焼き鳥手稿

飯田太朗

俺なんかどうせ……

 三月十六日

 親父が倒れる。緊急搬送。くも膜下出血。意識不明。妙子さんの計らいで店は臨時休業にしたらしい。


 三月十七日

 親父が意識を取り戻す。だが俺の顔も分からないくらい朦朧としていて、話しかければうーとかあーとか言うのだが会話ができない。妙子さんが着替えや日用品を持ってお見舞いに来てくれた。店は引き続き休業。自転車操業みたいな経営の店だったから二日も空けると痛いだろう。

 俺が親父の下を離れてから十五年。さすがにあの頃と同じかつかつの経営はしていないだろう……していないでくれ。そう願うしかない。


 三月十八日

 選考が進んでいた企業からお祈りのメールが来た。後一週間で失業保険が切れる。順彦がじいちゃんの様子を見るついでだと言って家に寄ったが、俺の顔を見るなり「母さんを頼りなよ」と悲しそうにつぶやいた。情けなかった。

 夕方、親父のところに行くといくらか意識がハッキリしたのか、「うん」とか「ううん」とかいう程度の意思疎通はできるようになった。「俺が分かるか」と訊いたら「ううん」。落胆した。


 三月十九日

 妙子さんが家に来た。折り入って話があるとのことで聞いてみると親父の店を継がないかという話だった。親父の店には帰らないと決めて家を飛び出したのが十八の時。俺もとっくに三十を過ぎて、子供はいるけど恵理子には愛想をつかされて離婚して、親父みたいなバツイチには絶対にならないと思っていたのに、いつの間にか親父と同じ道を歩んでいるどころか、それよりもっとひどい状況にいる。そこに来て妙子さんからのこの提案。考える。

 妙子さんは店の鍵を置いていった。


 三月二十日

 何とはなしに店の近くを歩いていると、ひげじいに会った。相変わらず胸まではあるふさふさの髭を撫でつけていて、元気そうですね、と言うと「親父さんのところが閉まってるから酒が飲めねぇよ」って。親父の体調について訊かれたが、俺の表情を見て分かったのだろう。歳をとるのは嫌だ、という旨のことを言っていなくなってしまった。下ろされたシャッターを見て、胸の奥が詰まった。


 三月二十一日

 親父の容態が急変した。また出血したらしい。医師から先が長くないかもしれないこと、無事に治っても何かしらの障害が残るかもしれないことを告知された。親父があの店に立つことはもう、無理かもしれない。

 そんなことを思っていたら書類を出していた企業からお祈りのメールが来た。悔しかった。ただ悔しい。


 三月二十二日

 店は閉めてしまおうと思って親父の店に行った。懐かしかった。何もかも俺が飛び出した時のままだった。壁にあるポスターさえ、色褪せてはいるけれどあの時のままだった。片付けに来たはずなのに何一つ手がつかなかった。手をつけられなかった。

 焼き台の前に立つと、タレで汚れたメモ帳を見つけた。開いてみると、串の打ち方、肉の仕込み方、タレの作り方からつくねのこね方まで、丁寧に書かれた親父秘伝のレシピがあった。ただその最後のページ、多分ねぎまの作り方だろう、それが書かれたページだけタレでべったりくっついてほとんど開けなかった。

 親父のねぎまは鶏肉を特別な塩ダレに漬け込んでから焼く。塩ダレで柔らかくなった肉はそのまま塩を振って焼いても美味いし、特性の醬油ダレを塗って焼いても美味い。ひげじいはタレが好きだったな。潰れたページは、おそらくだが、その塩ダレのレシピだ。


 三月二十四日

 また落ちた。酒を飲む。明日で失業保険が切れる。


 三月二十七日

 また二つ、落とされた。


 三月二十八日

 もうやめにしよう、飛び降りようと橋まで行ったが駄目だった。俺はどうしようもない男だ。


 三月二十九日

 酒を飲んで夕方まで寝ていると順彦と恵理子が来た。恵理子は俺の顔を見るなり頬を張った。しっかりしなさいと叱られた。昔から気の強い女だったが、相変わらずだった。

 それから恵理子は唐突に、俺の作る料理が何より好きだったと告白してくれた。中でもはちみつに漬け込んでから焼く鶏もも肉のネギ塩焼きは絶品で大好きだったらしい。でも今のあんたには作れないでしょうねなんて吐き捨てられた。笑うしかなかった。

 恵理子が帰った後、順彦がこっそり戻ってきて「母さん、泣いてたんだぜ」と教えてくれた。胸が苦しくなった。

 何やってるんだ俺は。

 頑張って頑張って駄目なら、もっと頑張ればいいじゃないか。


 三月三十日

 朝早く、店に行って掃除をしていたら、妙子さんがやってきて手伝ってくれた。継ぐんですか、と訊かれたからハイと答えた。食品衛生責任者の資格は翌日にならないと取れないのですぐの開店はできなかったが、今日の内にできる準備は全部した。材料の卸業者も頑張ってくださいと言ってくれた。


 三月三十一日

 食品衛生責任者の資格を取った。開店の準備はできたことになる。だが悩んでいた。俺が焼けるのか。誰か調理師を雇って焼いてもらった方が、金はかかるが確実なんじゃないか。

 さんざん悩んだが、親父の経営帳簿を見て馬鹿らしくなった。妙子さんを雇うだけでも精一杯の経営状況だったからだ。俺が立つしかない。俺が焼くしかない。


 四月四日

 親父の容態は多少よくなったが、記憶障害と半身麻痺が残っているらしかった。退院は先だと言われた。入院費用を稼ぐためにも俺が店を回さないといけない。

 幸い、店の方は常連が戻って来てくれたから、かろうじて一日当たりの赤字は回避できている状況だった。それでも親父が店に出られなかった十日間の穴を埋めるのには程遠い。地道に、地道にやっていかねば。


 四月五日

 ひげじいに「肉が硬い」と言われてしまった。おかしい。塩ダレにたっぷり一日漬け込んでから焼いているのに。

 心当たりがあるとすれば、塩ダレのレシピが俺の記憶の中にしかなかったことだった。多分小学生の頃だったと思う。親父が塩ダレを作るところを見たのは。あの時の記憶を頼りに再現したのだが、微妙にレシピが違ったのだろう。

 自分で作ったレシピメモを見返したが、おそらく材料は合っているはずだ。二十年以上前の記憶だが間違いない。自信はある。問題は材料の割合か、それか鶏肉を漬け込む時間か、そもそも肉の部位か……。


 四月九日

 ひげじいに素直に頭を下げて協力してもらった。ひげじいも「あのねぎまが食えるなら」と喜んで協力してくれた。材料の割合、漬け込み時間、肉の部位、それぞれ変えたものを順番に食べてもらった。

 味は再現できているらしい。これはひげじいのお墨付きをもらえた。だが柔らかさが違うそうだ。分からなかった。漬け込んでいるタレのレシピはおそらくだが合っている。漬け込む時間をいくつか変えて出してみたがひげじいは「どれも硬い」と言う。そしてひげじいが言うには「もも肉であることは間違いない」らしい。随分前に親父から直接聞いたそうだ。分からなかった。悔しい。


 四月十日

 店に恵理子と順彦が来た。

 俺は驚いたが恵理子は涼しい顔で鶏もも肉のネギ塩焼きを注文してきた。品書きにないものだったし、はちみつには漬けていなかったが、とりあえず肉を串から外してささっと作って出した。恵理子は黙ってそれを食べて、ビールを二杯飲むと順彦を連れて帰っていった。ひげじいがにやにやしていてムカついたので、うずらの卵をサービスしておいた。


 四月三十日

 店の経営に見通しが立ってきた。親父もいくらか回復して、歩行器が必要だが一応は歩けるようになった。表情筋も麻痺しているらしく顔の半分が動かなかったが、俺が焼き台の前に立っているのを見るとくちゃくちゃと口を動かして姿勢が悪いだなんて言ってきた。胸を張って焼け、ということらしい。

 親父に塩ダレのことについて訊いた。ひげじいに協力してもらったが、結局再現できずにいた。親父は顔をくしゃくしゃにして考えていたが、やがて泣き出した。どうも思い出せないことが悔しいらしい。脳がやられて感情や記憶がごちゃごちゃになっているのかもしれない。無理をさせてはいけないと思って病院に連れて帰った。

 今晩も、ひげじいは相変わらず「硬い」と言っていたが俺の焼いた鶏を食ってくれた。親父のためにも、ひげじいのためにもあの塩ダレを復活させねば。


 五月一日

 店の準備をしていたら順彦が一人でひょっこりやってきた。何でも恵理子に鶏もも肉のネギ塩焼きを作って驚かせたいらしい。レシピを教えてやった。はちみつを使うと肉が柔らかくなることを教えてやったら順彦はびっくりしていた。

 それから順彦は、俺に店を継ぎたい、手伝いたいと言ってくれた。従業員が増えることは嬉しかったが、小遣い程度もあげられないから断ろうとした。しかし順彦は、本当にいつの間にこんなに立派になったのだろう、真剣な顔で俺にどうしても継ぎたいと言ってきた。涙が出そうだった。

 俺が店を継ぐ前に塩ダレのレシピを復活させてくれ、と順彦に言われた。

 そして順彦が帰った後、俺は分かった。


 五月三日

 気づけば親父の誕生日だった。親父は食事制限があるから焼き鳥は食えない。でも、俺にはできることがあった。やっぱり頭を下げてひげじいに協力してもらった。

 ねぎまを出した。ひげじいは念のため入れ歯安定剤を強力にしておいたなんて冗談を言ったが、一口食べて驚いていた。それから親父に向かって言った。あんたのねぎまだよ、と。

 割合がおかしかったんじゃない。漬け込む時間が足りなかったんじゃない。焼く部位が違ったんじゃない。

 材料だ。親父ははちみつを塩ダレに使っていた。それは、そう、俺の鶏もも肉のネギ塩焼きがはちみつを使って肉を柔らかくするように、親父もタレにはちみつを入れていたのだ。

 ひげじいは喜んでねぎまを食べていた。その様子を見て、俺は初めて、本当に初めて、親父が嬉し泣きしているところを見た。

 妙子さんが親父の背中をさすっていた。


 了

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焼き鳥手稿 飯田太朗 @taroIda

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