【KAC20225】 野田家の人々:88歳
江田 吏来
第5話 88歳
俺の祖父は88歳。いわゆる米寿だが、口達者で元気を絵に描いたようなじいちゃんだ。
今朝も畑でとれた野菜を家に持ってきてくれた。
「じいちゃん、おはよう」
俺が爽やかに挨拶をすると、こたつで背を丸めていた弟は立ちあがった。
「朝練があるから、いってきます。じいちゃん、またな」
「ほうか、ほうか。日々鍛錬、偉いのぅ。いってらっしゃい」
弟は帰宅部だ。朝練もなければ、鍛錬の「た」の字もない。ふしぎに思っていると、弟はニヤリと笑って家を出た。
「おっと、俺もそろそろ学校に」
「待て。おまえは日々の鍛錬よりも遊び歩いているそうじゃな。軟弱な心をじいちゃんが鍛えてやる。木刀を持ってこいッ」
「え?」
「はやくしろッ!」
「は、はいッ」
しまった! 弟にはめられた!?
じいちゃんに良からぬことを吹き込んだに違いない。
十代の頃、鬼畜米兵をやっつけろ! で育ったじいちゃんは、88歳になっても武道派だ。ボコボコにされる。
常日頃から弟をいじめているから、とんでもない仕返しがやってきた。
「弟のくせにやりやがったな。あとで覚えてろよ」
文句を垂れ流しながら、修学旅行で買った木刀を手にして戻ると、じいちゃんは弟が消し忘れたテレビに釘付けだった。
テレビにはウクライナとロシアに関するニュースが流れて、避難する人たちが映っていた。
「戦争はあかん。空襲があれば黒焦げの子どもに、ウジのわいた女。肌がめくれて性別すらわからん死体が山ほど転がっとった。国からの情報は一方的なデタラメばかりで、世の中で日本が一番正しいと信じ込まされておった。……酷い話じゃ」
じいちゃんはこたつの上のミカンをひとつ取って、ぽつり、ぽつりとつぶやいていく。
「あそこの川の東側に米軍の飛行機が落ちてな、隣組の班長が「竹槍を持て」と叫ぶから、じいちゃんも母ちゃんたちと竹槍を持って川にいったんじゃ。そうしたら、墜落した飛行機を懸命に消火する人と、負傷した敵兵に竹槍を向ける人がおったんじゃ」
そこまで話して、じいちゃんはミカンを食いはじめた。
「じいちゃんも竹槍で戦ったんか?」
毎日体を鍛えているじいちゃんだから、敵兵をやっつけた武勇伝でも出てくるのかと期待していたが、じいちゃんは首を左右にふる。
「二軒隣の未亡人が敵兵をかばったんや」
「戦時中に? そんなことして平気やったんか?」
「さあな。あの人がどうなったのかよく覚えとらんが、あのときの言葉が今でも頭から離れんのや」
ミカンを見つめたまま、静かに語ってくれた。
「あんたら、この兵隊さんを傷つけたらあかん。上の命令で日本にやってきただけや。この人にも帰りを待つ家族がおるんや……って、自分の家族は鬼畜米兵に殺されたのにな」
「…………」
「さて、今日は帰るわ。戦争はあかんぞ」
片手をあげて、朝日の中を進むじいちゃん。
その背中から強い生き方を感じた。
【KAC20225】 野田家の人々:88歳 江田 吏来 @dariku
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