山と鳳凰とバーベキュー

柴田 恭太朗

1話完結 ジビエ料理って素晴らしい

 和也かずやが近くの森から焚き木を拾って戻ると、キャンバスチェアに腰を下ろしたシンジが、黙々と下ごしらえをしていた。彼はバーベキュー串を片手に次々と食材を突き刺してゆく。『アウトドア師匠』という異名を持つシンジだけに、なかなかの手際だ。


 今日は大学時代の友人3人でキャンプ場へやって来ていた。豪快に『酒池肉林』を楽しもうというシンジの誘いだ。

 アルミの折りたたみテーブルに並ぶ、色とりどりの食材。肉、野菜、幾種類かのキノコ、それに川魚まで用意してある。木洩れ日が食材の上にチラチラと光の演出を加える。ただでさえ新鮮な肉類は赤くプリプリとした食感を思わせ、みずみずしい野菜はキラキラと水滴を輝かせた。


 シンジは、いかつい体躯に似合わず、アウトドア慣れした彼の手先は器用である。山男のような筋骨たくましい風体でありながら、本職は公務員。しかも市の財政担当課長とお堅いポジションだ。仕事柄か、プランどおりに進まないことを嫌うところがシンジの唯一の欠点。それさえなければ良いヤツなのだが、とフリーターの和也は思う。


「焚き木はどこに置こうか?」

 和也がシンジに声をかけた。シンジに言われるまま、近くの森で拾ってきた枯れ枝だ。和也はキャンプビギナー、上級者のシンジの指示で動けば間違いないと彼は承知している。


「焚き火台の近くに置いて。火が付かない程度に離してさ」

 そう言う間もシンジの手は止まらない。こなれた手つきは本物の職人のようだ。

 重ねてシンジが言う。

「和也も下ごしらえやってみる? 楽しいぞ」

「遠慮するわー。俺、肉を串にことないんだよね」

 不器用な和也は焚き木を置こうとつまづいて、枯れ枝を地面にバラ撒いた。


「なぁに簡単簡単。ちなみにじゃなくて、な」

「打つ?」

「串に具材を通すことを『串打ち』っていうんだ」

「さすがはアウトドア師匠」

 和也は先ほどから右手のひらをしきりに気にしていた。枯れ枝のトゲを刺したのだ。

「皮手袋しなかったのか?」、シンジが和也のケガに気づいて眉をひそめた。

「それ先に言ってよ、手袋なんて便利なものがあるなら」

 和也は、シンジが放り投げてよこした皮手袋を受け取りそこね、また地面に落とす。そんな和也を見て、シンジが笑った。


「ところで和也、あれは?」

「あれって?」

烏骨鶏うこっけい買ってくるように頼んだじゃん」

「あっそうか……ゴメン忘れた」、和也は恐縮した。

「忘れたァ?」、シンジが眉間にシワを寄せる。

「だからゴメンって」

「和也くぅん、今回のキャンプのテーマは何だっけ?」

「確か『酒池肉林』」

「だろ? なのにメインの烏骨鶏がないのは困る。肉の林が欠けると困る」

「鶏肉ならあるけど」

「これ? 圧倒的に少なくない?」、シンジは鶏肉の上にバーベキュー串の先でクルリと円を描き、量をアピールする。確かに少ない。分量でいえば1.5人前分あるかどうかだ。

「今回のキャンプには大喰らいのヨシカズがいるのに、これで足りると思う?」

「足りないかな」

「酒池肉林できる?」

「できないかな」

 徐々に和也はパワハラ上司に責められているような、みじめな気分に陥った。シンジは公務員、和也はフリーター。そんなステータスの違いも劣等感を生む。


「えー、諸君。お取込み中のところ失礼」

 いつの間にやって来たのか、『大喰らい』のヨシカズが二人の背後に立っていた。ヨシカズの手には鶏よりも大きな鳥がぶら下げられている。その鳥は頭は鶏にそっくりだが、美しく輝く羽はキジのようでもあり、何の鳥とも比定しようのない不思議な形状をしていた。


「鶏肉が足りないなら、これでどう?」

 ヨシカズが鳥を二人の目の前に差し出した。その不可思議な鳥はヨシカズに足をつかまれたまま、もがき暴れるでもなく、ときおり不思議そうに首を傾げていた。そのさまは鶏そのものだ。


「どうやって捕まえたわけ? 網もないのに」、シンジが尋ねる。

「口笛を吹いて呼んだらさ、近づいてきて俺の手に乗ったんだ。そこでそのまま足をギュッと」、こともなげに飄々と答えるヨシカズ。

「これ何ていう鳥?」、和也が気味悪そうに声を震わせた。

「キジ? 違うよなぁ」、アウトドア師匠のシンジでも分からないらしい。


「鳳凰だろ。一万円札に描いてあるヤツ」、常識だと言いたげなヨシカズ。

「それっぽいけど鳳凰じゃない。あれは想像上の鳥で実在しないんだ」、と師匠が講釈をたれる。

「何にしてもだよ。勝手に野鳥を捕まえるのは鳥獣保護区では御法度では」、相変わらず和也は及び腰だった。

「大丈夫。ここは鳥獣保護区じゃない」、シンジが即座に否定する。


「ジビエだよ、ジビエ。皆の者、自然の恵みに感謝して早速いただこうぜ」

 食欲旺盛なヨシカズは、った獲物は食べるものと決めこんでいるようだ。

「鳳凰って食べていいんだっけ。祟られない?」

「和也ァ。お前さん確かとり年生まれだったよね」、シンジが呆れたような声で言う。

「そうだけど……」、和也はシンジが腰ベルトから取り出したモノを見て度肝を抜かした。「ちょっと待て、おい!」

 シンジが革ホルダーから抜き出したのは、切っ先の鋭いシースナイフ。和也は慌てて両手の指を開いて、シンジを押しとどめるように前へ突き出す。そのままバランスを崩して、キャンバスチェアごと後ろにひっくり返った。

「酉とはニワトリを意味する言葉……」

 シンジが、ゆらりと立ち上がった。シースナイフはまきすら断ち割ることができる丈夫で切れ味のよいナイフ。冗談でも他人に向けて良いものではない。

「待て待て! 待てっつーの」

 草の上に尻もちをついたまま、後ずさりする和也。

「和也くぅんはジビエ料理と、酉年料理。どっちが好きかなぁ?」

 シンジの双眸に何ものかが憑いたような狂気が宿り、冗談と思えぬどす黒い迫力を帯びた。

「ジビエ。絶対ジビエ!」

「はい決まりね」

 シンジはニヤニヤしながらナイフを腰ベルトの鞘に収めた。

「お前ってホント怖いよ、ジョークと本気の区別がつかないから」、和也は半泣き声をあげる。


「さてと。このトリを締める勇者は誰かな?」

 さすがのアウトドア師匠も、まだ生きた鳥をさばいたことがないらしい。

「俺にまかせて。田舎でニワトリを締めたことがある」

 ヨシカズが名乗りを上げた。彼は「血が飛び散るからね」と言いつつ、シンジのシースナイフを手に森へ向かった。


 血か。

 和也は生き物の生命をいただくことの重みを改めて噛みしめた。


 ◇


 結論からいえば『鳳凰』は大変美味であった。

 ほどよく脂がのった弾力のある肉は噛み応えがあり、これまでに食べたどんな鳥よりも濃厚な旨味に満ちていた。滋養分の豊富な食べ物であることを体が感じ、理解する。


 鳳凰の肉は焼き鳥のようにオーソドックスな塩やタレでもいけたし、シンジが用意してきたスパイシーなシーズニングにまぶして焼いても美味い。皆、口のまわりをベタベタにして、鳳凰の焼き鳥にかぶりついた。


「そろそろ次が焼けるぞ」

 シンジがコンロに並べた串をクルリと回し、裏面を炙る。鳳凰の皮から炭の上に脂がしたたり落ち、ジュッと音を上げた。立ち昇る肉の焼ける香りが、腹をすかせた三人の食欲をますます刺激する。


「野趣あふれるジビエ、たまらんなー」

 欲ばって両手に串を持ったヨシカズが、目から炎を吹き出した。


 目を輝かせたのではない、何の前触れもなくヨシカズが両目から紅蓮の炎を吹き出したのだ。ヨシカズは焼き鳥の串を手に持ったまま体を硬直させ、眼球を失った窪みからバーナーのごとく火を吹き出している。高温の炎は彼の前髪をチリチリと焼き、タンパク質が焦げるイヤな匂いがした。


「コォーッ」

 シンジが口から火を噴き始めた。コォという音は言葉ではなく、彼の口が吐く朱の炎が円柱状に噴出する音だった。彼はやや俯いた姿勢で硬直し、口内から噴出する長い炎の舌が顔をなめまわし焼くにまかせている。香ばしい肉の焼ける匂いが漂う。高熱でシンジの頬が泡立ち、液状に融け落ちていった。


 和也は火を噴く二人の姿を見、椅子から転げ落ちると、地面に四つん這いになった。のどの奥に指をつっこみ、食べた物を胃の腑から吐き出す。鳳凰だった吐しゃ物は雑草の上に広がって爆ぜ、激しく黒煙を上げ燃えた。


 四つん這いのまま和也は、ヨシカズの、そしてシンジの腹から肉を食い破って現れた、うごめく『何か』を見つめた。それは、小さな鳳凰。いや、火の鳥だ。火の鳥の幼鳥は体内から飛び出すと、それぞれが宿主としていた焼けた人肉をついばみ始める。まるでヒトが焼き鳥を味わうがごとく。ピピピと甲高く満足げな鳴き声を上げながら。


 和也は腹部が熱く焼け始めたことを知る。もう吐き出すことはできなかった、全身の硬直が始まったからだ。それは幼鳥の胎動。吐いた程度では火の鳥は許してくれないようだ。


 和也は口から火を噴きながら思った。火の鳥は我々に捕らえられ、食べられたのではない。ヤツに捕まったのは我々の方だ。心を操り、みずからの肉を食べさせ体内に入り込むことで、火の鳥が再生するための揺籃とし、育つための滋養分エサとしたのだ。人間は地球の主を自認し、驕り高ぶっていた。彼ら火の鳥こそ食物連鎖の頂点。


 ああ、新しい命が生まれる。


 終

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山と鳳凰とバーベキュー 柴田 恭太朗 @sofia_2020

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