白いゾウ

隠れ里

白いゾウ

 太古の昔、ヒトがまだ限られた活動領域の中で生きていた頃。


 白いゾウの群れが旅を続けていた。彼らは、安住の地を目指していたのだ。


 地上──後の人道は、神と呼ばれる生物たちの戦場になることが多かった。


 白いゾウの群れは、それらの戦地を避けて移動を繰り返していたのである。


 白いゾウは、地上で最も大きな体を持っている。


 しかし、その大きく威圧的な外見とは裏腹に、穏やかで戦う心を持っていなかった。


 その群れの中で、ひときわ小さなゾウが生まれた。そのゾウは、キータと名付けられた。


 キータは、成長しても大きくはならなかった。それでも、群れの中で虐げられることはない。


 むしろ群れの中で守られて生きてきた。


 体こそ大きくはならなかったが、力は通常個体の十倍はあった。


 とても優しい心を持つキータは、あらゆる生物と心を通わせて語り合うことができる。


 その中でも、太陽の馬車を引く馬たちとは特に仲良しであった。


 太陽の馬たちは、日天と呼ばれる主人に飼われている。しかし、日天は、最近留守にすることが多い。


 太陽は、日天の留守の影響から日に何度も止まることがある。


 地上に住む動物たちは、なにか悪いことが起きる前触れなのではないかと恐れていた。



 ある日、安住の地を求める白いゾウの群れは、小休止のために水飲み場で休んでいた。


 キータも大人たちの足元で、水を飲んでいると一匹の白金の長い毛を持つ猿が現れた。


「おお、白いゾウの皆さん。大変です。修羅道の戦いで、一部の修羅がこの地上に上がってくるそうですよ。この場所の下からですよ。おお、おそらくは、太陽を射るつもりだと思いますよ……早く逃げたほうが良いですよ」


 白金の長い髪を持つ猿は、歯をむき出しにしながら興奮気味に言う。


 猿は、奇声をあげながら器用に白いゾウの群れの足元をすり抜けて去っていった。


 天の神々は、このところ負け続けている。修羅が地上に現れることも珍しくはない。


 白金の猿の様子は、そんな珍しくもないことを大変なことのように騒いでいた。


 これは、いつものことでは終わらないのではないか。


 白いゾウの群れのリーダーたちは、口々に遠くへ逃げようと話し合っている。


 白金の猿が逃げた方向に向かって、早く逃げるべきだとリーダーたちの意見は一致した。


 キータは、空を見上げた。太陽を運ぶ馬車の馬たちは、悲鳴のようないななきを上げている。


 手綱を取るはずの2って柚凪御者席には誰も乗っていなかった。


 キータは、友である太陽の馬たちと並んで駆けることはできないが、話をすることはできる。


 太陽の馬たちは、主人の日天の帰らないのを不安に思って鳴いているのだ。


 白いゾウたちは、白金の猿が逃げた南の方向に駆け出した。


 キータは、その場に立ち止まった。


「キータよ。どうしたのか。ここにいては、危険だ。最近は、天の神々も悪鬼悪神を抑えられなくなっている。修羅道の修羅たちは、恐ろしく強い。我々などは簡単に殺されてしまうだろう」


 キータは、顔を横に振る。白いゾウの群れは、ひとり、またひとりと南に向けて移動する。


 最後に残ったリーダーたちは、何度も一緒に来るようにキータを誘った。


 しかし、最後には、悲しそうな顔を浮かべて、何度も振り返りながらも南に向けて駆けた。


「僕らは、日天様が戻らなければ移動ができない。逃げたいけど、動けないんだ」


 太陽の馬たちは、主人が戻らないのを心細く思ってなのか、頼りなげな口調であった。


「大丈夫。僕が守るよ」


 太陽の馬たちは、心配そうな表情を向けてくる。


 キータは、太陽の馬たちに言葉をかけようとしたが、大地が揺れるのを感じて口を閉じた。


 揺れがおさまると地面の一部が歪み、まるで沼のように黒ずんだ。


 今までにこのような光景を見たことがない。キータは、全身を震わせた。


 晴れているのに湿っぽい臭気を感じる。


 刹那、黒い影が地面から飛び出してきたのだ。


 三面四臂の異形の者。神に似た姿を持ちながらも邪悪な気配を漂わせる。


 そのまま、上空にのぼっていく……


 キータは、驚きのあまり声を失っていたが。自分の足元に、もぞもぞとした感覚を覚えた


 三つの影に遅れて現れたひとつの影は、キータの足元には出現した。


 白いゾウにしては、小さな体躯のキータだが、力は誰よりも強かった。


 友人の窮地を守るべく群れを離れる決意ができたのも、それがあるからだ。


 四体目の異形の者は、キータに阻まれて姿を表す前に歪みの中に戻された。


 すぐに歪みそのものが無くなった。


 白金の猿の言うことを信じるならば、この異形の者こそが修羅なのであろう。


「な、んだ。この子象。群れに取り残されたのか……邪魔をするな」


 太陽を目指していた残りの三体の修羅は、空中で立ち止まり、キータを見下ろす。


 神経質そうな顔が並んでいた。


「僕は、太陽の馬たちの友達だ」


 キータは、長い鼻を伸ばして一番近くにいる修羅の足首を掴んだ。そのまま地面に叩き落とした。


「ぐっ!! おのれ……」


 修羅の三つの顔は、それぞれに違う苦悶の表情を浮かべながら、地面に飲み込まれた。


「ただの子象が。おい、お前は太陽の馬車を射落とせ、俺が子象を倒す」


 小さな修羅は、大きな体躯の修羅に言う。


 大きな体躯の修羅は、怒りの眼差しでキータを睨みつけながら頷いた。


 小さな修羅は、キータを目指して曲がりくねった剣を構えて突進してきた。


 キータは、象牙で剣を受け流す。体制を崩した小さな修羅を踏みつける。


 小さな修羅は、三つの口でキータを呪詛しながら地面の中に消えていった。


「覚悟っ!! これで、地上は修羅道になる」


 大きな体躯の修羅は、弓を構えた。


 太陽の馬は、逃げ出そうともがくが、日天がいないのでは動くことなできない。


「やめろ」


 キータは、大きな声で咆哮する。大きな修羅は、キータの方を向いて六本の手をそれぞれ合掌させた。


 何か呪文の言葉を吐き捨てる。キータは、体が重くなるのを感じた。


「他の修羅と一緒にするな。下等生物……」


 大きな修羅の3つの顔は、動けなくなったキータをあざ笑う。


 大きな修羅の3つの笑い声が合わさって、ザワザワと心を刺激した。


 再び、弓を構え矢をつがえた大きな修羅。それを見て、太陽の馬は顔を真っ青にして暴れまわる。


 馬車が、激しく揺れて荷台から大きな酒樽が落ちてきた。


 酒樽は、大きな修羅が反応する前にキータの目の前に落ちて割れた。


 割れた酒樽からキラキラと光る液体が、キータの身体にかかった。


 液体は、皮膚をつたって口の中に入ってきた。甘くて粘着性のあるソレは、舌の上に転がる。


 動けなかった体は、動くようになった。


 それだけではない。キータの体は大きくなり、活力がみなぎるのを感じた。


 顔は、3つに分かれた。象牙は、まるで大鎌のように反り返る。


 白く柔らかな肌は、金色につやめき、金剛石のように堅固になった。


「な、なんだ。こ、この化け物はっ!!」


 大きな修羅は、血相を変えて体を震わせた──今のキータからすれば、とても小さな修羅なのだが……


 キータは、再び合掌しようとする大きな修羅をいともたやすく二つの長い鼻で捕まえる。


「や、やめろ。化け物め……」


 大きな修羅は、自由な二本の腕で矢を放つ。太陽すら、射落とすことのできる矢であるはずだが。


 キータの金剛石のような肌に傷一つ負わせることはできなかった。


 キータの口の中に近づくたびに、ネズミのような惰弱な表情で何かを哀願していた。


 修羅は、巨象の口の中で弾けて黒い霧となって地面の底に落ちていった。


 四人の修羅は、今や巨象となったキータによって倒されたのだ。


 地上は、一匹の巨象によって救われたのだが……


 地上に住む動物たちは、巨象を見ても化け物として恐れおののくだけであろう。


 あらゆる生物は、彼と語ることを恐れるはずだ。


 あらゆる生物は、彼を遠ざけることだろう


 白いゾウの群れに、仲間のもとに戻れなくなってしまった巨象。


 だが、彼は孤独ではない。太陽の馬たちの友として天に上ったからだ。


 数え切れない歳月の末、キータは、ある超越者を背に乗せて再び地上に戻ってくることになる……


 【白いゾウ】完。

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