ヒヨコのヒヨ吉
宇部 松清
ヒヨ吉とおやっさん
「お願いします!」
腰をきっちり90度に折り曲げて、そいつは言った。
「駄目だ駄目だ。お前には無理なんだよ」
「そこを何とか! おやっさんっ!」
だいたいのことは「しょうがねぇなぁ」で首を縦に振ってしまうこの俺でも、それだけは無理だ。
だからさらに「何度言われても無理なんだ。わかってくれ」と重ねれば、そんなぁ、と言ってがくりと膝をつく。そこに腰を落とし、きゅっと丸まった背中を撫でてやった。
「あのな、ヒヨ吉。おれはお前がそれこそぴよぴよのヒヨコだった頃からの付き合いだ。懐かしいなぁ、親に捨てられて行くところがないんです、なんてさ」
「……うう」
「皆から反対されたよ。店もあるし、男一人で育てるなんて無理だ、施設に預けろなんてことも言われたしな」
「……」
「お前がカラーヒヨコになりたいなんて言い出した時には、これが反抗期ってやつなのかと思いつつも、何事も経験だ、なんて思って真っ青に染めてやったこともあったな」
「……その節は、本当に……ご迷惑を」
「迷惑なんてあるもんか。俺はな、むしろ感謝してるんだ。子どもも出来ねぇまま嫁さんに先立たれて、この先一人で生きてくもんだと思ってたからな。まさか子育てを体験出来るなんざ思わなかった。ありがとうよ」
「そんな、俺の方こそ……!」
がば、と顔を上げたヒヨ吉は涙まみれの鼻水まみれで、せっかくのイケメンが台無しだ。
「だからな、ヒヨ吉。何も俺に恩なんか感じてくれるな。ウチが焼き鳥屋だからって、焼き鳥になりますってお前、そんなの無理に決まってるだろ」
「だって! 俺はもう大人です! 立派なニワトリなんですよ!?」
捌いてください! さぁさぁさぁ! などととんでもないことを言いながら、グイグイと迫ってくる。落ち着け。まず落ち着け。
「あのな、ヒヨ吉。俺はお前にちゃんと話すべきだったんだ」
「何がです。も、もしかして俺はめんどりだったのですか!? な、ならいますぐたまごを――」
「落ち着け。お前は雄だ。雄っていうか、普通に男だ」
「……はい?」
早速産む気になっているのだろう、ズボンとパンツを手早く下ろして尻を出し、和式トイレスタイルでいきみだしたヒヨ吉の肩を叩いてやめさせる。そんなことをしたって出てくるとしたら別のものだ。
「あのな、お前は人間なんだよヒヨ吉」
「えっ……!? だって昔から俺のことをぴよぴよ可愛いヒヨコちゃんって」
「それはまぁ、あれだな。それくらい可愛かったんだよ」
「名前だって『ヒヨ吉』だし」
「すまん、何かテンション上がっちゃってキラキラネームつけちゃったんだ。一応、漢字で書くと『
「昔から『立派なニワトリになれよ!』って言ってたのは」
「そりゃお前、可愛いヒヨコちゃんなんだから、立派な大人になれよ、的な意味合いで言ったまででな?」
「そんな、俺は人間だったのか……」
尻を出したままうなだれる『陽陽吉・二十歳』である。
「ていうか、俺がずーっと『いつか立派なニワトリになって、おやっさんに焼鳥にしてもらいますね!』って言ってたの、どういう気持ちで聞いてたんですか?」
「いやー、可愛い我が子が最高に馬鹿で可愛いことを言ってるなぁって思ってたよ」
だってまさか本気だとは思わないだろ。ていうか、いまのいままでガチで自分のことをヒヨコだと思ってるとは思わなかったしさ。どんだけ純粋なんだ、お前。
「『そろそろ食べ頃じゃないですか?』とか聞いたりしましたけど、その辺は?」
「いやー、それはさ、何となく目がギラついてるような気がしたから、こいつぁもしかして、アッチの意味でかな? って思ってたわ。だとしても断るけど」
「何でですか!」
「そっちもまんざらじゃねぇのかよ。いや、俺、女が好きだから」
「畜生! せめてめんどりだったら!」
「だからさ、お前は鳥じゃねぇから。めんどりだとしてもどうにもならねぇしな?」
だん、と悔しげに床に拳を打ち付ける、尻丸出しの可愛い息子(ただし血は繋がっていない)である。パンツを直してやろうかと思ったが、余計なお触りは逆に危険かもしれない。
「そんな、俺はこれからどうしたら……」
ぐぅぅ、と嗚咽を上げる。こいつの親は一体何人なのだろう、透けるような金髪頭がふるふると震えている。そもそも俺がヒヨコヒヨコと言い出したのは、こいつの地毛が金色だったからなのだ。
「そうしょげるな、ヒヨ吉」
「おやっさん……」
「俺はな、お前がここまで立派に育ってくれて本当に嬉しいんだよ。別に焼き鳥になんてならなくて良いんだ」
ほんとマジでならなくて良い。
だってお前、生きてる人間捌いて串に刺して焼きました、ってそれもう日本中が震撼する大事件だからな? 絶対に小説とか映画のモチーフになるやつだから。そんなことしたら、俺、死刑どころの騒ぎじゃねぇよ。
第一、ウチの店の焼き鳥、業スー(業務スーパー)の冷凍のやつだぞ? そもそも俺、鶏なんて捌いたことねぇもん。そんなスキル披露したことないだろ?
「お前はさ、これからもウチの看板息子として店を手伝ってくれれば良いんだ」
「お、おやっさぁん……!」
こうして『焼き鳥屋・ヒヨ吉』は今日も業スーの焼き鳥を焼くのである。人気メニューはモモとつくね。タレも市販のやつだ。
ヒヨコのヒヨ吉 宇部 松清 @NiKaNa_DaDa
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます