終話 私は猫でいい


「これもうまいな」

「そ、それはどうも……」


 お兄さんはやっと手を離してくれたけど、私は何だか疲れてしまった。

 なんで急に距離感がおかしくなったの?

 ……はっ、まさか!


「お、お兄さん、まさか、お兄さんも目が節穴になってしまったんですか!」

「節穴?」

「お姉様より私が美人に見える病気です! お姉様と私、どちらが美人と思いますが?!」

「現段階では、オクタヴィア嬢の方が美人だろうな」

「あ、よかった。お兄さんは正常のままだ」


 相変わらず水色の目は冷たい。

 でもその冷たさ愛想のなさに、私は心からほっとした。お兄さんには、なんとか伯爵様とか、ローナ様の兄上様とか、そういう人たちと同じ状態にはなって欲しくなかったから。

 でもその思考が筒抜けだったのか、お兄さんはお茶を飲みながら少し眉をひそめて、面倒くさそうな顔をした。


「お前に魅了された連中と一緒にするな。お前が面白いのは間違いないが。……念のため言っておくが、異界にいたことがあるから、異界のものに興味が向くだけだ」


 あ、なるほど。

 お兄さんは魔獣には優しい……いや、優しくはないけど寛大だからね。

 魔獣が猫のふりをして周りに集まっても追い払わないし、あの黒い犬も犬のふりをしている間はそばにいても怒らない。

 なるほど。

 私もその一つか。うんうん、なるほどね。それはそうだよね。しかも私は、成長が遅くて子供みたいな姿だからね!


 ……なのに、なぜ私はがっかりしているんだろう。胸が苦しいなんて思うんだろう。

 私は自分の気持ちに無理矢理に蓋をして、ポケットに入れていたものを取り出した。


「ところで、これ、髪についていたんですが」


 手のひらに乗せて差し出したのは、小さな赤い宝石がついた飾りだ。

 多分、馬車の中で髪を整えてもらった後に髪についていたから、お兄さんが付けたんじゃないかと思う。紐に通して髪を結んだところにつけられていたらしい。

 メイドたちは、こんな飾りは所有していないと言っていた。だから、お兄さんのものだ。でも、なぜ私の髪についていたのかがわからない。

 でも、お兄さんはチラリと見ただけで、目を背けてしまった。


「あ、あの?」

「それはもうお前のものだ。そのくらいの飾りなら邪魔にならないだろう」

「それは、このくらいは気にならなかったのですが、でもお姉様はかなり珍しい宝石だと言ってましたよ? ルビーっぽいですけど、これは何ですか?」

「異界の宝石だ」

「えっ」

「だが、宝石としてはそれほど価値はない。どちらかと言えばお守りとしての方が有効だ。先日のように異界の存在が手を出そうとした時に、多少の防壁になるだろう」

「それは、役に立ちますね! でも……」

「できるだけ、毎日身につけておけ」


 お兄さんはそれだけ言って、私の手のひらからつまみ上げた。

 座る位置を変えて、私の背中に回る。振り返ろうとしたら頭を手で抑えられてしまった。痛い。

 でも髪を触る手は相変わらず優しくて、思わず動きを止めている間に、簡単に束ねただけの髪につけたようだ。お兄さんが元の場所に戻ってから手で触ると、冷たい金属と石の感触があった。



「本当にもらっていいんですか?」

「お前は魔道具はあまり好きではないのだろう? ……私の母や姉もそうだった。幸い、私はそういう過敏さはないから、本当の苦痛はわからないがな」


 お兄さんは、それだけ言って黙ってしまった。

 何となく声がかけ難い雰囲気で、仕方なく私は猫を撫でることにした。

 大きいのに軽い不自然な猫たちは、私に撫でられても嫌がらない。でもお兄さんの方をじっと見ている。

 私は猫をお兄さんの近くに置いてみた。猫のふりをした魔獣は、するりと私の手に体を擦り付けてからお兄さんの体にくっついた。他の猫たちもぺたりぺたりと体を押し付けていく。

 お兄さんは何も反応しない。目もくれない。でも、いつものように猫たちを押しのけることもしなかった。


「……あの、お兄さんのお母様とお姉様は、今どこに……」

「二人とも長生きはできなかった。もう十年以上前のことだ。だから気にするな」


 何でもないことのように言うけれど、猫たちはピッタリとくっついて離れない。だから私も、お兄さんの背中にぎゅっとしがみついた。


「……何をしている」

「私も猫だと思ってください」

「猫にしてはよくしゃべる」

「では、にゃーと鳴きましょうか?」

「馬鹿馬鹿しい。お前、外から見るとどんな風に見られているか、わかっているのか?」

「え、ただの猫でしょう?」

「……では、そこで青ざめている男に聞け」

「青ざめて?」


 首を傾げながら私は振り返った。

 そこにいたのは、ここにいるはずのない人。青ざめたイケオジ魔導師様だった。ついにここが見つかってしまったのか。……そう思うと、とても残念な気がする。なぜかはわからないけど。

 でも、私は取り敢えず顔色の悪いイケオジ様に声をかけてみた。


「ロイカーおじさん。顔色悪いけど、大丈夫?」

「……あー、うん、まあ大丈夫だ。だが……その、ちび嬢ちゃん。俺は伯爵様になんて報告すればいいんだ?」

「報告って?」

「つまり……公爵閣下! そういうつもりではないんですよね?」

「これは猫だ。本人が言っているから、猫でいい」

「…………いや、それは無理でしょう!」


 ロイカーおじさんは頭を抱えている。

 お兄さんはいつも通りに冷たい目で見ているけど、その横顔は笑っているように見えた。

 いや、これは絶対に笑っているよね。お兄さん、実は結構優しい人だし、よく笑う人だから。

 わずかに和んでいる横顔を見ていたら、私の心も穏やかになっていく。


 だから私は……しばらく異界の猫扱いでいいかな、と思いながらお兄さんの背中にぺたりとくっついた。




     ◇ 終 ◇

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姉の婚約者に口説かれた。どうやら王都の男どもの目は節穴らしい。 ナナカ @nana_kaz

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