【8】堂々ヒーロー

池田春哉

堂々ヒーロー

佐伯さえきくん。バレンタインなので本命チョコをあげます」

 ホームルームが終わり、放課後になったばかりのタイミングで僕の席まで来た楠谷くすたにさんははっきりとした声で本命宣言をした。

 そして可愛らしいピンクベージュの小包みを僕の机に置く。「ありがとう」とお礼を言うと「どういたしまして」と彼女はなぜか胸を張った。

「正直期待はしてたけど、まさかこんなに堂々と宣言されるとは思わなかったよ」

「堂々としてるほうがカッコいいかなって」

「何を目指してるんだ」

「んー……ヒーロー、かな?」

「僕がなりたいものと一緒だとは」

 ヒーロー。

 その存在に一度も憧れなかった人生を送る人類がどのくらいいるだろう。僕がこれまで二刀流を追求し、最強を目指していたのも彼らの存在がやはり大きい。弱きを助け強きを挫く。かっこよすぎだよね。

「うーん、でも佐伯くんが思ってるのとはちょっと違うかもよ」

「え、どういうこと?」

 不思議なことを言う彼女に僕は尋ねる。

 彼女は少しだけ考えて、口を開いた。

「私は限りなく悪役に近いヒーローになりたいの」

 腕を組んだ彼女はその言葉通り、悪そうな笑みを浮かべた。それはもう悪役だ。

「ダークヒーロー的な?」

「いや、そこまで優しくない」

「ダークヒーロー以下となるともう魔王しか思いつかないよ」

 楠谷さんが結局何になりたいのかよくわからない。

 この話がひと段落したら目の前の小包みを開けようと思っていたのに、どうも着地点が見えなくなってしまった。これじゃまるでおあずけを食らった犬だ。僕がなりたいのはヒーローだというのに。

「だって私、世界平和とか滅亡とかに興味ないもん」

「そんなアメコミ殺しの台詞があるかい。ほんとにそれヒーロー?」

「そうだよ。会ったこともあるし」

「ヒーローに?」

「うん。お母さん」 

 彼女はさらりとヒーローの正体を明かした。

「お母さんはね、私のヒーローなんだ」

 やけに彼女の声が響くなと思えば、教室にはいつの間にか誰もいなくなっていた。部活か帰宅か、もしくはバレンタインイベントを謳歌しているのかもしれない。

「お母さんはいつも私を守ってくれてた。どんなときも味方でいてくれたの。急に志望校を変えたときも、東京に一人暮らしをすることを決めたときも、そのために結構無茶な生活してたときもね。何を選んでもいい、娘の選択を守るのが母親だからって。その言葉に、どれだけ救われたことか」

 僕は、彼女の瞳の奥に燃えていた灯を思い出す。

 ボロボロになりながらも、それを燃やし続けられたのは彼女が強いからだと思っていた。もちろんそれもあるだろうけど、それだけじゃない。

「だから私はやっぱりヒーローを目指すよ」

 あの灯を守ってくれていた人がいたから、彼女はここまで歩いてこれたんだ。


「世界なんか守れなくていい。私はただ、私の大事な人だけを守れるヒーローになりたい」


 はっきりと言い切って、彼女は笑う。

 その眩しいくらいの笑みはきっとまた他の誰かを明るく照らすんだろうなと、そんな風に思った。

「……楠谷さんはカッコいいよ」

「でしょ?」

 楠谷さんは笑顔のまま、もう一度胸を張った。

「そんなヒーローにお願いがあるんだけど」

「お、なんでも言いなさい」

 僕は机の上に置かれた小包に指先で触れる。かさりとした紙の感触と、思いの外ずしりとした重量を感じた。

「これ、開けていい?」

「え、ここで?」

「うん。中身が気になって夜も眠れないんだ」

「いや寝る前にはさすがに開けてよ」

「そりゃそうだ」

 僕は笑う。つい軽口にすり替えてしまった。

 このチョコレートがどれだけ嬉しいかなんて、やっぱり伝えられないや。

「じゃあ開けるね?」

「……うん。大丈夫、だと思う」

「だと思う?」

「いや、うん、味見したしさ、そーっと持ってきたし……うん、大丈夫なはず」

「さっきまでの自信はどこにいったの?」

 まだぶつぶつと言い続けている楠谷さんを前に、僕はピンクベージュの小包を丁寧に開いていく。その様子を僕よりも緊張した顔で見守る彼女が視界に入って、少しだけ笑ってしまう。

 彼女は気付いているだろうか。

 君はさっき世界なんか守れなくていいと言ったけど、ちゃんと守れてるということに。

「ハッピーバレンタイン」

 彼女の声が凛と響く。


 ――僕たちだけの教室で、僕たちだけが幸せだった。



(了)

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