体験できます、罪の味! 百合Ver.

冬寂ましろ

その研究室でアリサはひとりでがんばっていた。食べ物のために…



 汚れた白衣の袖で口から垂れたよだれを拭う。いろんな色の培地を満たしたシャーレにピペットで一滴ずつ垂らしているのは、こないだ汚染地区の酒蔵で発掘された麹菌を薄めたものだ。

 ……うまく培養できれば酒が飲める。

 あのふくよかな味、ふんわりとした香り。飲みたい一心で、この単純作業を続けている。残り少ない米をどう手配するんだとか、贅沢品統制委員会の目からどう逃げるんだとか、そんな現実的なことは、この際どこかに置いとく。

 白い壁に灰色の機材ばかりが並んでいる研究室で、ひとりがんばる。あ、またよだれ出ちゃう……。


 パタンッッッ!

 ビクッッッッ!


 ……あーあ。ピペットの中身を全部入れちゃった。


 雑菌が入るので、あふれた試料は元に戻すことはできない。たぷんたぷんと水浸しになったシャーレを前に、もったいないとがっかりする。


 扉を乱暴に開けて驚かした彼女が、うなだれている私へ空気より軽くあいさつをする。


 「よっ」

 「ハヅキ! 私に何押し付けてんの! 面倒な仕事ばっかり! つーか、この1週間、どこ行ってた?」

 「どこって。言わなかったっけ? 西の戦略技研だけど」

 「そこは汚染地区に飲み込まれて封鎖になったはずじゃ……」

 「そうなんだよー。いやあ、帰る途中で乗ってた装甲車の燃料切れちゃってさ。死ぬかと思った……」


 私は彼女の肩をつかんで、ぶんぶんと揺さぶる。


 「なぜ、わざわざ死に行くんだよっ! ここで生きてろよ!」

 「んー、うちらはたまたま頭良いからみんなに生かされているだけで……」

 「違うだろ!」

 「あー、子供を産める私の身体機能については、人類進化研の奴らが人工子宮で代わりを……」

 「そうじゃないだろ!」

 「うー。じゃ、なんだろ。私が生きてる価値って? あ、アリサは私に恋でもしてるとか?」


 私は彼女の肩をつかんでた手をゆっくりと離す。

 こいつは……。

 彼女はにんまりと笑ってる。その目には真っ赤になっている私が映ってる。面白がるように彼女は言う。


 「でさ、頼んでたのはできてるのかな?」

 「……知らない」

 「そっか。もっとアリサがかわいいことを私が証明してあげようか?」

 「ちょ、やめ……。あ……。わかったから」


 抱きしめる彼女の腕から逃れて、近くの机にかぶせていた布を取る。


 「ほら。言われたとおりに機材集めて、組み立てたはしたけど」

 「おお、上出来。さすが天才アリサちゃん。我が相棒」


 彼女が目を細めて微笑む。

 この顔。ああ、もう。

 いつもこうして彼女は私を何かに巻き込む。


 「ほい。これが戦略技研からのおみやげ」


 彼女が放り投げてきたそれを一瞬で理解して、私は生卵でも投げられたようにやさしく慎重に受け取る。


 「ばかぁぁぁ! 何投げてんの! これ1個で食料1年ぶんもするんだよ。知ってんでしょ。いまはなき保坂工業で作ってた神経バイパスのトロードなんだよ!」

 「うん、知ってる。これが最後のピースなんだ」

 「ハヅキ、私に何をさせてたの?」

 「ふふふ、やっとできたんだよ。味と匂いの完全再現が」

 「まさか」

 「そうなんだ。これで料理を楽しめるようになったんだ。仮想的にだけどね」

 「本当に?」

 「本当。私が嘘ついたことあった?」

 「ないけど……」

 「ほら、人類最後の砦とか言ってたくせに食料統制が研究所でも始まったからね。そもそも調味料がないから、料理なんて贅沢品になっちゃったし」

 「まあ……」


 いろいろなことが頭を巡る。うーん。管理委員会に言うの、めんどくさいしな……。

 私は顔を上げて彼女に小声で言う。


 「……私たちだけで、こっそり楽しむのはあり?」

 「ありあり。そうこなくちゃ」


 私と彼女は、トロードを首筋につけ、視覚を投影する薄いゴーグルをかける。調整していた機材の電源を入れると、ぶおんという音といっしょにシステムチェックのメッセージが流れていく。それが一通り終わったあと、白い空間にひとつのテーブルがあった。そこまで歩こうとすると、脳から体へ伝える神経信号をトロードが機材にバイパスし、仮想の世界へ流していく。現実には座っているだけの体が、私たちが作った架空の世界を歩き始める。


 「え。これだけ?」

 「まあ、ちょっと時間がなくてさ」


 テーブルには白い小皿がならんでいた。


 「左から、塩、砂糖、レモン、醤油、そしてビールだよ」

 「味見ぐらいはするけど……」

 「がっかりした?」

 「それは、まあ……」


 とりあえず指先につけてひとなめしてみる。塩はしょっぱいし、砂糖は甘い。レモンは酸っぱいけれど、それとともにしばらく嗅いでいない爽やかな香りがした。まあ、ここまでは予測できる。発掘されたアプリケーションのデモでもよくある。この先はいろんな人が放り出してきた領域だ。慎重に醤油を舐めてみる。


 「お、醤油は再現度高い」

 「めんどくさいんだよ、それ。アミノ酸の塊なんだけど、微調整が必要なの。0.1単位で別物になっちゃう」

 「ああ、わかるわかる。ガスクロマトにかけて成分出して、そこから合成しても、なんかちょっと違うんだよね」

 「がんばったんだよ」

 「そうかそうか。えらいぞ、ハヅキ」

 「もう。頭撫でるのは私の役なんだから」


 次はビール。コップ一杯飲みたいが仕方がない。小皿を取り、ひとすすりする。


 「ビールは……。おお、それっぽい」

 「苦みの再現が難しくてね。何度も調整していたから、なんかもうつらかった。現実に戻っても口の中が苦い感じがしてさ」

 「あはは、おつかれさん」


 結構よくできていた。死にかけてまでやったことにしちゃ、なかなかいいじゃないか。

 彼女はそんなふうに喜んでる私の顔を見て、小悪魔のように語りかける。


 「で、やってくれるんでしょ、このあと」

 「……ハヅキはいつもそれ」

 「だめ?」

 「だめじゃないけど……」

 「どうすればやってくれるの?」

 「ちょっと、そんな顔しないでよ」

 「ほら、弱いでしょ、私のこの顔」

 「知っててやるか。……まあ、引き取ってなんかしてあげるよ」

 「さすが、我が相棒」

 「もう」


 それにしてもお腹すいた。仮想で何を食べても実際に腹が膨れることはないし。配給の芋でも、かじるかな……。






 それから数日。

 架空の白い部屋のテーブルで、架空の七輪の上に架空の肉がじゅわじゅわと焼けている。


 「焼肉!! わー、何年ぶりだろ。アリサすごいな」

 「ふたりで食べちゃおうよ」

 「うひゃー、しかもご飯まで」

 「ビールができたのなら焼肉だろうと思って。でもハヅキは白飯派でしょ。だから用意はしてみた」

 「さすが。私のことよくわかってるね」


 彼女は現実にはない肉を噛みしめて嬉しそうに笑ってる。


 「やっぱりいいなあ、この甘辛味。肉の脂がからんでさ。ご飯とよく合うんだ、これ」

 「ひとくちこいつを口に放り込んで、冷たいビールをぐびぐびっと。うはぁ、たまらないなー」

 「味や匂い、温度感までよく再現できてるね。服に匂いが浸み込みそう。消臭剤欲しくなっちゃう」

 「うん、結構調整はしたよ。まあ、その苦労したぶんはあったとは思う」

 「ありがとう。だから好きよ、アリサ」

 「はいはい」






 ひととおり堪能したあと、ゴーグルとトロードをがばっと外す。現実に戻ったふたりは、何とも言えず顔を見合わせた。


 「……お腹すいたね、アリサ」

 「ハヅキ、それはだめ。肉はだめだから。虫由来のたんぱく質ならいくらか調達できるけど……」

 「でもさ、あの血が滴っていそうな赤身の肉と、白くてほんのり甘い脂身が焼けたところを、実際に食べたくなっちゃって」

 「うん、わかるよ。わかるけど、それをやったら犯罪だよ」

 「抵抗できるの?」

 「……無理」


 翌日。種の保存研究棟から牛が一頭消えて大騒ぎになった。






 ふたりでいつもの研究室の雑な椅子に座り、ふたりして頭を抱えていた。私は天井を見上げたまま、そばでうなだれている彼女に声をかけた。


 「罪の意識が半端ないな……」

 「まあ……。ね……」

 「あんなことしておいてなんだけど……。肉オンリーの焼肉は結構つらいね」

 「ひどいな、アリサ。それはひどいよ。まあ、そうなんだけど……」

 「うーん」


 額を手で押さえながらうめいていたら、彼女がこんなことを言い出した。


 「そうだ、アリサ。身近にあるものを再現するからいけないんだよ」

 「どういうこと?」

 「もう調理方法もよくわからなくて、作るのがむずかしい料理を仮想で再現すればいいんじゃない?」

 「ああ、そうか。気軽に手を出せるものでなければ、あんなことをしなくて済むようになると……」

 「そうそう。たとえば海外のよくわからない料理とかさ」

 「うーん」

 「アリサ、お願いできる?」

 「……なんか考えてみる」


 それから数日後。

 私たちはまた架空の白い部屋の架空のテーブルの前にいた。私は彼女へ念のため確認する。


 「聞き取りや成分表から再現したから、本当の味かどうか、よくわからないよ?」

 「まあ、いいじゃない。食べてみようよ」

 「ハヅキがそれでいいなら……」

 「でさ。これなに? さっきからやたら臭いし、テーブルにアザラシが一頭転がってて、とても絵面がシュールなんですけど」

 「キビヤックというものらしいよ。アザラシの腹を開けて、海鳥を突っ込んで、土に埋めたものだとか」

 「アリサの趣味にとやかく言わないけどさ。さすがにどうよ、これ」

 「大昔の漫画の本に描かれていて、ちょっと試してみたかったんだ」

 「いるよね。漫画飯を再現したくなる人」

 「これならリアルでは再現できないでしょ?」

 「そうだけどさ……。どうやって食べるの?」

 「腹に手を突っ込んで、海鳥を取り出すんだって。それのしっぽのとこをちぎって中身をすするみたい」

 「ふーん。まあ、やってみますか」


 ぶにゅ。ごりっ。ちゅーちゅー。

 彼女から食料を食べてるとは思えない、ものすごい音がする。


 「ハヅキ、どう?」

 「めっちゃ肥溜め臭がする……。味はブルーチーズみたいな? わりとクリーミーかな……。でも舌がヒリヒリしてくる」

 「アンモニアが多いからね。成分表を見るとそんな感じ」

 「それで。さっきから気になってるんだけど。なんでアリサは食べないのかな?」

 「いや、私はくさやとかダメでさ」

 「はあああああああ? じゃあ、なんで作った!」

 「好奇心」

 「ひどい。ひどいぞ!!」


 ぽかぽか殴りながら抗議してくるハヅキに、テーブルの上に置いといたスープ皿を手に取って差し出す。


 「ほら、口直し。このスープ飲んで」

 「ありがと。……うーん、なにこれ? 磯臭いね。鶏の薄いスープみたいな味だけど」

 「ウミガメのスープ」

 「ああ、昔よく聞いた飲んだら死んじゃうあれ?」

 「そうそう」

 「あぁーりぃーさぁー!! なんでそんなのを飲ますの! アリサも飲めー!!」


 ハヅキに引き倒れて口を無理矢理開けられ、口移しでスープを流し込まれる。ごっくん。


 「……味薄いな。なんで、これで死ぬんだろ?」

 「さあ」

 「現実でやろうとしたら、いまだにいる環境保護団体に撲殺されるけどね」

 「ああ、そうか。敵は奴らだ」


 こんなんじゃ敵を作り放題だ。うーん、この方向はダメだったか。馬乗りになってた彼女が私から離れると、腕をつかんで立たせてくれた。


 「そんなアリサに私からプレゼント」


 パチンと指を叩く彼女。テーブルの上に毛むくじゃらだけど箱に拘束された動物が出る。それは、やたらキーキー鳴いている。


 「ハヅキ、なにこれ……」

 「猿の脳みその生き造り」

 「なんで動いてんのよ」

 「これも味かと思ってさ」

 「いやぁぁぁー。やだあぁぁぁー。倫理感ハンパないし、やたらエグいし……」

 「ほら、仮想だから。あくまで仮想で、本当にはやっていないから。だから大丈夫」

 「まあ……。食べるけどさ」


 スプーンを白い大脳皮質に突き刺す。とたんに猿の体が痙攣する。うわ……。恐ろしく食欲を減退させるけど、彼女がこれまでの仕返しとばかりにらみつけてくるので、仕方なしに一口食べる。


 「うーん? おいしいのかな、これ」

 「成分表通りだけど」

 「味のない白子というか……。脳みそ系はみんなこんな味なのかな。とりあえず醤油が欲しい」






 ひととおり堪能したあと、ゴーグルとトロードをがばっと外す。現実に戻ったふたりで何とも言えず顔を見合わせた。


 「……お腹すいたね、アリサ」

 「ちょっと。仮想は腹を下す心配がなくて、現実の倫理には違反せず、純粋に味を楽しめるからいいの。リアルでやっちゃだめだよ」

 「いや……。でもさ。リスクを冒してこそ食という気になってきたよ」

 「わかるけど……。それをやったら犯罪だよ」

 「抵抗できるの?」

 「……無理」


 翌日、種の保存研究棟からアザラシと海鳥とウミガメとサルが一匹ずつ消えて大騒ぎになった。ただし、2日後にサルは生きたままふらふらと戻ってきた。






 ふたりでいつもの研究室の雑な椅子に座り、ふたりして頭を抱えていた。彼女が何かをあきらめたように言う。


 「だめだよ、こんなの」

 「それ。ほんとそれ。管理委員会にバレたら死刑もいいとこ」

 「食にどん欲な我が国民性も考え物だね」

 「いや、ハヅキがおかしいだけだと思う」

 「何を言うアリサこそ……」


 しばらくうめいていたら、彼女が飛び起きて良いこと思いついたふうに言う。


 「なら、食べ物以外ならいけるんじゃない?」

 「どんなのよ」

 「木とか石とか」

 「味があるの、それ」

 「醤油をかけたらいけるんじゃないの?」

 「日本人はみんなそれだ」

 「うーん。だめか……」


 机に突っ伏す彼女を眺めていたら、私もひとつひらめいた。


 「ああ、そうだ。昔からの命題にいまチャレンジするときが来たかも」

 「なに? そんなのあるの?」

 「うんこ味のカレーか、カレー味のうんこか」

 「はぁぁぁ……。アリサは小学生か」

 「仮想ならいけるんだって。こんなチャンス滅多にないよ」

 「残念。もう試したから」

 「は?」

 「なんか2号研究室の小林さんが食糞経験者だっていうから……。ご意見伺いつつ作ってみたんだ」

 「……あの超絶美人にそんな趣味が」

 「まあ落ち込まないで。あれは苦くてあんまりいいものではなかったから」

 「それはそうだろうよ」


 今度は私が机に突っ伏す。そんな私のすぐそばに彼女が目を細めながらやってきた。


 「ねえ、アリサ。ここまで食べてきたものを集めたらどうなると思う?」

 「なにそれ。わかんないよ」

 「そっか。じゃ、食べさせてあげるね」


 彼女にゴーグルをかぶせられ、トロードを首筋につけられる。仮想空間に入ると、白いだけで何もなかった。いつものテーブルすらない。


 「ねえ。なんにもないよ。……ん? ハヅキ?」


 すぐ目の前に彼女が現れる。笑っていた。ぱちんと指を鳴らす。とたんに服が消えて裸になる。それからいつのまにか握ってたナイフを私に手渡した。


 「さあ、食べて。私を」

 「え?」

 「結構苦労したんだよ。ここまでふたりで食べてきた物のデータをまとめてさ。自分の体のあちこちに注射針刺して、肉片や骨片をガスクロマトにかけて。ちゃんと味や匂いを再現しているから。あ、そうそう。内臓なら肝臓がおすすめだよ」

 「……調整済みなんだね」

 「うん、もちろん。自分で試したよ、自分を」

 「ハヅキ、本当にいいの?」

 「アリサに食べられるのなら喜んで。愛してるよ、我が相棒」


 それから食べた。ふくよかな血の味、ふんわりとした生臭い香り。強いお酒を飲んだような陶酔感。

 私は彼女を食い散らかしていく。太もも、尻、のど、性器、そしておすすめの肝臓……。

 醤油はいつでも万能だった。






 ひととおり堪能したあと、ゴーグルとトロードをがばっと外す。現実に戻ったふたりで何とも言えず顔を見合わせた。少し間を開けてから、彼女は目を細めながら笑って言う。


 「いやー。なかなか得難い経験だったね」

 「二度と食べたくない。けど……」

 「……お腹すいたよね、アリサ」

 「わかるけど……。それをやったら犯罪だよ」

 「抵抗できるの?」

 「……無理」


 翌日、消えたものは……。

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