ただ君の助けになりたい

佐古間

ただ君の助けになりたい

 隣の席の安田さんは、どこか大人びた雰囲気を持っている。

 あだ名は「委員長」。最も、彼女は委員会に入っていないし、実際に委員長ではない。安田さんに向かって「委員長」と呼びかけているわけではなくて、影で使われているあだ名だ。

 安田さんは女子の中でも長身で、すらっとした美人で、成績もよく運動もできる、いわゆる才女だ。いつも穏やかな笑みを浮かべていて、困りごとがあると快く相談に乗ってくれる。このクラスで、安田さんに宿題の面倒を見て貰ったことがあるやつは多いだろう。

 落ち着いていて、なんとなく、俺たちよりも一歩引いて見てくれているような。そういう感覚があるので、敬意を表して「委員長」と呼んでいた。

「安田さん、おはよう。今日も早いね」

「後藤君、おはよう。後藤君も早いね」

 安田さん以外誰もいない教室で、声をかけると安田さんは笑みを浮かべてこちらを見た。

 安田さんの朝は早くて、安田さんより前に登校してやろう、と最近挑戦しているのだが、何時に来ても俺より先にいる。どうやら学校が開いてすぐくらいに登校しているらしい。何時に来てるの? と聞けるほど親しい仲でもなくて、いつも「早いね」の言葉だけで済ませている。

「今日も手伝うよ。こっちの方からでいい?」

「ありがとう、助かる」

 問いながら、ロッカー棚の上にある本の山を示せば、安田さんは頷いて礼を言った。

 朝の早い安田さんが何をしているのかと言えば、「自由図書コーナー」の整理や、黒板用品の清掃だった。

 自由図書コーナーはうちのクラスだけの制度で、家にある古い本を持ち寄り、貸し借り解放した制度である。このクラスになってすぐ、担任が自宅から持ってきた古い漫画なんかを後ろの棚に並べ始めて、「好きに読んでいいぞ」と言ったことから始まった。各々が勝手に持ってくるので、今は雑多な種類の漫画や小説が、結構な量並んでいる。

 放っておくと、自由図書コーナーは作者もシリーズもぐちゃぐちゃな状態で平積みされてしまうので、朝の内に安田さんが綺麗に並べ直しているのだ。

 放課後見た時はいつもぐちゃぐちゃなのに、朝来ると綺麗に並んでるんだよな、と不思議に思っていたところ、一か月ほど前に安田さんが整理している現場を見つけて、以降は手伝うようにしている。

 作業中は互いに無言だった。俺と安田さんはただ隣の席というだけで、別段仲が良いわけではない。友達、と言っていいかもよくわからなくて、なんとなく不思議な距離を保っている。

 だから最初に手伝いを申し出た時、安田さんはひどく驚いた顔をして、「いいの?」と聞いた。それには答えず本を取ったら、それ以上、「いいの?」と聞かれることはなかったけれど。

 部活の朝練があって俺も登校が早いから、とか、自由図書コーナーや黒板用品の清掃なんてのは、クラスの管轄であって安田さん一人がやることじゃないから、とか。色々と言い訳を探したけれど、結論として、単に俺が手伝いたいから手伝っただけだ。

 それをうまく言葉にできなくて、なんとなくずるずると、朝の手伝いを続けている。

 安田さんは初日以来、「いいの?」と聞くことはなかったが、毎日変わらず、少しはにかんだ笑みで――どこか不思議そうな表情で――「ありがとう」と礼を言った。



「あ」

 放課後のグラウンドで、部活動用具を片付けている時だった。

 西校舎の一階廊下に安田さんがいるのを見つけた。

 安田さんは委員会だけでなく、どの部活にも入っていない。美術センスも、運動センスも、音楽センスもいいので、どこに入っても活躍できると思うのだが、安田さん本人はあまり一つのことに熱中して取り組んでいないらしい。

 クラスで一番背が高いので、たまに女バスや女バレから練習の助っ人を頼まれているようだが、入部はしていないと聞いていた。

 だというのに、放課後安田さんの姿を見ることは間々あった。

 大抵、何かしらの荷物を持っている。今日も重そうな段ボールを抱えていた。

(まぁた担任のやつ、安田さんに用事を頼んだな)

 それだけで状況は察せられた。

 安田さんは大人びていて、大体なんでもそつなくこなしてしまうので――頼るのは俺たちクラスメイトだけでなく、担任や教師陣も同様だった。

 ちょっとした雑用があると、日直ではなく安田さんを指名する。何かの折につけて安田さんに用事を言いつけるのだが、安田さん自身も特に断らずに引き受けてしまうため、俺はいつもやきもきとした気持ちで見つめていた。

 例えば配布プリントの回収とか。教材の移動とか。そういうことをするために日直という制度があるのであって、当然、日直に指示されることもあるのだが、目の前にいないと教師はすぐに安田さんに頼んでしまうのだ。日直に伝達してやらせればいいのにと何度も思ったが、安田さんが一人で黙々と作業をしてしまうので、友達でもない俺は口出しできずにいる。

(……行先は旧倉庫かな)

 ちらり、と、安田さんの進む方向と荷物を見てあたりをつける。

 西校舎の一番奥にある倉庫は、そこそこ広くて様々な教材が押し込まれているが、主教室のある東校舎から遠く使い勝手が悪いため、俺たちが入学する少し前に東校舎に主倉庫が新設された。それでも、保管しておかなければならない古い書類などがまだ旧倉庫に保管されていて、ごく稀にそこから教材を引っ張ってきたりもするらしい。

 本来、教師か、あるいは日直が運搬をするものだが、多分どこかのタイミングで教材の移動を頼まれてしまったのだろう。

 部活用具の片づけはあらかた終えていた。いつもなら他の連中の手伝いをするが、俺は近くの後輩に「悪い、今日早く上がるな」と声をかけて走り出した。部活自体は終わっているので、先に戻っても問題はない。

 西校舎へは西側昇降口から中に入れる。とはいえ、この西側昇降口も今は生徒の利用がなく、業者運搬用にしか使われていない。

 俺たちが普段使うのは、東校舎にある東側昇降口だが、そこまで回って上靴に履き替えるのは面倒だった。何より、そんな大回りをしていたら安田さんが旧倉庫にたどり着いてしまう。俺は適当に靴を脱ぎ捨てると、誰も使っていない来客スリッパを一足借りて、安田さんを見かけた廊下へ走り出した。



 西校舎はひっそりと静まり返っていた。

 部活終了時間なので、活動時のざわめきがないのは当然だが、この静けさは単に西校舎側に人がいないせいだと思われた。西校舎は特殊教室主体の校舎なので、普段から極端に人の気配がしないのだ。

 旧倉庫は昇降口近くの突き当りなので、まっすぐ廊下を進むと予想通り安田さんがいた。重たそうな段ボールを窓枠に引っ掛けて持ち直しながら、ゆっくりとした足取りで歩いている。

「安田さん!」

 思わず声をかけて走り寄った。俺に気づいた安田さんは、ひどく驚いた顔をしていた。

「……後藤君?」

 驚きついでに少し力が抜けたらしい、ぐら、と揺れた段ボールを支えるように窓枠へ。俺はそのまま、安田さんの横からひょいと段ボールを取り上げた。

「あっ」

「手伝うよ、旧倉庫?」

 そのまま、何も告げずに問いかける。安田さんは驚いた顔のまま、まじまじと俺を見上げた。

 女子の中で背が高くても、安田さんよりは俺の方が少しだけ背が高い。すぐ近くでじっと見つめられるのはなんだか照れくさくて、安田さんの答えを待たずに歩き出した。大股で一歩、進めば、慌てて安田さんが付いてくる。

「えっと、旧倉庫であってる……」

 進む方向に迷いはなかったけれど、安田さんがそう答えたので頷きを返した。

 それで、少しだけ歩幅を緩める。安田さんが隣に並んで、何か言いたげな、聞きたそうな雰囲気を出した。

 聞きたい内容はおおよそ察せられた。「何故手伝ってくれるのか?」と、多分そのような事だろう。

 わかっていたけれど、答えることはできなかった。また、なんて答えたらいいのか、適切な言葉を見つけられずに口ごもる。いっそ安田さんの方から聞いてくれれば、何かしら答えられるのに、安田さんはソワソワとした雰囲気を出したまま、結局何も聞きはしなかった。

「あ、扉開けるね」

 やがて数分もせずに旧倉庫にたどり着いて、安田さんが引き戸を開ける。

 倉庫の電気をつけたけれど、物の多い倉庫内は薄暗く、あまり使われていないので埃くさい。「どこに置いたらいい?」と聞けば、安田さんが「右から二番目の棚って言われたよ」と棚を示した。

 足の踏み場がない、わけではなかったが、床にも段ボールが積まれているので、ぶつからないよう避けながら右から二番目の棚の前まで進む。

 見れば確かにぽっかり空いたスペースがあって、そこにこの段ボールが丁度よくはまりそうだった。

 俺が段ボールを片付け終えると、安田さんが「ありがとう、後藤君」と礼を言う。別に大したことしてないのにな、というか悪いのは担任なのに、と、しようと思えばいくらでも、色々な返事が出来たのに。

「……あ、いや、うん」

 振り向いて、安田さんの顔を見た俺の口から出たのはそんなそっけない言葉だった。

 安田さんが笑っている。いつも教室で見ているのと違う、控えめだけれど穏やかな、可憐な笑みだった。

 瞬間、どきりと胸が高鳴って、声が詰まる。薄暗い倉庫内、という環境も相乗効果を与えたようだった。

 そっけないまま黙り込んだ俺を気にせず、安田さんは「本当にありがとう、助かっちゃった!」と笑みを深める。

「……って、後藤君スリッパじゃない。どうしたの?」

「いや、東の方行くの面倒だったから……」

「ふふ、ふふふ、そんな急いで来てくれたの?」

 徐々に声を上げて笑う安田さんに、戸惑ったのは俺の方で。そんな、俺たちみたいに声を上げて笑うところを、実は初めて見てしまった。安田さんが楽し気に肩を揺らしている。

「ほんとにもう……後藤君は、私のヒーローだね」

 ヒーロー、と、口中で言葉を繰り返してみる。安田さんはそれ以上何も言わずに、くるりと背を向けて「早く帰ろ、後藤君」と俺を呼んだ。

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