度焦げ茶色に変わってきたところで、文美音は火を消した。
「文美音、お前……一人で出来るじゃん」
「一応、家庭科やってるんですけど、学校で」
そう言うと、今度は冷蔵庫から味噌の入ったタッパーを取り出し、お玉に半分程度だけ掬い取り、弱火で煮だした水にゆっくりと溶かしていった。
「ほら、味見してよ、パパ」
文美音に促されつつ、隆介はお玉で掬い取った味噌汁を小皿に入れ、そっと口にした。
「ちょうどいい……文美音、やるなお前」
「というか、パパが適当なことやってるからでしょ?」
呆れ顔の文美音は、食器を並べて出来上がった料理を分け始めた。
「何ボケっとしてるの?お米分けてよ、お米」
「は、はい」
文美音に命令されながら、隆介は炊飯ジャーから米を茶碗に盛り付けた。
「さ、食べようか」
隆介と文美音は、テーブルに並べられた豚肉の生姜焼きと味噌汁を少しずつ味見程度に食べてみた。
「う、うまい!この肉の焼き加減、焦げてもないし赤身もないし、本当にちょうどいい感じだな」
「そうでしょ?お味噌汁も、この位ならしょっぱくないし、何杯でも飲めるかな」
淡々とした様子で食事を食べる文美音を見て、隆介は情けない気持ちになったが、久し振りに同じテーブルに座って食事を摂る文美音を見て、ほんの少しだけ安堵した。
「悪いな、手伝わせちゃって。本当なら俺が全部やらなくちゃいけないのに。そして、子どもであるお前に余計な心配させてはいけないのに」
すると文美音は、冷静な口調で対面に座る隆介を呼びつけた。
「一人で頑張らなくてもいいよ。パパの言う通り、ママに付いていかずこの家で暮らすと決めたのは、私のワガママだもん。だからさ、一応食事くらいは手伝ってやるよ」
「ああ、すまないな。というか、『食事だけ』かよ」
「掃除と洗濯は、とりあえずちゃんとやってるみたいだからさ」
「そ、そうか……?」
隆介は文美音の言葉を聞き、ちょっとだけ照れ臭い気持ちになった。
料理の本を読んで、今度こそ娘の文美音を見返してやろうと思ったのに、逆に手を借りる結果になってしまったが、その結果、ついさっきまで二人の間に出来ていた深き溝が、少しずつ埋まり始めているように感じた。
「へえ、料理の本、買ったんだね。あ、ミネストローネとかも載ってるんだ。パパ、今度一緒に作って見ない?」
「ああ、じゃあ、一緒にやろうか」
文美音は、隆介の買ってきた料理本を興味深く眺めながら、次に作るレシピを隆介に相談していた。
「あおい……色々先は思いやられるけれど、二人で何とか乗り越えられそうな気がするよ。お前もそっちでがんばるんだぞ」
隆介は頬杖をついて文美音の顔を見つめながら、文美音に聞こえない位の小さな声で、あおいへ向けた言葉をそっと呟いていた。
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