捨てられた男の告白

カユウ

第1話

 玄関ドアを開けたとき、違和感があった。いつもならついているはずのリビングの電気が消えている。玄関にあるはずの靴がない。違和感といっても、目に見える変化はそれだけ。勘違いだろう。そう思っていた。


「ただいま。買い物かな」


 廊下の電気をつけてから靴を脱ぎ、リビングへと向かう。リビングに続くドアを開けたとき、僕は衝撃を受ける。空っぽ。すっからかん。何もない。そう、何もなかったのだ。テレビも、ソファも、ローテーブルも。カーテンすらかかっていない。


「は?」


 肩から下げていた鞄が、ゴンッという音とともに床に落ちた。


「え、なんで?……家間違えた?」


 バタバタと玄関から飛び出し、部屋番号を確認する。部屋番号 1108。合ってる。僕の記憶がおかしくなってない限り、僕の部屋だ。


「あ、鍵。鍵確かめないと」


 ズボンのポケットからキーケースを取り出し、玄関の鍵穴に入れる。鍵を回すと、ガチャガチャと音を立ててロックが出し入れされる。僕の持ってる鍵で開く。間違いない、ここは僕の家だ。

 それがわかった瞬間、頭の中では結論が出た。出てしまった。ふらふらとおぼつかない足取りで家の中に戻る。

 寝室のドアを開けると、ベッドがない。クローゼットが開け放たれ、僕の服だけが残されていた。


「は、は、は……嘘だろ。小説やマンガじゃないんだから、あり得ないって」


 僕の私物だけが残されていることを確認した僕は、リビングに戻ったところで腰が抜けたようにへたりこむ。へたりこんだ視線の先、床に1枚の紙が置かれていた。


「『さようなら』って、それだけかよ」


 紙にかかれた5文字。それだけが彼女から残されたものだった。


「お待たせしました、ホットコーヒーです」


 目の前に置かれたコーヒーの香りと、ウェイトレスをしている相沢七海の声で我に返る。


「……ありがとう」


「どうしたんですか、金森さん。いつにもまして浮かない顔になってますよ」


 七海は胸の前でお盆を抱え、心配そうな表情になる。


「いつにもまして、とはひどいな。そんな顔してます?」


 苦笑いしながらコーヒーカップを取る。


「あ、相沢さん」


 コーヒーを飲まずにカップをソーサーに置く。


「……今日、少しお時間いただけませんか?」


 意を決して要件を口にする。顔が熱い。きっと顔が赤くなっているだろう。


「……はい、わかりました。上がるとき、声かけますね」


 七海の顔も赤くなっている。首を縦に振り、それだけ言うと七海は足早に仕事へと戻っていった。


 仕事上がりの七海と合流し、車に乗ってもらう。目的地に着くまでは、本題に触れず、お互いの仕事の状況や雑談に終始した。

 目的地は海のそばにある大型の公園。僕が七海とカフェ以外で初めて会った場所だ。二人で車を降り、ゆっくりと歩く。寒くはないが、だからとって暖かいわけではない中途半端な気温。海に面した遊歩道についたときには、僕の心臓はバクバクしすぎて破裂するかと思うくらいだ。


「……相沢さん」


「……はい」


「好き、です。二人で会うたびに相沢さんのことがどんどん好きになっていました。これからももっと一緒に思い出を作っていきたい。ずっとそばにいてほしい、です。だから……真剣にお付き合い、させて、ください」


 言い切ることができた僕は、耳まで真っ赤になっていることだろう。もう子どもではないというのに、声が震えまくってしまった。

 対する七海は、うつむいてしまっている。髪に隠れ、顔も耳も見えない。その姿を見たとき、僕は息をのんだ。迷惑だったんだ。きっと、どうやって断ろうか悩んでいるだろう。七海のやさしさに付け込んで、僕はなんてことをしてしまったんだ。そう思った瞬間、顔から血の気が失せた。


「あ、あの、相ざ……」


「金森さん。わたし、金森さんが思ってるほどやさしくないです。金森さんから連絡ないと不安だし。他の人と楽しそうにしてたら嫉妬するし。お付き合いしたら、いつでもどこでも金森さんの一番じゃなきゃ、いやになっちゃいますよ。そんな面倒な、女なんです。……そんなわたしでも、いい、ですか?」


「いいです!いつでもどこでも、相沢さんが僕の一番です」


 七海は顔を上げる。髪が流れ、七海の耳が見える。真っ赤だった。こちらを見つめる瞳は、涙で潤んでいる。


「ほんとうに?」


「はい、本当の本当です。だから、僕とずっと一緒にいてくれませんか?」


「……はい」


「ありがとうございます。……やった!」


 つい、としかいいようがない勢いで、七海を抱きしめる。


「大好きだー!」

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