【KAC私だけのヒーロー】私の大好きなヒト

結月 花

私のヒーローは十七歳の男の子

「えー! お父様はまた私の誕生日にいてくださらないのね!」


 ピンクのフリルのドレスを着て、プンプンと怒るのは七歳の時の私。まだほっぺも手足もぷくぷくとしていた頃の話だ。怒りの矛先をぶつけられるのは、まだ少年と言ってもいいほどの若い男の子。王国の騎士服を身にまとった少年は、ちょっと困った顔をしながらも、腰を屈めて私と視線を合わせてくれた。


「リディア様、お父上はとても忙しいのです。我慢してください」

「だって去年の誕生日もいなかったんだもの! お父様もお母様もいないのだったら、誰が私のお人形遊びに付き合ってくれるの?」

「お人形遊びなら俺がお相手をいたしますから」

「いやっ! アルスはおままごとへたなんだもんっ」


 ぷっくりした頬をさらに膨らませてプイと横を向くと、アルスが困ったように微笑んだ。ツンツンとした短い黒茶の髪を掻きながら、太い眉を下げている表情は、なんだか大きなワンコみたいだ。

 自分の誕生日に両親が不在であることを知ったその時の私は、とても不機嫌だった。恨めしげにドールハウスに目を向け、綺麗にドレスアップしたお人形を手に取る。


「じゃあ、髪の毛におリボンをつけて」

「リボン……ですか。はい、やってみましょう」


 気まぐれでそんなことを言うと、アルスは自信無さそうに、それでも優しく頷いた。その態度に気を良くした私は、まだ短い両手で腕組みしながら、鏡の前の椅子にちょこんと座る。アルスが部屋からピンクのリボンを持ってきて、ひざまずきながら私の髪を不器用に結い始めた。当時の私の髪は今よりもっと巻き毛でくるくるしていたから、アルスは髪の毛が絡まないように気を使いながらゆっくり丁寧にみつあみにしてくれる。だが、普段から剣しか持たない手は案の定細かい作業をするのには向いていなくて。鏡の中の私は所々髪がほつれており、不器用に結ばれたリボンは曲がっていた。想像していた通りの仕上がりにならなかった私は、みるみるうちに唇を尖らせた。


「だめー! 全然かわいくないー!」

「す、すみません。でもリディア様はそのままで十分に可愛らしいですよ」

「やだっ! マリーちゃんやニーナちゃんはもっと可愛くしてもらってるの! 私もお姫様みたいにしてほしい!」


 幼い頃の私の胸は寂しさでいっぱいだった。怒りに任せてワガママを言うと、アルスが申し訳無さそうに私のリボンやスカートを整えてくれる。騎士見習いの男の子にメイドの真似事をさせるという無理難題を押し付けているのに、彼は怒りも𠮟りもしない。本物の家族とは違う、その一歩ひいた態度も私の寂しさを増長させるのに十分だった。


「もういいっ! アルスなんてきらい!」


 そう言って部屋を飛び出すと、後ろから「リディア様!」と自分を引き止める彼の声が聞こえる。それでも構わずに庭に出ると、鮮やかな花々が咲き誇る庭園の中で、私はシクシクと泣き始めた。



 私の父はこの国を蹂躪する悪いドラゴンを退治した英雄だった。今までいくつもの騎士団を壊滅させてきたドラゴンを討ち取ったことにより、父は一躍この国のヒーローとなった。ついでに、ヒーラーとして父の騎士団に従事していた母も、英雄の妻として祭り上げられた。

 国の英雄になってからというものの、父と母はあらゆる場所に引っ張りだこになり、家を留守にすることが多くなった。ある時は他の騎士団が手こずったモンスターを討伐しに行き、またある時は王族の晩餐会に呼ばれたり他国の王との謁見に向かったりした。

 家を不在にすることが多い両親に代わって私の面倒を見てくれたのは、父の騎士団で騎士見習いをしていたアルスだった。当時彼は十七歳。最初は月に一回か二回、という話だったのだが、両親が家を不在にする回数が増えた為に、最近ではほぼ住み込み状態だった。 

 国を救ったとして皆から褒め称えられるヒーローは、私にとっては保護者ヒーローでは無かったのだ。

 花畑の中で泣きじゃくる私の後ろでカツカツと靴音がした。と同時に、ふわりと羽のように体が持ち上がる。涙で濡れた目で見上げると、アルスの切ない瞳が目の前にあった。


「リディア様、お家に戻りましょう。ここでは風邪をひいてしまいます」

「ねぇ、なんでお母様は私の髪の毛を綺麗に結ってくれないの? お父様も全然遊んでくれないわ。お父様もお母様も私のことが嫌いなの?」

「いいえ、そんなことはありませんよ。お父上お母上も、リディア様のことが大好きです」

「じゃあどうしてお父様もお母様もいてくれないの? もうすぐ私、お誕生日なのに」

「リディア様、お父上はこの国の英雄です。王様や国民を守ってくれるカッコいいヒーローなんですよ」


 私を抱っこしながらアルスが優しく背中を撫でてくれる。今となれば、両親も断腸の思いで家を空けていたことがわかるが、それは当時七歳の女の子に理解できることではなかった。何度も聞かされる同じ言葉に、私はほとほとうんざりしていた。


「お父様はヒーローなんかじゃないわ。だって私のことは守ってくれないんだもの」

「リディア様、寂しい気持ちはわかります。ですが、明後日にはお父様もお母様も帰ってきますよ。戻られたら、うんと可愛くしてもらいましょう」


 言いながら私を抱きかかえるアルスの腕に力がこもる。私は彼の腕の中で丸まりながら、シクシクとずっと泣き続けていた。





 



 その晩、私は夢を見た。

 目の前に立派な騎士団の服を着た男女がいる。見慣れたその姿は、お父様とお母様の後ろ姿だった。私に会いに来てくれたのね! と嬉しくなりながら抱きつこうとした私は、二人に手を引かれている女の子の姿を見て足を止めた。

 その女の子は自分と同じくらいの年齢で、自分と同じように金髪の巻毛をしていた。私は不思議に思いながら両親の顔を見上げた。


「お父様、お母様、その子はだぁれ?」

「この子は新しい娘だよ、リディア」

「そうよ。とっても可愛いでしょう? お母さんね、今日からこの子のお母様になるの」

「なんで……どうして? お母様は私のお母様じゃなくなっちゃうの?」

「ええそうよ。この国のヒーローであるお父様とお母様の娘なら、もっといい子で愛らしい子じゃないとダメだもの」

「だからね、リディアよりもっといい子で可愛らしい子を娘にすることにしたんだ。だからお父様とお母様はもうお家には戻らない」

「そんな……いやっ! お父様もお母様もいかないで! 私のお父様とお母様でいて!」


 悲鳴のような声をあげながら両親を呼ぶが、二人は返事をせず、ニコニコと笑いながらくるりと私に背を向けた。そしてそのまま、見知らぬ女の子の手をひいて行ってしまう。


「やだやだ! 帰ってきて! 行かないで! お父様! お母様!」


 だが、伸ばした手をとるものは誰もいなかった。






 ハッと気がつくと、私は真っ暗な闇の中にいた。いや、ここは夢の中ではなく私の部屋だ。ベッドから起き上がった私は、夢中で部屋を飛び出し、父と母の寝室に向かう。だが、淡い期待も虚しく、両親のベッドは今日も整えられたままだった。とうとう耐えられなくなって、私は床に突っ伏してワンワン泣いてしまった。


「リディア様、どうしたんですか?」


 背後から優しい声がした。振り向くと、就寝前だったのか薄手のシャツを着たアルスが立っていた。私はぐしぐしと涙を手の甲で拭いながら、背の高い彼を見上げる。


「ねぇアルス、お父様とお母様が帰ってこないのは、私のことがいらなくなっちゃったからなの? 新しい子の方が好きだからなの?」

「なるほど、悪い夢を見たんですね。それは怖い思いをしましたね」


 そう言うと、アルスが両手を伸ばし、ふわっと抱きかかえてくれた。そのまま私の部屋に行き、ベッドに優しく横たえてくれる。


「安心してください。リディア様が眠れるまで、ずっとここにいますから」

「ほんと? もう怖い夢は見ない?」

「ええ。悪いやつが出てきたら、俺が全部退治してさしあげます。お父上とお母上がリディア様を捨てるなんて言ったら、俺が怒ってやりますよ」

「アルスがお父様を叱るの?」

 

 なんだか想像もつかない光景に、私はくすりと笑った。だっていつもアルスはお父様の前だと緊張してガチガチになっているんだもの。私がくすくす笑っていると、アルスがベッドの側に座りながら優しく頭を撫でてくれた。お母様の手と違って固くてゴツゴツしているけれど、その手はとても優しくて温かい。

 

「抱っこして」


 短い両手を差し出して言うと、アルスがちょっと困った顔をした。七歳の少女とは言え、女の子のベッドに入るのはためらわれるらしい。でも、私が「だってお父様もお母様も一緒に寝てくれないんだもの」と膨れると、遠慮がちにベッドの中に入ってくれた。

 隣で誰かの温もりを感じながら寝るのはいつ以来だろう。そっと彼を見上げると、アルスが自分の腕を枕にしながら優しく布団をかけてくれた。

 それがなんだか嬉しくて、私はころりと寝返りをうって、彼の胸にぎゅっとしがみついた。アルスも笑いながら、両腕を伸ばして私の小さな体をしっかりと抱きしめてくれた。

 まだまだ発育盛りのその体はほんのり筋肉がつき始めて固かったけど、いつだって私が安心するぬくもりは母の柔らかい胸ではなくて、彼の固い胸元だった。


「アルス、すき」

「俺もですよ、リディア様」


 心地よい眠気に誘われながらポツリとつぶやくと、大きな手がよしよしと頭を撫でてくれるのを感じた。



 一般的に見れば、皆は父をヒーローだと言うだろう。

 それでも、小さい頃の私にとって、ヒーローはいつも彼だった。強いドラゴンはやっつけていないし、悪い泥棒だって捕まえていないけれど、私が寂しくなったり悲しくなる度に、孤独と寂しさから守ってくれるのは、いつだって大きな彼の存在だったのだ。





 その数年後、すっかり逞しい騎士に成長して、お父様の後を継いだ彼に、私が逆プロポーズをするのは、また別の話。

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【KAC私だけのヒーロー】私の大好きなヒト 結月 花 @hana_usagi

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