猫の手を借りる正しいやり方
烏川 ハル
猫の手を借りる正しいやり方
「おいおい、いったい僕は何をしてるんだ!?」
ハッと我に返って、自分自身にツッコミを入れながら、僕は読みかけの漫画を閉じた。
男でも楽しめる少女漫画だ。ようやくヒロインが、男の恋心に気づく場面だった。僕は思いっきり感情移入してしまい、夢中になって読んでいたのだが……。
それどころではなかった。今日は大好きな
ベッドの近くに落ちていた漫画を手に取り、本棚に入れようとしたところで、たまたまページを開いたのが失敗だった。
「おお、この場面か。ここからが面白いんだよなあ」
何度も読んだ本なので、内容は完全に頭に入っている。それなのに、なんだか懐かしくなって、つい読み始めて……。
三時間も無駄に消費してしまったのだ。
慌てて部屋の片付けを再開すると、まるで僕を
「にゃあ」
窓の外に目を向ければ、いつもの三毛猫だった。
僕の部屋は一階なので、ベランダではなく、小さな庭のようなスペースがある。そこに時々、この猫が入り込むのだ。かなり人懐っこい猫であり、前に僕が窓を開けてみたら、部屋まで上がり込もうとするくらいだった。
「悪いけど、お前と遊んでる暇はないんだよ……」
呟く僕の頭に「猫の手も借りたい」という慣用句が浮かぶ。
猫の手を借りる。それは本当に可能なのだろうか。
このまま猫を部屋に上げても汚されるだけだから、きれいに手足を拭いた上で入ってもらって……。
「いやいや。それで本当に片付けを手伝ってくれたとしても、あちこちに猫の毛が落ちて、かえって掃除の手間が増えるだけだろう?」
独り言と共に、僕は首を横に振る。
そもそも猫には、こちらの意図が正しく伝わらないはず。猫の手を借りたりしたら、部屋を片付けるどころか、かえって散らかすだけだ。
一瞬でも「猫の手を借りる」なんて考えたのが恥ずかしくなり、僕は冷静さを取り戻すのだった。
部屋を掃除している間に、庭の猫は姿を消していた。
「ふう、これで……」
ちょうど片付け終わったタイミングで、ピンポーンとインターホンが鳴る。
優香さんが来てくれたのだ。
「お邪魔します」
「さあ、ここに座って!」
用意したクッションを、彼女に差し出す。
「飲み物はアイスティーでいいかな?」
「うん、ありがとう」
作り置きの紅茶を冷蔵庫から出して、グラスと一緒にテーブルの上へ。
それから僕も、彼女の対面に座って……。
「今日はありがとう。来てくれて嬉しいよ、優香さん」
「あら、こちらこそ」
彼女の笑顔を見るだけで、天にも昇る心地だった。同時に、好きな女の子と二人きりという状況に、極度の緊張も感じてしまう。
このままでは会話が続かないかもしれない。
そんな焦りが、僕の心の中に生まれた時。
「にゃあ」
「あら、猫ちゃん!」
外から聞こえてきた鳴き声に、彼女は目を輝かせた。座ったばかりのクッションから立ち上がり、窓に近寄ろうとする。
「猫ちゃん飼ってるの?」
「いや、飼ってないけど……。でも、よく庭に入り込むんだ。今日なんて、これが二度目だよ」
僕も腰を上げて、彼女の隣に並んだ。髪の香りが、ふわっと鼻をくすぐる距離だ。
二人で庭の猫を見ながら、言葉を続ける。
「人懐っこい猫だからね。窓を開けたら、部屋にも入ってくるんじゃないかな」
「本当!?」
ぜひ試して欲しい。彼女の瞳は、そう語っていた。
「にゃあ」
実行すると、本当に猫は入ってきた。
「わあっ、凄い!」
感激の声を上げながら、優香さんは猫を抱きかかえる。猫の方でも大人しく、されるがままになっていた。
「優香さん、猫好きなの?」
「うん! ほら、これ見て!」
左手で猫を抱えたまま、彼女は右手でスマホを差し出す。真っ白な猫の写真が、待ち受け画像になっていた。
「実家で飼ってる猫ちゃんでね。ニャンニャンって名前なの」
ニンマリとする優香さん。今まで見てきた中で、一番の笑顔だった。
「いいわね、ここ。猫ちゃんが飼えるアパートだなんて」
「いや、普通にペット禁止だけどさ。でも勝手に入ってくるなら、仕方ないよね」
この様子ならば、優香さんは猫目当てで、また僕の部屋に来てくれるのではないだろうか。
「私、一人暮らしで寂しいと思うことは少ないけど、猫ちゃんと遊べる時間が減ったのだけが残念で……」
猫を話題にする限り、会話が途切れる心配もなさそうだ。
猫の手を撫でながら、優香さんは語り続ける。そんな彼女の様子を見て、僕は思うのだった。
僕にとっては、これこそが現実的な、そして効果的な「猫の手を借りる」なのだろう、と。
(「猫の手を借りる正しいやり方」完)
猫の手を借りる正しいやり方 烏川 ハル @haru_karasugawa
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