七度目の初対面

λμ

ある獣人との出会い

 青空に点々と浮かぶ薄布のような雲。見渡す限りの草原がそよ風に揺れ、巻かれた蝶が大慌てで花びらに掴まる。延々と伸びる土道の丘の奥から、荷を積んだ馬車が姿を見せた。

 キスロは車輪に巻かれぬように、茶色い外套の裾を引っ張り、フードを下ろした。


「今日はいい天気ですね」


 御者台の男に声をかけると、男は不思議そうな顔をして手綱を引いた。空を見上げて、辺りを見回し、帽子のつばを指で撫でた。


「まぁ、旅人さんには、いい天気かもしれないね」

「ああ良かった。言葉が通じなかったらどうしようかと思ってたんです」


 キスロが笑みを浮かべて見せると、男は呆れたと言わんばかりに頬を緩めた。


「ははは。まったく共通語ってのはありがたいもんだね。女大公様に感謝だ」

「本当ですね。おかげでこうして、気楽に旅ができるんだから」

 

 言って、キスロは両手を広げて外套の下を見せた。護身用の短剣を腰に一振り。他には肩掛け鞄が一つ。たったそれだけで旅行ができるようになったのは、男のいうように女大公が当地を平定したおかげに他ならない。


 かつては、獣人を含めた多くの人々が独自の生活領域を求めて牽制しあい、また争っていた。当時の領主が勝手に定めた支配なのだと。


 そこに現れ、武力衝突をなしにまとめあげたのが、女大公である。

 女大公は、交渉用として共通語を開発し、各地に広めたのだ。

 獣人の喉でも、人の喉でも、平等かつ正確に発音できる言語を。


 その思想は単純だった。

 姿形が違えば争いが生まれる。

 言葉が通じなければ弁明も通らない。

 では、せめてまず、交渉の舞台を作ろうではないか。

 

 女大公の試みが一定の成果を収めるまでには五年を要したという。キスロはその辺りの苦労を詳しく知らない。だが、ありがたいことに、物心つく頃には村から出られるくらいに平和になって、旅に出られる頃には言葉が広まっていた。

 

「本当に、女大公様には感謝しかないですよ」


 キスロは地平を見つめて呟く。

 男が苦笑した。


「まあそのせいで、旅人さんみたいな穀潰しが増えちまったけどな」

「……手厳しいなあ」


 自由に歩けるということは、住む場所を選べるという意味でもある。よりよい土地を求めて彷徨きまわる旅人たちは、そこに暮らす人々にとって自分たちを値踏みする異物でもある。嫌味を言われることもあれば、騙されることも多い。

 それでも。


「さすがに僕でも、ご飯をもらえるなら働きますよ?」


 キスロは旅が好きだった。

 二度と会わないであろう人々との、他愛もない会話が好きだった。たとえ会わないであろうとも、相手の記憶の片隅に残り、自分の記憶の片隅に残すのが好きだった。


「――この道、街まで続いてますよね?」

「じゃなきゃ道はできないよ。……歩いてったら、着くのは夜だろうな」

「宿はある?」

「もちろん。せっかくだし知り合いがやってる酒場の方に行ってくれないか」

「そうさせてもらいます。店の名前は?」


 一期一会の店名を記憶に残し、礼を言い、


「それじゃ、僕は行きますね。教えてくれてありがとう」

「時間が無駄にならなそうでよかった。旅のご無事を」

「ありがとう。あなたも」


 帽子のつばを引く略式の礼に、キスロは手を挙げ返した。フードをあげて、また道を歩き出す。どうもこの辺りの人々は当たりが強いらしいやと思いながら。

 男が言っていたように、街は夜闇を照らす灯りとして現れた。いくら平和になったといっても夜に歩き回るのは勇気がいる。キスロは疲れた足に鞭を打ち、言われた店に入った。


「おお……すご……」


 思わず、声に出た。肩身が狭そうな人間が二に、獣の耳を生やした半獣人が三、白肌に長耳のエルフが一、空いているテーブルは一つだけだった。じろりと向けられた視線の意図は計り知れない。

 キスロはとりあえず宿の手配をしようとカウンターに目をやった。突き出した口、全身を覆う体毛、高く伸びる兎の耳の片先が欠けていた。服を見るに店主なのだろうが、キスロを見る目は冷めている。


「……あの、来る途中、馬車の人に言われて――」

「マジかよ」


 獣人の店主は崩した共通語で言い、カウンターに肘をついた。


「あの野郎、また人間かよ……」

「あー……ここ、人間は禁止ですか?」


 キスロが尋ねると、店主は馬鹿言うなとばかりに手を振った。


「声をかけるなら兎人族の可愛い子にしろって言ってるだけさ。――ただ、残念。今日はもう部屋が空いてない。相部屋を頼みな」


 言って、店主は兎の耳を傾けキスロの背後を差した。

 振り向くと、人の二人組が目を逸らした。獣人三人組は顔を見合わせ肩を竦め、エルフは――氷の矢を射るような眼差しを飛ばす。

 苦笑とともに向き直るキスロに、店主は言った。


「不幸中の幸いだ。もう一人は朝から外に出てる。じき戻ってくるだろうさ」

「……旅も楽じゃないね」

「だから楽しいんだろ? よく知らないが。何か食べて待つかい?」

「ええ。お願いします。オススメは何です?」

「兎肉のシチュー」


 ――ぎょっとした。唇の端を下げるキスロに、店主は笑うように言った。


「嘘じゃないぞ?」

「……なら、それを……」

「うわぁ。人間が俺の同胞を食おうとしてる」


 おどけるように言い、店主は空きテーブルに耳の先を向けた。


「座って待ってな。すぐ持ってってやる」

「……どうも」


 キスロは硬貨をカウンターに並べ、首を傾げながら席についた。獣人の冗談はよくわからない。彼らの感覚も。表情もだ。人間は獣人を一括にしようとする。だから前の領主は統治が上手くいかなかったのだという。本当かどうかは分からない。

 出されたシチューに舌鼓を打ち、獣人の店主の目つきにどう反応するべきか分からず困惑し、それが冗談で、からかわれていたと気づいた頃だった。

 店に一人の獣人が入ってきた。

 客の視線が集まり、人を除く面々が息を飲む気配があった。

 尖った口吻と長い……毛髪だろうか。美しい銀の体毛は短く、切れ長の瞳は深い知性を感じさせた。しっかりした皮のコートで分かりにくいが女性のようで、獣人やエルフの反応からするに相当な美人なのだろう。


「やぁ、新顔さん。隣の席は空いているかい?」


 獣人の女は店主に注文してすぐ、人懐っこい声でキスロに尋ねた。

 キスロは慌てて立ち上がり、


「ええ。もちろん。それと、ぜひ、お願いしたいことが――」

「それは初対面の女に尋ねてもいいことかな?」

「……あー……」


 たしかに。キスロは言葉を失った。

 女は肩を揺らしながら椅子に腰掛け、キスロに座るよう促した。


「ではまず、親交を深めるとしようか?」

「……お手柔らかにお願いします」


 さぁ、何から話そうか。キスロは手始めに自分の生まれを話した。子供の頃、人の街で暮らしていて獣人に会ったこと。話しかけたが言葉が通じなかったこと。けれど獣人は無視せず話に付き合ってくれたこと――。

 店主が地元の果実酒を運んできて、羨むような目でキスロを睨んだとき、ようやく彼は気づいた。


「……僕ばっかり話してますね」

「そうだね。でも、興味深いからよしとしようか」


 獣人の女の相槌が上手いのだろうか。キスロは照れ隠しに果実酒を口へ運んだ。


「えーと……まず、あなたの名前を教えてもらえます?」

「やっぱり、そう来たか」


 やっぱり? と首を傾げるキスロ。

 女は楽しげに肩を揺らした。

 

「私は君の名前を知ってるよ、キスロくん。実は君と会うのはこれで七度目なのだけれど……まったく人間というのは不思議だね。ぜんぜん覚えてもらえない」


 獣人の女は頬杖をついた。


「さて、私の名前はなんだろう、キスロくん」


 キスロは記憶を手繰った。獣人とはあちこちで会ってきた。ときには助けられ、また助けたこともある。長い髪に銀の体毛は珍しく、いくつかはハッキリ覚えている。

 たとえば――そうだ。

 キスロは目を丸くした。


「……まさか……子供の頃に、会ってます?」


 女は声をあげて笑い、頷いた。


「正解。他にもあるよ」

「え……他って……」

「私は忘れていないからね。一個一個、使っていた名前を言っていこうか?」

「違う名前って……毎回、別の名前を名乗ってたんですか!?」


 それなら、人間のキスロに分かるわけが……いや。


「でも、声が」

「そこが少し悲しくなったところさ」


 女は不満げに腕組みした。


「獣人にはまるで興味がないと見える」

「え……いえ、まさか!」


 キスロは慌てて両手を振った。


「だって僕は、あのときの獣人にまた会いたいと思って旅に出たんですから」


 獣人の女は嬉しそうに笑った。


「おめでとう。七度目の――いや、気づいたのは今日だから、初めての再会かな?」

「えと……ごめんなさい」

「いやいや謝ることはないさ」


 果実酒を飲み干し、獣人の女はテーブルに手をついた。


「二度目に対面したとき、まったく気づかずに私の話をしてくれたからね。面白くてつい黙ってしまって。それから会う度に同じ話をしてくれるから、いつ気づくのか楽しみにしていたんだよ」

「あの綺麗な獣人さんが、こんな悪い人だったなんて……ショックです」


 何度も再会してただなんて、とキスロは笑った。


「――でも、初対面じゃないなら、頼めそうですかね?」

「おっと」


 獣人の女は意表をつかれたようにおどけ、席を立った。


「旅慣れたのかな? 五度目に会ったときは同じ毛布にくるまるのも避けたのに」

「心配なら僕は床で寝ますが」

「いや何、先に誘ったのは私の方さ」


 二人は連れ立ち、階段を上がった。店主が、ため息交じりに舌打ちした。

 獣人の女はキスロを部屋に招き入れると、楽しげに尋ねた。


「ところでキスロくん」

「はい? なんです?」

「女大公の恩恵に預かり旅する君は、なんで彼女が共通語を広めたと思う?」

「なぜ……どうでしょう?」


 キスロはしばらく考え、自分なら、と口を開いた。


「旅がしたかったから、とかですか?」

「それもある。でも、もっと大事だったのは――」


 獣人の女はコートを脱いで振り向いた。


「あのとき人間の子供は何を言おうとしていたのか、知りたかったからだよ」

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