枝花の重なる

ナナシマイ

 人というのはたいてい若く見られたいものであって、かく言う僕もそのひとりだから言動に気を遣ったり流行りのファッションなんかを取り入れてみたりと必死に若作りをしているわけだけど、まあ結局のところいくら健康体だったとしても老いて死ぬ。たとえばネットニュースではしばしば「四十五歳の美魔女、若さの秘訣!」なんてタイトルでよくわからない食材や習慣の紹介をしていて、そういうのには終わりのほうに必ずと言っていいほど「そしてこのサプリを併用すればさらなる効果が期待できます!」みたいなことが書かれているから批判だって当然のごとくついている。ただ裏を返せばそれだけの関心が集まっているということで、やっぱり人間というのはそういう思考や欲からは逃れられないのだなあと思う。

 逆に年上に見られたい人というのは老獪な経営者に営業をかけたい若者や顔のしわを見せつけて威張り散らしたいご老人が多いと思っていて、だからといって「老いの秘訣!」みたいなタイトルを見ることはない。老いという言葉には「素敵な」とか「穏やかな」のような枕詞が必須でそれ単体ではいい意味として使われることは少ないし、そもそもが老いを求めた結果というより前向きに受け入れるための考えかたなのでそこにはある種の忌避感みたいなものがあるようにみえる。どちらかというと「貫禄のある人の特徴」みたいのが老いに対する純粋に好意的な捉えかたであって、それでも「老い」という直接的な単語は使われないのだからそれが一般論に即しているのだろう。

 僕の友人である幸雄ゆきおはその辺りの感覚がほかと少しずれていて、先ほど述べたような理由もなく老いに対して好意的な感情を持っている。何年か前、冬生まれの彼に五千円くらいの半纏をプレゼントしたら大変喜ばれて、それ以来ちょうどよい寒さのときに会う約束をするとだいたい羽織ってくるものだから部屋着用にと思って買った僕としては複雑な気分だったのだけど、とにかく幸雄という男はそういうふうに古さを好んで身に着けるような奴であった。

 ここで勘違いして欲しくないのは、彼は決して「古きよき」を重んじているわけではないということで、むしろ若作りをする老人に寄せたいと望んでいることだ。幸雄が僕に連絡をしてくるときは黒電話なんて使わず(そもそもあいつの家に据え置きの電話があるかどうかも怪しい)にシニア向けのスマートフォンからチャットを飛ばしてくる。妙な組み合わせの絵文字や漢字変換のミスは当たり前でたまに送られてくる飼い犬の写真もどこかピントが合っていないという徹底ぶりに、彼のスマートフォンの文字サイズが「特大」に設定されていることを知っている僕はなんとなく祖父母に送るような文面で返信してしまう。


 そんな幸雄からとつぜん電話がかかってきたのは昨晩のことで、珍しいと思って話を聞くと「明日、万草園に行かんかのう?」という誘いだった。万草園は陽野市にある小さな植物園で、季節ごとの花が楽しめるなかで特に梅が有名な場所だ。もうそんな時期か……と思いながら僕もちょうど出歩きたいと思っていたところだったから二つ返事で了承してカメラの電池を充電した。

 万草園のある駅は都心から特急で途中まで行ってそこから各駅停車に乗り換えれば三十分ほどでつくけれど、この沿線の景色がけっこう好きなものだから時間に余裕があるときはできるだけ各駅停車に乗ることにしていて、今日もその例に漏れず一時間くらいかけて来た。それで改札を出たところに寄りかかったままなにか飲み物を買うかこのままネットニュースでも眺めていようかと悩んでいたら、

「よォ俊樹としき。待たせたかぁ?」

と声をかけられて、顔を上げると灰褐色のズボンにベージュのフリース、ズボンと同色でポケットのたくさんついたベストを着た男がヨレた帽子の下でニィっと笑っていた。僕が適当に「そうでもないよ」と返事をして歩き出せば、彼も特別気にしたようすもなくゆったりとした足取りでついてくる。

 万草園までの道のりは駅前の通りから案内の矢印にしたがって曲がったところで緩やかな坂になり、それが園の入り口までずっと続く。これがけっこうキツイもので僕なんかはあんまり体力がないからすぐ息切れしてしまうのだけど、幸雄はそうでもないらしく「ハァ、ハァ」とわざとらしい息を吐くから余計に疲れる。

「永遠の八十八歳にはきっつい坂じゃな」

 などとのたまう彼にはやっぱり余裕があって、最後の追い打ちとばかりに勾配が急になったところで僕は一度立ち止まってしまったのに彼はその横をのそのそと追い越していく。やっとのことで登りきると「ほっほっほっ、最近の若者は元気がないのぅ」といういかにもな台詞が待ち構えていたので僕はそれを無視してチケット売り場に並んだ。


 土曜日ということで園内はそれなりに混雑していた。初老の夫婦や家族連れが多く、思い思いに梅を見ているなかで僕たちみたいな組み合わせはもちろんいなくて、かといってジロジロ見られるわけでもないし僕たちもそういうことを気にするタイプではないから挙動不審になることもなく普通にしている。

 一概に梅といっても枝の伸びかたや花びらのつきかたは品種によってまるっきり違う。近くで見えるその違いが面白くて僕はパシャパシャとシャッターを切っていたけれど、となりからなにやらブツブツと呟く声が聞こえてきたのでファインダーから目を離すと幸雄が筆ペンをくるくる回しているところだった。

「立ってたら書きにくいんじゃないの。あっち座ってれば」

 そう声をかけても聞こえていないようすで、いちど集中すると周りが見えなくなる彼の悪癖を思い出した僕は諦めて写真を撮ることにした。

 梅で有名と言われるだけあって園内の小径は梅が見やすいようになっていて、人の流れも自然とそれに沿っている。写真を撮っていると先へ先へ進もうとする力がはたらくから僕も無意識に流れていたらしく、一周したところで幸雄とはぐれたのではないかとハッとして振り向くと短冊とにらめっこしたままぴったり僕のうしろを歩いていた彼の頭が見えて僕は笑ってしまった。

 昔なにかの本で「馬は群れについていく習性がある」というのを読んだことで起きた笑いだったけれどそれを幸雄に説明しても仕方がないと思ったから僕はそのまま黙っていて、急にカメラを構えるのも面倒になって幸雄の短冊を覗いてみたらなにも書かれていなかった。

 しばらくそうしていたら幸雄が「ダメじゃ、今日は筆が乗らんの」と残念そうに短冊と筆ペンをベストのポケットへしまう。僕たちはちゃんと梅を見るためにもう一周することにして、帰りの電車ではどの形が好みだったかとかあの色なら家にも飾りたいだとかそういう話を延々と続けた。地元の駅に着いたときにはもう日が暮れかかっていて、そこで僕はどうしていきなり梅を見ようと思ったのか幸雄に聞けばよかったと思った。

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