素直

Youlife

第1話

 放課後、誰も居なくなった教室で、学級委員長の穣は一人片付けをしていた。

 穣のクラスはゴミを散らかす生徒が多く、清掃活動の時間も誰一人として真面目に取り組まず、先生に言われて穣がいつも一人で後始末をしていた。

 食べ残しが入った袋、ペットボトル、雑誌の切り抜き……床に散らばったゴミを箒で集め、袋にまとめると、穣はため息を付いた。


「何でこんなこと、毎日やらなくちゃいけないんだよ」


 ゴミ袋を持って教室を出ようとした穣は、出口に貼ってあったカレンダーが目に入った。


「あと一ヶ月ちょっとで、卒業か。こんなことで悩む日々も、もう少しで終わるんだな」


 卒業とともに、学級委員長としての仕事も終わる。そして、自己中心的で何でもかんでも学級委員長である穣に押し付けてくるクラスメイト達ともお別れとなる。穣は卒業とともに、東京都内の専門学校に進学する予定だ。田舎で過ごす憂鬱な日々ともお別れになる。


「もう少しの我慢だ!がんばれ、俺!」


 そう言いながら拳を握りしめ、穣はゴミ袋を持って廊下を歩いていった。

 その時、真後ろからコツコツと廊下を歩く靴音が徐々に近づいてきた。

 穣が後ろを振り向くと、そこにはおさげ髪にポツポツとニキビが目立つ顔の、眼鏡をかけた女子生徒の姿があった。

 髪を染め、制服のスカートを短くしたギャル風の生徒が多いこの学校で、黒髪で、校則を守ったくるぶしまでの長いスカートを穿いているのが印象的だった。

 女子生徒は穣の視線に気づくと、眼鏡を手で押さえながら慌てた様子を見せた。穣は驚かせて申し訳ないと思いつつ、女子生徒に声を掛けた。


「君も、ゴミ捨てに行く所?」

「はい、そうです」


 女子生徒は力のない声でつぶやいた。

 穣は心配そうな顔で女子生徒を見ると、手にしていたゴミ袋をそっと自分の方へ手繰り寄せた。


「これ、私のクラスで出たゴミですから、私が持ってきますよ!」

「ついでだから持っていくよ。さ、自分のクラスに戻って」

「そんなわけにはいきません!」

「いいんだよ。俺と同じで、大変だろ?学級委員」

「何で分かるんですか?」

「見ればよく分かるさ。俺も本当はやりたくないけど、学級委員だからって掃除の後始末までやってる始末だよ」


 穣はゴミ袋を二つ手にして、倉庫の隣にあるゴミステーションに放り込んだ。

 女子生徒は、自分のクラスに戻らず、ずっと穣の後ろについていた。


「あれ?何で戻らないの?自分のクラスでやることとかあるんだろ?」

「そうだけど、その……」

「俺はクラスに戻るよ。これから学級文集のとりまとめと編集、それに謝恩会の準備もあるんだ。やりたかねえけど、あと一ヶ月ちょっとだから、がんばるしかないよな」


 そう言うと穣は廊下に入り、自分のクラスへと戻ろうとしていた。


「あの……」

「はい?」

「名前聞いてもいいですか?私は、D組の上田うえだなつきって言います」

「なつきさんって言うんだ?俺はA組の守屋穣もりやゆずる。よろしくな」

「穣さんですね。よろしくお願いします」


 そう言うと、なつきはおさげ髪を前に垂らしながら頭を下げた。


「あの、明日もゴミ捨てに来ますか?」

「まあ……多分行くことになるかもね。というか、何でそんなこと聞くんだ?」

「また、会えるといいなって」


 それだけ言うと、なつきは駆け足で廊下の奥へと走り出していった。


「ヘンな奴」


 穣は頭を掻きながらなつきの背中を見送った。


 翌日、案の定教室のゴミの片付けをする羽目になった穣は、ゴミ袋を手に廊下へと歩み出た。


「こんにちは」


 そこには、なつきの姿があった。

 それはまるで、廊下で立って穣が出てくるのを待ち伏せしているように見えた。

 次の日も、その次の日も……気づいたら、一ヶ月近く、二人は一緒にゴミを捨てに行っていた。そして卒業まであと数日となった二月下旬、二人は、いつものようにゴミ袋を手に廊下を並んで歩いた。


「ねえ、なつきさんは、卒業したらどこに行くの?」

「地元に残ります。JAに就職するんです」

「へえ、JAか。悪くはないけど、こんな閉鎖的な田舎に残るのが良いの?」

「私の親が病気で早期退職したから、私が支えないといけないし、それに、こんな田舎町でも、私はここが好きだから」

「そうか、俺は東京に出て行くけどな。やりたいことがあるし、そのための勉強もしたいから」

「え、そうなんですか?」


 なつきは目を丸くして、まるでのけぞるかのように後ろへと倒れ込んだ。


「大丈夫か?そんな驚かなくていいだろ?」

「ご、ごめんなさいっ」


 なつきはスカートについた埃を手で払うと、苦笑いを浮かべた。


「というか……こんなこと言うのは失礼だけど、校則通りの長いスカート穿いてるの、珍しいよね」

「そうですか?」

「そうだよ。俺のクラスの女子はみーんな膝上丈で、目のやり場に困っちまうよ」


 すると、なつきはちょっと憮然とした様子を見せた。さすがにスカートの話はデリカシーが無かったのだろうか?


「……私、本当は穿きたいんです。でも私、自信がなくて」

「どうして?」

「ブスであか抜けないし、穿いてきてもバカにされそうだし。今でさえバカにされて、色んなことを押し付けられて嫌な思いをしてるのに」


 なつきは穣を置き去りにするように早足で倉庫に向かい、ゴミを捨てると、そのまま穣の傍をすり抜けて廊下を走り去ろうとした。


「偉いじゃないか!イヤなことばかりでも、我慢してここまでやってこれたんだから。でも、これからはもっと素直になっていいんじゃないか?」


 穣は大声で、なつきの背中に向かって叫んだ。


「それに、きっと似合うよ、ミニスカート……」


 その後、穣が小声でつぶやくように言うと、なつきは両手で顔を押さえて、鼻をすする音を立てながら廊下を走り去っていってしまった。


「余計な事、言っちゃったかな?」


 翌日、穣はいつものようにゴミ捨てに行くものの、廊下になつきの姿は無かった。なつきの気持ちを気遣うあまり、余計なことを言ってしまったかもしれない。穣はそのことを思い出すたびに、両手で髪の毛を掻きむしった。


「穣さん!待ってくださいっ!」


 なつきは手を振りながら、全速力で穣を追いかけてきた。

 

「どうしたの?いつもなら、もっと早くここに来てるのに」

「ホームルームの時間が終わるのが遅くなっちゃって……」


するとなつきは、息を切らしながらも、喉の奥から言葉を絞り出すように話し出した。


「今日のホームルームで、クラスのみんなの前で思いの丈をぶちまけたんです。私がこれまですごく辛い思いをしてきたこととか、いじめられたくなくて、自分を守るために地味な恰好をしてきたこととか……」

「マジかよ?そんなこと言ったら、余計いじめられるだろ?」

「ううん。それがね、拍手してくれたんですよ。なつきの本当の気持ちがわかって嬉しかったって言ってくれた子もいたし」


 そう言うと、なつきはこれまで見せてくれたことのなかった爽やかな笑顔を見せた。


「私……穣さんに言われて、やっと素直な自分の気持ちと向き合ったんです。それまではずっと逃げて、自分を守ることばかりしてたから」

「そうか……」


二人はゴミを出し終わると、廊下に入り、それぞれのクラスに戻ろうとした。


「あーあ、来週いよいよ卒業式だな。こうして一緒にゴミ出しするのも、もうすぐ終わりだなんて、寂しいよな」


 穣がそう言うと、「ううん」と言って、なつきは首を横に振った。

 そして何を思ったのか、突然ポケットからスマートフォンを取り出した。


「LINE、交換したいんです。穣さんと、私の……」


 そう言うと、なつきは顔を上げ、手にしていたスマートフォンを穣に見せた。


「これからもずっと、こうやって穣さんと話したいから」

「え?」

「ね?いいでしょ?私、このままお別れしたくないもん」


 いつになく迫り来るなつきの声に、穣は指で額を掻きながら笑うと、「しょうがねえな」と言ってポケットからスマートフォンを取り出し、なつきの目の前に差し出した。

 お互いのアドレスを交換すると、なつきは笑顔で手を振った。


「じゃあ、あとでメッセージ送りますね!」


 穣は手を振るなつきの姿を、じっと見つめていた。


★★★★


 数日後……卒業式を終えた穣は、いつものように教室のゴミを片付けた。

 まさか、卒業の日までこんな役割を押し付けられるなんて、夢にも思わなかった。先生も「せっかくの卒業の日に悪いけど、頼んだぞ」と言って、笑顔でゴミ袋を穣に手渡した。穣はため息しかでなかったが、どうせこれも今日までだと思い、袋が満杯になるまでゴミを詰め込むと、教室の引き戸を開けて廊下へと歩き出した。

 すると、そこにはなつきが片手を振りながら、廊下に立っていた。

 膝よりずっと上まで短くしたスカートに黒のハイソックス、少し茶色に染めたストレートの長い髪、眼鏡を外して化粧を施し、ニキビの目立たない顔。

 いつもと全く違うなつきに、穣の心臓は次第に高鳴りだした。


「なつき、脚を出しすぎだろ?そんな短いスカート……うちのクラスにいたギャルみたいだから、やめろよ」

「だって好きなんだもん。今までずーっと我慢していた分、思いっきり短くしちゃった。穣くんも、好きなんでしょ?」

「ま、まあ。否定しないけど……」


 穣がそう言うと、なつきはクスクス笑いながら、しばらく穣の顔をじっと見つめていた。


「ねえ、卒業したらすぐ東京に行っちゃうの?」

「ああ。でもちゃんとLINEでメッセージ送るから、安心しろよ」

「さみしいなあ、せっかく親しくなったのに」


なつきは何か言いたげな顔をしていたが、やがて穣の肩に手を置くと、穣の口元に小さく肉厚な唇を近づけてきた。


「ちょ、ちょっと待てよ!なつき……」

「だって、これが今の私の、偽りのない素直な気持ちだから」


誰もいない静まり返った廊下で、なつきは唇を重ねてきた。穣は戸惑いを見せたが、やがてなつきを抱き寄せると、そっと唇を重ね合わせた。

その時、唇だけでなく、二人の素直な気持ちもしっかりと重なり合っていた。

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