もう会えないけれど

大田康湖

もう会えないけれど

坂 真優美さか まゆみ 様


 前略

 桜の花もほころびかけた今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。このたびは鳥居道也とりいみちやさんとのご結婚、おめでとうございます。

 思えば三年前、息子の一希かずきがあなたと暮らしたいと言って家を出て行ってから、本当にいろいろなことがありました。お父さんの康史郞こうしろうは店の借金取り立てに追われていたので、もしかしたら一希はあなたを巻き込みたくなかったのかも知れないと思い、私も引き留めることが出来ませんでした。

 警察から一希が工事現場で起こったがけ崩れ事故に巻き込まれて亡くなったと知らされ、駆けつけた私たちは冷たくなった一希の側に寄りそうあなたと初めて向かい合いました。あなたが「ごめんなさい」と頭を下げたのを見て、一希から聞いていたとおり、「芯が強く見えるけど本当は必死に弱い自分を支えている」人だと思いました。そしてお腹にいる一希との子どもを産みたいというお話を聞き、私はお父さんを説得して子どもを認知してもらうよう頼みました。最初は自分を責めてばかりでお酒に逃げていたお父さんも、「一希の最後の贈り物を守りたい」とようやく折れてくれました。

 私もお父さんも戦争で両親を亡くして苦労してきましたから、頼る人がいないつらさは分かっているつもりです。なのであなたの出産を助けることが出来て本当に嬉しかったです。

 あなたが生まれた男の子に「一希」から一文字取って「広希」とつけると聞いた時、私よりお父さんの方が喜んでました。結局法律の壁にはばまれ、一希の子どもとして認知することはかないませんでしたが、息子の命が孫に引き継がれたようで私も嬉しかったです。

 あなたが広希くんと一緒にご実家に戻ると聞かされ、「娘たちとはもう会わないで欲しい」とご両親から言われた時も、それがお二人の幸せになるなら仕方ないと思い条件をのみました。ただお父さんは「年賀状のやりとりは許して欲しい」と頼み、ご両親も許して下さいました。あなたが年賀状と一緒に送って下さる広希くんの写真をお父さんはたいそう喜び、アルバムに入れて大切にしています。

 今でも一希やあなたたちにもっとしてやれることはなかったのか、時々考えます。それでもあなたたちが新しい幸せを見つけられたように、私たちも借金を返して新しい店を持つことが出来ました。小さなスナックですが、店の名前を私にちなんで「りゅう」にするとお父さんが言ってくれました。「一希のような後悔はもうしたくない。お前をもっと大切にする」と言ってくれたお父さんのこと、そしてあなたと広希くんのこと、いつかあの世に行ったら一希に話したいと思います。

 広希くんも鳥居さんの養子になられるとのこと、本当にありがたいと思っています。いずれ戸籍を見られる日が来たら、生みの父が別にいることも知るでしょうが、私もお父さんも、あなたと広希くんの幸せを遠くで祈っております。

 それではこの辺で。

                                    草々

 昭和53年3月18日

                             横澤 柳子よこざわ りゅうこ

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