ワイ猫、ご主人を手伝うも相手にされず咽び泣く

御角

ワイ猫、ご主人を手伝うも相手にされず咽び泣く

 ワイは猫である。名前はイッチ。今変な名前だと思った猫達よ、実はワイもそう思っていた。この名前は、ご主人の趣味だ。

 ご主人は本の虫ならぬパソコンの虫で、暇さえあれば掲示板に張り付き、キーボードを軽快にカタカタと鳴らし続ける男だ。イッチとは、その掲示板のスレッドを立てた本人、いわゆるスレ主のことなんだとか。

 今日もご主人はパソコンに張り付き、カタカタとキーボードを打っている。ただし、いつもと違うのはその音が全く軽快ではないことだ。少し打ってはため息一つ、また打っては伸びを一つと全く楽しそうではない。

 猫のワイはそれをただ、部屋の隅でゴロゴロしたり、家具のアスレチックを楽しみながら眺めることしか出来ない。ああ、ワイが人間だったなら、ご主人の苦労も半分に出来るのに。ワイに何か、何か出来ることはないだろうか……。

 ぐるぐると考えながら机の下を回っていると、いつの間にかご主人はキーボードを叩くのを止め、誰かと話しているようだった。パソコン越しにスーツのおじさんと目が合う。

「なんだ浮谷、猫飼ってたのか」

「ええ、まあ。でも忙しくて中々構ってあげられなくて……」

「納期が近いからな……。本当はテレワークじゃなくて本社で打ち合わせが出来たらベストなんだが」

「今は難しいでしょうね……。自宅待機が当たり前ですから」

 何やら難しい話をしているようだ。もしかしてワイが映り込んだら邪魔になるだろうか……。

「はぁ……本当、猫の手でも借りたいよな」

 猫の手でも借りたい、そうスーツのおじさんはぼやいた。本当ですねぇ、とご主人も同意を示している。なるほど、人じゃなくてもいいのだ。ならばワイはワイなりの、猫なりの手伝いをしようではないか。

 ご主人は通話を終え、またキーボードを打つ作業に入った。休み休み打つのは辛いだろう。どれ、ワイが手伝ってやろう。

 ピョン

 ガチャガチャガチャ

「あ、こらイッチ! パソコンに乗るなっていつも言ってるだろう」

 そう言うとご主人はいとも容易くワイを持ち上げ、フローリングにそっと下ろした。手伝ったのに怒られたことがショックで、ワイは泣いた。


 しばらくして、ご主人は休憩に入ったようだった。コーヒーを優雅に飲みながら、掲示板をチェックしキーボードを楽しそうに叩いている。一通り叩き終わった後、ご主人はまた仕事のタブを開き、そのままトイレへと向かった。

 先程は失敗してしまったが、今度こそ、ご主人の助けになってみせる。きっとトイレから帰ってきたらご主人はびっくりするだろう。もしかしたら褒めてくれるかもしれない。ナデナデのオマケつきが理想である。

 冷たいフローリングから程よく温まっている椅子、そしてパソコンへと小気味良く飛び移っていく。そして慎重にキーボードを叩こうとしたその時

 バシャ

 水!? いや、これは先程ご主人が飲んでいた……まずい。これは非常にまずい。

 コーヒーのかかったワイはその気持ち悪さよりも先に、申し訳なさが募ってしまった。同じくコーヒーにまみれるご主人の相棒がプシューと悲鳴を上げている。

 そうだ、ワイは、所詮は猫だった。ご主人の役に立つどころか迷惑をかけてばかり、その事実が悲しくて、悔しくて泣いた。何度も何度も咽び泣いた。

「イッチー? どうした……うわっ」

 ご主人がこの惨状に気がついてしまったようだ。もうワイは、この家には居られないのか……?

「お前、びしょびしょじゃん! 風呂だ風呂!」

 そう言うとご主人は濡れるのも構わずワイを抱き上げ、拷問部屋へと連れていった。これは罰だ。ワイが犯した罪への罰……。嫌いな水に打たれながら、ワイは悟りを開いた。


 ワイの毛がフサフサに戻る頃には、パソコンにかかったコーヒーも綺麗に拭き取られていた。それでもキーボードはダメになったらしく、ご主人は落ち込んでいた。罪悪感がワイを襲う。ワイは慰めるように、ご主人の足にまとわりつくことしか出来なかった。

「全く、お前ってやつは……まあしょうがないか。癒されるしな!」

 ご主人がワイを持ち上げすりすりしてくる。何故? ワイは悪いことをしてしまったのに、ご主人の何よりも大切なパソコンをダメにしてしまったのに。

「忙しくて構ってやれなくてごめんな。幸いUSBにバックアップ取ってあったから、別のパソコンでなんとか早く仕事終わらせて、そしたらまた死ぬほど遊んでやるからなー!」

 すりすり、すりすり。なんと、ご主人はワイの行動を見透かしていたのだろうか。ワイの心も、全部、わかってしまうのだろうか。ワイはまだ、この家にいても良いのか……?

「ニャー」

「お? なんだ、怒られなかったのがそんなに嬉しいのか? このこのぉ!」

 モフモフ、モフモフ。ご主人の手は温かくて気持ちがいい。そっと、ワイの手を重ねる。

「はは、貸してくれるのか? ちょうどいいや」

 ぷに

 ご主人はワイの肉球を触り、掲示板を見ている時の何倍もほぐれた表情をしていた。

「ニャー」

 そのことが、役に立てたことが心の底から嬉しくて、ワイはまた鳴いた。

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