刀を研ぐ佐兵衛

広之新

刀を研ぐ佐兵衛

 佐兵衛は必死に納屋の中を探した。すると奥に誇りまみれの長い布袋があった。それはもう何十年も人目に触れていないようで、虫に食われてボロボロになっていた。


「これじゃ・・・」


 佐兵衛はそれを手に取って布袋を破った。すると中から古ぼけた刀が一振り出て来た。彼はそれを懐かしく見つめた。この刀は佐兵衛のかつての愛刀だった。二度と見ることはあるまいと思っていたが、また役に立ってもらう時が来た。

 佐兵衛は刀を抜こうとしたが、固くて抜けなかった。相当、さび付いているようだ。


(こいつも儂と同じく、さびが回ってしまったか・・・。儂は米寿、足腰も満足に立たぬ年寄りだ。この刀も確か、それぐらいの年のはず・・・)


 佐兵衛は腰がやや曲がりかけて足元がふらついていた。それでも力を込めて何とか刀を抜いた。案の定、刀身は真っ茶色にさび付き、表面が凸凹していた。


「研がねばならぬな。」


 本来なら研師に頼むところだが、そんなときはない。昔のように自分で研がねばならない。佐兵衛はまた納屋から研石を見つけ出して土間に下りた。ここで刀を研ぐつもりであった。もう夕方で辺りは暗くなり、佐兵衛はろうそくを灯した。

 錆まみれ刀を見て佐兵衛は思った。


(儂だけがこうして生き残ってしまった。古くからの知り合いはもう誰もいない。いや違う。この刀だけがずっと儂を知っている。何もかも・・・)


 息子の太兵衛、孫の誠之助は青井左門に闇討ちにされた。左門は武芸が達者なことをいい事に村の者に乱暴狼藉を働いた。それを咎めた太兵衛を恨みに思い、暗い夜に襲い掛かったのだ。一緒にいた誠之助も斬られた。左門はそれで藩を出奔し、隣の大藩、大森家に仕える親戚宅に身を置いているのだ。

 新形藩は面目を保つため横田家に仇討を許した。しかし誠之助の妻の、幼子の小一郎に仇が討てるわけがない。それならということで横田家は家名断絶の淵に立った。

 そこで「この隠居が仇を討ちまする。」と佐兵衛が願いを出し、早速、許された。藩は勝ち負けがどうなろうと傷つかぬが、佐兵衛が負ければ横田家は断絶する。


 佐兵衛はしわだらけの手で刀を研ぎ始めた。ギシギシと擦れた音が土間に響いた。


(横田家は守らねばならぬ! 小一郎のためにも・・・)


 佐兵衛の頭にはひ孫の小一郎の笑顔が浮かんでいた。この子のためにも、よりどころである家は残してやらねばと彼は思っていた。



 佐兵衛はさらに刀を研いだ。そのうちに錆の表面の凸凹が取れて滑らかになった。


(儂が傘寿の時に小一郎が生まれた。ひ孫の顔を皆が囲んでのぞきこんで見たものじゃった・・・)


 佐兵衛も息子の太兵衛も早くに妻を亡くした。彼らは後添いをもらわず、むさくるしい男ばかりの所帯だったが、ようやく誠之助が嫁を取った。そこに子供も生まれ、急に家の中がにぎやかになった。久しぶりに家の中が活気にあふれ明るくなった。



 佐兵衛は刀を研ぎ続けた。すると茶色の刀身に少し光沢が見えてきた。


(太兵衛はできた息子だった。武辺一辺倒の儂に比べ、読み書きそろばんが得意だった。だから太兵衛はみるみる出世した。それでもう儂はいるまいと隠居を申し出て許された。それからこの刀を納屋にしまい込んだ。人の血を浴びたこの刀を抜くことはもうあるまいと。)



 夜半を過ぎ、辺りは静まり返っていた。それでも佐兵衛はさらに刀を研いだ。すると刀身の一部の錆が取れ、少し地金が見えた。それは暗い色をしていた。


(天下太平になり、戦がなくなってこの刀が必要でなくなった。ただ腰に差しているだけの存在になった。戦しか知らぬ儂は戸惑ったが、次第にそれに慣れてきた。そして子供を授かり、これからという時に妻のが亡くなった。まだ幼かった太兵衛を抱えて儂は途方に暮れていた・・・)



 佐兵衛はまた刀を研いだ。すると錆が完全に取れ、鉄色の刀身が現れた。この刀は人の血を吸っている。それでくすんでいるのだ。


(儂は大将首を上げ、先々代、いやもっと前の殿だったか・・・お褒めの言葉と褒美を与えられた。その面目をもって儂は妻を娶り、横田家を起こすことができた。)


 小禄ではあったが一人前の侍になれた。これで人並みに幸せに暮らせると思った。



 佐兵衛は刀を見つめた。まだ人を斬るには不十分だ。切れ味を鋭くするため、さらに刀を研いだ。


(儂はずっと戦場から戦場に駆り出された。そこで懸命に働いた。『鬼の佐兵衛』という異名で敵からも味方からも恐れられた。どれほどの者の数を斬ったかは知れない。この刀が儂の半身となって戦い抜いたのだ。)


 あの頃は生きていくので必死だった。将来のことより明日のこと、いや、すぐ先のことで手いっぱいだった。



 佐兵衛は研ぐのをやめて刀を掲げた。それは暗い土間でろうそくに照らされて光を放った。それは生き生きしているように見えた。


(儂は十四の時が初陣だった。その時、この刀を母上から渡された。討ち死にした父が私の生まれた年に打たせたものらしい。一度も人を斬っていない刀身は光輝いていた・・・)


 佐兵衛は研ぎ終わった刀をじっと見た。落ちくぼんだ彼の目に鋭い眼光が宿っていた。そして刀はあの初陣の時の輝きを取り戻していた。


(儂はまたあの頃のようにやれる! きっとやれる! )と佐兵衛は自分にそう言い聞かせて奮い立たせた。辺りはもう明るくなってきていた。


(もうすぐ夜は明ける。そうなれば左門との戦いが待っている。この身は88歳だが、心はこの刀と同じように昔に戻っている。負けるはずがない!)


 佐兵衛は刀を鞘に戻して腰に差した。その姿は昔の佐兵衛そのものだった。


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