涙を肴に焼き鳥を呑む

カフェ千世子

涙を肴に焼き鳥を呑む

 焼き鳥といえば、かつてはうずらや雀を指していた。雀などは伏見稲荷の名物だ。だが、近頃の流行りはかしわである。

 関東の方では、あの地震のあとは焼け跡に焼き鳥の屋台がたくさんできたと言う。焼き鳥と言いながら、実際に売っているのは牛や豚なこともよくあるらしい。焼き鳥だと思っていたら、焼きとんだったと言う落ちだ。

 まだまだかしわは高級なのだ。

 なにせ鶏はかつては神の使いとされていた。天照大神が岩戸から出られたときに朝を告げたからである。そんな神の使いを食べるなんてと忌避されていたのだ。

 それが時のうつろいと共に、今では美味しくいただくことが許されてしまった。人間とは誠に勝手で業が深い。


「ああ~、罪深い味だー」

「やかましい奴ややっちゃ

 男はそんなことをつらつら思いながら、熱々の焼き鳥にかぶりついて感嘆の声を漏らす。まだ日も落ちきらぬ明るい内から酒を頼んで、楽しんでしまっている。なんとも悠々自適なことである。


「お前の酒の飲み方はなんともしみったれとるなあ。酒よりとりの方がはよなくなっとるやないか」

「そんな酒豪じゃないんですよ」

「とりを肴にしとるんやなくて、酒を肴にとりを呑んどるみたいやないか」

 男は燗してもらった酒をお猪口に注いで、その酒をちみちみと舐めるように呑んでいる。せっかく温めた酒が冷めそうで店主は呆れている。


「御用聞きなんぞそんな儲かるもんでもないか」

「御用聞きじゃなくて探偵ですよ」

 店主の言葉をやんわりと否定する。

 この男吾川あがわ三郎は、この劇場が居並ぶ地、新開地を根城にして劇場周辺で起こる揉め事を解消することを生業にしていた。

 劇場探偵を自称している。だが、解決する事件が大体しょうもことばかりなので周囲からは御用聞きだと扱われている。


「しかし、今日は客が全然入ってこんな」

 店主は首をかしげる。開店からしばらく。入ってきたのが、この吾川だけである。

「あ、そういやのれんは出てましたけど、札は裏返ったままでしたよ」

「お前!そんなん、いの一番に言わんか!」

「だから、入るときにやってますかって聞いたんですよー」

 しれっと言う吾川に、店主は慌てて表に出る。



「おい、吾川!ちょっと出てこい!」

「ええー?」

 店主に呼ばれて、吾川は店の外に出た。

「あれ聚楽館しゅうらくかんの上に人がおる」

「あ、本当だ」

 店主が指差す先に、人影が見えた。

 聚楽館しゅうらくかん聚楽第じゅらくだいにちなんで名付けられたので、正式にはじゅらくかんと読むのだが、誰もがしゅうらくかんと読んでいた。

 西の帝劇と呼ばれる大劇場である。その屋上に人影が見えている。

「あれ、飛び降りやろか」

「ええー、嫌ですねえ」

「こんな目と鼻の先で飛び降りされたら商売上がったりや」

「もうちょっと、気遣った言い方しましょうよ」

 店主の物言いに、吾川は苦言を返す。


「なあ、吾川よ。お前、あれ止めてこい」

「ええ」

 店主の無茶に、吾川は閉口した。

「劇場の面倒を収めるんが、お前の仕事やろ。行ってこい。駄賃はやるから」

「ええー……」

「ほれ、警察とか来て大事になる前に、片付けてこい」

 ぐいぐいと促されて、吾川は知らずため息を吐いた。



「お邪魔しまーす」

 こんなときに適切な声かけなど知らない。なので、場違いかもしれないがよその家に入るときのようなあいさつをしてしまう。

「……来るな!」

 屋上の端に立つ男が、入ってきた吾川を認めて拒絶する言葉を吐いた。

「いえね。個人的には、生きるも死ぬもそれぞれの自由だとは思うんですよ。でもね。場所は選ぶべきだとは思うんです」

 吾川は構わずにすたすた歩きながら、適当な口上を並べる。


「えーと、最後の晩餐をしませんか。こちらに、熱々の焼き鳥があります」

 包みを持ち上げて、示した。

「いらない」

「そうですかー残念」

 拒絶されて、あっさりと引き下がった。無駄になった包みがもったいないな、と吾川は思う。


「じゃあ、私がいただきますね」

 包みを開けて、焼き鳥をほおばった。

 目の前で飛び降りなどされてしまっては、しばらく肉が食えなくなりそうである。それならば、先に食べてしまおうと言う魂胆だ。

「美味しいですよ。本当に要りません?」

 男は戸惑ったようにしながら、首を振る。

 再度勧めてもいらないとのことなので、遠慮なくうまいうまいと食べ進める。


「ああ、もうなくなった」

 ぽつり、ともらしたところで目の前の男が膝から崩れ落ちた。

「っぅ、うう……」

 見れば、涙が滂沱として流れている。

「え、ええーと実は本当は食べたかったんですか?」

 そんな風に泣かれるなど、覚悟していなかったので吾川は大いに焦った。

「あ、もう一回焼いてもらいますから。ちょっと、下に降りましょう!」

 泣く男を慰めるため、吾川は手を差し出して促す。

 立たせると、男は素直に従った。


 飛び降りの阻止は成功したが、なんとも気まずい思いはさせられたのだ。




「酒はどうだい」

「すいません。酒は飲めません」

 店主が酒を勧めるが、男はそれを断る。涙は一旦止まったが、またすぐにでも泣きそうな顔をしていた。

「ほら。熱いうちに食いな」

「いただきます……」

 差し出された焼き鳥を男は頬張る。しばらく無言で食べ進めていたが、ぽろりと涙がこぼれてきた。

 一串口に入れ終わった頃には、また滝のような涙が溢れていた。


「俺の親父は、ときどきお土産に焼き鳥を買ってきてくれました」

 男の打ち明け話が始まった。

「一本の焼き鳥を兄弟で分け合って食べました」

 いい話が聞けるのかな、と耳を傾ける。

「そんな俺達を横目に、親父は何本も焼き鳥を腹に納めてました」

 いい話どころか、なんだかきな臭い。男が泣いた理由もそこら辺にあるらしい。

「俺達はいつでも腹を空かせてました。それでも、飢え死にしたわけでもなし、体は大きくなったし、親父は家の稼ぎ頭だから、親父が腹一杯食うのは当たり前で」

 男の声が段々と細いものになっていく。早口で一息に言ってしまおうと頑張っているようだ。

「それが当たり前なんだと思ってた……でも、同僚が娘に腹一杯食べさせて、にこにこしてたんです」

 男は一度、息を吸い込んだ。


「その瞬間、俺の価値観がおかしくなったんです。気づいてみれば、おかしいことだらけだった。俺達はいつでもボロを着ているのに、親父はきれいな服を着て、煙草も吸い放題、酒は浴びるように飲んでて、母親はそんな父のためにいつでも酒を用意してやってた……」

 吾川達は口を挟めない。

「これくらい、割りとどこでもよくある話だ。だから、別にどうってことはない……だけど、当たり前にできると思ってた親孝行ができない!」

 急に声が大きくなった。

「結婚もできない!ずっと芝居小屋の女に入れ込んで、通ってたんだ!そんなことをしてるから、結婚できないと思い込もうとしてたんだ!でも、違う!そういう奴になることで、結婚できない言い訳に使ってたんだ!」

 男はぐっと水を飲み干す。これが酒ならば、酔いに身を任せられるのにそうではない。


「結婚したくないから、そうしたんだ!俺は、家庭を持っても、同僚みたいに家族を思いやれる気がしない!だって、親父やおかんに親孝行ひとつできないんだから!」



 男は酔いつぶれたわけでもないが、吾川は店主に送っていけと言われてそれに従った。


 従おうとした。

「あ!あの、いつも劇場にこられてる人ですよね!」

 男に声をかけてきた女がいた。

「えーっとですね。実は聚楽館の上にあなたと似た人影を見つけて、それでもしそうだったらどうしようって、気になってたんですよ」

 男は女が一方的にしゃべるのに任せて、口を開かなかった。

「あの、お話ししませんか。カフェにでも寄っていきましょう」

 女が一生懸命誘っているところで、吾川は後ろから腕を引かれた。

 小声で、邪魔をするなと店主に言われて店の中へと戻る。


「女優から客に声をかけることってあるんですね」

「顔がまずくなけりゃあ、そういうこともあるだろう」

 それに、と店主が付け足す。

「不幸そうな匂いを出してる奴は、モテやすいんや」

「はあ~、なるほど」

 吾川はぼんやりと相づちを打つ。

「あれで、自殺願望なくなりますかね」

「さあ、わからんな、こればっかりは」

 酒を出してもらって、吾川はそれを舐める。

「お前さんは、親孝行しとるんか」

「私は親はいないんで、その辺は気楽ですねえ」

「さよか」


 舐めた酒がほんのり塩味が乗っているような気がした。気のせいだろう。

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