第46話 血統
「お兄さん、ちょっと鏡に入ってください!」
猫をそっとのけてから、私はお兄さんと肩を並べるように鏡を覗き込む。お兄さんは珍しく嫌な顔をしなかった。ただ面倒くさそうに鏡ごしに私を見た。
「これでわかったか?」
お兄さんの目は水色のままだ。
私の疑いを理解しているのか、コップをふわりと浮かべてくれたけど、やっぱりお兄さんの目の色は、一瞬金色に光っただけで水色のままだった。
私は手近の猫を抱き上げて鏡に映してみる。
猫も面倒くさそうに鏡を見てくれたけど、魔獣の銀色の目は、見た通りの銀色だった。
そして、私の目はずっと銀色。
……えっ? これはどういうこと?
混乱していると、頭の中でパリンと音がした。途端に銀色の目がいつもの琥珀色の目に戻っていた。
「あ、戻った」
「ゼンフィール侯爵家のクズ男は、お前の目の色を見る前に目がやられたようだが、お前は魔力を使うと銀色の目に変わるようだ」
「……もしかして、セレイス様が言っていた、本当の色というのは……これ?」
「本当の色という表現は間違っているな。銀色の目は異界の証だ。だがお前は多少の生育の遅延が起きているが、こちらの空気に適応している。だからこちらの色がお前の本来の色だ」
そうなのだろうか。
……そうだったらいいな。銀色の目は綺麗だとは思うけど、この世界では異質すぎるから。
普通の色に戻った目をじっと見ていたら、お兄さんが鏡を取り上げ、代わりに新しいクッキーを持たせた。
「アズトール伯爵たちは口をつぐんでいるが、おそらくお前は異界の血が入っている。魔力が普段は低くなっているのは、この世界に適応するためだろう。だがお前は銀色の目になるくらいには先祖返りを起こしている。潜在的な魔力は魔族並みだろうな」
「……この髪の色も、先祖返りでしょうか」
「多分そうだろう。そういう魔族がいたという記録はある。今はそういう話は聞かなくなっているがな」
「絶滅したんですか。……何だか、寂しいですね」
「異界では消えただけで、アズトール領で生きているのではないのか? 白い髪の人間はいなかったか?」
「うーん、年寄り以外は、白い髪は多分……あ」
私は、慌てて口を閉じた。
これはアズトール領の秘密かもしれない。いや、お兄さんがいったことが本当なら、アズトールには白髪銀目の人間がどこかに隠れているかもしれないじゃないか。
そっとお兄さんを見てみる。
水色の目はいつも通りに冷たく見えるけど、口元が笑っていた。
「……ひっかけようとしましたね?」
「お前の危機感を試しただけだ」
「ひどい! もうクッキーあげませんから!」
私はお兄さんの手元にあったバスケットを取り上げた。
それから、ふと井戸を見る。
「そういえば、お兄さんはここでどんな愚痴を叫んでいるんですか?」
「愚痴?」
「いつもここにきているじゃないですか」
「ああ、そういうことか。残念だが、私はここの管理をしているだけだ。その井戸は、元は異界につながる穴だからな」
「……穴」
私はもう一度井戸を見た。
そんな秘密が……いや、異界と繋がる穴って、大変じゃないですか?!
「まさか、異界から魔物たちが出てくるところだったんですか!」
「その危険はあった。今は全てを吸い込むただの井戸だ。元々、王都は異界の穴を塞ぐために作られたものだから、稀にこういう穴ができてしまうんだ」
「へえ……え?」
「万が一、全ての封印が弾けたとしても、王都の城壁があるから外には出ない。やがてはこの地の全てが崩れて穴が塞がれる。それがこの王都の役割だ」
「……あの、それ、ものすごい秘密なんでは……」
「秘密だな。知っているのは両手で足りるくらいだろう」
「…………なぜ私に、そんな話をするんですか」
「なぜだろうな」
お兄さんはお茶を飲んだ。
私もお茶を飲んでみるけど、味がほとんどわからない。
……知りたくないことを知ってしまった。お菓子でも食べないとやってやれない。
私はバスケットから別のお菓子を取り出した。
こちらは普通のフルーツケーキのようだ。ちょっと上品なフルーツ風味。庶民にとっては贅沢なお菓子だけど、この普通さが落ち着く。
もぐもぐと食べていると、お兄さんがじっと見ていることに気がついた。
「お兄さん、外では食べないんでしょう? これはリグが入っていないから、無理に食べなくていいですよ」
「お前の家の料理人は、菓子作りがうまいようだな」
「そうでしょう。でもこれはあげませんよ。毒かもしれませんから」
「お前が食べているのなら、毒ではないだろう」
お兄さんはそう言って、私の手をぐっと掴んだ。
え、ちょっと、それはまさかっ!
「新しいのをあげますから、そっちを食べてください!」
「毒かもしれない」
お兄さんは私が持っているケーキを食べた。
私の食べかけなのに!
しかも全部食べた! ひどい!
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