Hearty pledge 〜出会いと別れ、そして…… 〜

蒼河颯人

Hearty pledge 〜出会いと別れ、そして…… 〜

 ある日の昼頃、物音がした。

 目を覚まして身を起こしてみると、一人の女が佇んでいた。

 

 長い黒髪を背に流し、輪郭の柔らかな瓜実顔に真白な頬、赤い唇は桜桃のようにふっくらとしている。

 大層美しい女だった。

 一体どこから入って来たのだろうという疑問よりも、女の容姿に目が張り付いていた。

 何故か、彼女から目を離すことが出来ない。

 

 そんな私を見ると、女はふわりと微笑んだ。

 

「わたくし、あなたに逢いに参りました」

 

 初見だ。会ったこともない。

 不思議な女だ。私が失念しているだけだろうか?

 記憶の中を探っていると、目の前の身体が突然よろけた。

 そして、そのまま前方に向かって倒れてくる。

 床に接触する寸前で私はその身体を抱き止めた。

 羽根のように、軽い身体だ。

 長い黒髪が頬に掛かってくる。

 

「……大丈夫か?」

 

「すみません。めまいがしたもので……」

 

 腕の中の女と目があった。

 虹色水晶のような煌めきが見つめ返してくる。

 胸の心臓がドクンと飛び跳ねた。

 吸い込まれてしまいそうなその瞳に釘付けとなる。

 女は私の背に腕を絡め、縋り付いてきた。

 すべすべとした柔らかな肌の感触に、脈が早鐘のように打ち始める。

 私は何故か彼女に抗うことが出来なかった。

 

 数刻経った頃、女は静かに私から身を離すと気崩れた着物を直し、どこか名残惜しそうに目を伏せた。

 

「あなたに逢えて嬉しゅうございました。朝は雲となり、夕方には雨となった時、また此処に参ります。必ずあなたに逢いに行きます。それまであなた、待っていて下さいますか?」

 

 私は静かに肯いた。

 不思議と首を横に振ることが出来なかった。

 

 ※ ※ ※

 

 目が覚めると、そこは自分の部屋の中だった。

 自分以外、誰もいない。

 夢……?

 不思議と、腕と唇に柔らかい感触が残っていた。

 背中に縋り付かれた腕と指の感触もある。

 あれは、本当に夢だったのだろうか?

 

 翌朝、山に紫がかった雲がかかったのを見た。

 しかし、夕方になっても雨は降らなかった。

 

 明日はどうだろうか。

 

 その翌朝、やはり山に雲がかかるのを見かけるが、夕方になっても晴れたままだった。

 

 それから私は何日も待ち続けた。

 朝、山に紫がかった雲がかかるのは見えても、夕方に雨の降らない日が続いた。

 日が昇っては落ち、日が昇っては落ち、数日が過ぎて行く。

 自分は女にだまされたのではなかろうかと思い出した。

 

 ※ ※ ※

 

 何日経ったのか分からなくなった、ある日のこと。

 朝、山に極めて美しい雲のかかっているのが見えた。

 紫がかってはいるのだが、明らかにいつもとは違う雲だ。

 陽が傾きかけた頃、静寂の中涼やかな音が聞こえてきた。

 

 ぽたりぽたりと葉を揺らす雫。

 まるで、全てを赦し赦される様な優しい響きだ。

 母なる海から蒸気となって舞い上がり、雲となった後地上へと舞い戻った残響。

 空から零れ落ちて来るのは、玲瓏たる鏡の様に透徹した宝玉のようで、虹入水晶の様に煌めいていた。

 

 ぼんやりと景色を眺めていると、どこか温かい湿気に身体を包み込まれた。

 あの日の感触が静かに蘇る。

 

 ああ、彼女は戻って来たのだな、私の側に。

 周囲の空気が微笑んでいるように感じた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Hearty pledge 〜出会いと別れ、そして…… 〜 蒼河颯人 @hayato_sm

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画