堕ちた先は冴えないおっさん宅・独白

 目が覚める、という行為は。

 自分が生きているのだと、否が応でも自覚する行為だ。

 目覚めないことが、死だと定義した場合だが。


 今日も変わらず、硬い床だ。もし柔らかいベットの上で寝ていたのなら、どこで寝ているのかと疑問に思う。


 いつものように床で寝てるが、この場所が私の知る家出ないことくらい覚えている。

 人間の家。などと言えば、私が人ではないように聞こえるが。

 実際人が怪しくはあるが。定義上人であるので。他人の家と言おう。


 ビルから堕ちた私を助けた。世間的には冴えないおっさん。と、呼ばれるような男の住む場所だ。

 家、と呼称しないのは。ここがアパートであり。男の所有する建造物ではないから。


 枕替わりの鞄から、頭を上げ。上体を起こす。着ている衣服を見るが、乱れた様子も。おかしな匂いもせず。

 男が私に手を出していないことを知る。


 私の予想は正しかった。やはりこの男は堅物で真面目で、お人好しのようだ。

 まぁ、社会的に言うならば。食い物にされ、使い捨てられ、損をする。そんな生き方しかできない、不器用な性格だが。


 最も好ましい性格だ。好ましい人間だ。綺麗な人間だ。


 この世の中で、男と同じような人間がどれほどいるだろうか。

 数万人いれば良い方じゃなかろうか。もしかすれば、もっと少ないかもしれない。


 人の本質というのは、争いだ。歴史が証明している事実なのだから否定しようがない。

 国の歴史を見た時、革命など内戦をしない国が有っただろうか。

 大きな国の歴史を紐解けばいい。他国を侵略し、滅ぼし手中に収めている。


 他者を虐げる人間の本質は、そのまま国の形となっているのだから。

 日本も例外でないのだ。

 どの国の上を見てもそうだろう、弱者を虐げ。強者が支配する。自然界の弱肉強食は、そのまま人間社会に適用される。


 だからこそ。男の異質さが目立つのだ。自然界では生きていけない、そんな人間だ。

 だから私は男を見てみたい。と、思ったのだが。



 男はまだ起きないらしい。部屋の隅の布団の中で、寝ているようだ。

 そもそも、私が起きるのか早いだけ。と言うのが正しいか。午前6時。

 夜遅くまで働いているような人間ならば。まだ寝ている時間帯であろう。


 このままただ時間を潰すのもいいが。男に拾われたのだ。朝の食事でも作るのが、恩義というものだろう。


 昨夜の内に、冷蔵庫やキッチンの場所は把握している。もとより1人で生きていた身だ。

 自らの分と、男の分。2人分の食事を作るのに、苦労はしない。


 冷蔵庫にあるもので、何を作ろうか。そう思い冷蔵庫の中身を拝見したが、見事にもぬけの殻だった。

 予想はできていた自体ゆえ、驚きはない。

 男のような人間が、律儀に自炊をするはずがないのだ。

 カップラーメンやら、コンビニの菓子パンや弁当で済ませておるのだろう。

 1人であれば良かろう。しかし私は普通の食事がしたいのだ。


 近くのコンビニに、買い物に行くとしよう。

 簡単な食材であれば、コンビニで揃うのだから。便利なものだ。陸地でも魚が手軽に食べられるしの。


 サラダに焼き鮭にパックご飯。味噌汁の具材を買ってアパートに戻る。

 男は起きておらぬようだな。

 キッチンには鍋とフライパンが置いてあった。

 電子レンジは頻繁に使うようだが。鍋類は使用形跡が見当たらぬ。

 使っておらぬならば、洗わねばならぬか。

 ふと食器があるか気になった。味噌汁を作るならば、汁を入れるお椀が必要だが。


 どこにも見当たらぬ。仕方あるまい、長居するならば後で買うとしよう。

 今日の所は豆腐の入れ物で代用すればよかろう。


 食事を作る。と言っても、やることは単純だ。

 切る、焼く、煮る。魚とご飯はレンチンだから、焼かなくても良いがな。


 調理らしい調理は味噌汁だけということになる。

 出汁を入れねば、味噌汁は味が落ちるからな。市販のだし汁で代用しよう。

 昆布や煮干は、コンビニになかったのだ。

 豆腐に油揚げを切り。乾燥昆布を水で戻しておく。


 後は昆布、豆腐、油揚げを入れればそれで良い。

 味は薄いやもしれんが、出汁で味の深みが出ておるから良いのだ。


 時刻は7時にも満たぬか。

 日替わり前には寝たはずだからの。そもそも起こしてやろうか。寝すぎというのも体には良くないのだ。


 少し考えた。普通に起こすのも趣がないとは思わぬか、と。

 ここは少し遊んで見ようではないか。

 制服を着たまま寝ていたのだ、多少着崩して肌を見せようではないか。

 あらぬ感じがいをして、慌てふためけば目も覚めよう。


 あとはどう起こすか。

 声をかけるのは単調でつまらぬ。ここは上に跨るのが良かろうか。

 あとはそうさな、耳元で囁いてやるのも良いか。


 どのような反応をするか、大変楽しみである。

 起こさぬように男の上に跨り、男の耳元に顔を近ずけようとした。

 が、それは途中で止まった。


 男の頭の横に手を付くと、熱を感じた。

 温もりというのもだ。人が生きているのだと感じる、熱だ。

 私の肌を焼くように、私という存在を溶かすように。熱が伝わる。

 太陽のようだ、と思う。

 男に直接触れる訳では無いのだが、熱が伝わるというのは不思議なものだ。


 私は、冷たいのだ。人としても、存在も、体温も。

 夜のように冷ややかだ。故に、この男の存在に焦がれるのやもしれぬ。消して相容れぬ、邂逅することの無い存在に。


男は生きている。

私は、生きながらも死んでいるようだ。

死者か生者か。


 思考に堕ちて居れば、興が冷めた。普通に起こすことにするとしよう。

 男の隣に座り直し、制服を正す。


「起きよ、男よ。とうに日は登り朝であるぞ」

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月より堕ちた女 幽美 有明 @yuubiariake

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