第4話 癒し
店に通わなくなって、三ヶ月が過ぎた。
その間、私はマスターの顔と手料理を思い返す事で、ストレスフルな日常を耐え抜いた。
芽衣の、マスターへの恋は成就したのだろうか。
マスターの顔を思い返す度に私の中でその事が引っ掛かったが、店に通う事を止め、彼女からの報告も無い現状ではそれを知る術は無く、結局私は後ろ髪を引かれる気持ちで時が過ぎ去るのを見送るのみであった。
さらに、三ヶ月が過ぎた。
芽衣の気持ちを考え、店に赴くのを控えていた私だったが、ある一つの出来事が再び私を店に足を運ばせた。
仕事をするにあたって、理不尽な上司は付き物だが、今回の出来事はさすがに私の中で臨界点を突破した。
地味ながらもそれなりに作業スピードが早い私は、余った時間によく課長の仕事を手伝ったりするのだが、その課長の仕事で私はミスを犯した。
課長は、上司という立場と普段から文句を飲み込んで従順に仕事をしている私を舐めてかかっているのか
「このミスで、いくらの損害を出したか分かっているのかぁ!」
と、全ての非を私に押し付けてきた。
が、私の立場からすれば「課長さえちゃんとしていれば、仕事を手伝う必要は無かった」訳であり、納得がいかなかった私は、涙混じりに「何で、そこまで言われなきゃいけないんですか!」と反論した。
しかし、その反論が課長の怒りに薪をくべたようで「ミスをしたのに、何だその態度はぁ!」とキレ、さらに人格を否定するような罵声を浴びせた後、課長は強引に話を打ち切った。
同僚は、誰一人私に慰めの言葉をかけてくれなかった。
元来の引っ込み思案の性格故、職場において悩みを聞いてくれる同僚が、常日頃から私の周りにはいなかったのだ。
感情が爆発し、仕事どころじゃなくなった私は、逃げるように会社を早退すると、その足で真っ直ぐマスターの店に向かった。
別に悩みを聞いてもらおうと思った訳ではない。
仕事における悩みなど、部外者に打ち明けたトコロで場当たり的な回答しか得られないのが関の山だ。
しかし、傷ついた私の心は、マスターとその彼が作る手料理による「癒し」を激しく求めていたのだ。
早退して真っ直ぐ店に向かったせいか、店はまだ開いてはいなかった。
しかし、感情がぐちゃぐちゃになっている私は、店の前で立ち続けて開店を待つ。
「サチさんじゃないですか」
2時間程が経ち、18時前になると開店時間なのかマスターが姿を現した。
「お久しぶりです」
「少し早いですけど、入りますか?」
私は無言で頷き、マスターの言葉に従って店へと入った。
「何、飲みます?」
私は「モスコミュール」と答えると、「あと、バター醤油焼うどんも」と付け添えた。
「久しぶりだっていうのに、元気が無いですね」
「いつも、こんな感じでしたよ、私……」
「いや、違いますよ」
マスターはモスコミュールを私の前に置くと、続けて言った。
「普段のサチさんは、口数は少ないですけど、いつもニコニコしていました。
けど、今日のサチさんは全く笑顔が無い」
「まぁ、色々ありまして……」
「色々ありますよね。
長い人生を生きていると、納得いかない事ばかりですし」
マスターは微笑すると、鰹節の袋を開け、それを小皿の上に盛る。
その後、私とマスターの間から会話が消えた。
私は私で切り出す気力と勇気が無く、マスターにしても必要以上に踏み込むのは愚と感じているのか、店内はしばらくの間、具材を炒める音が響き渡るのみであった。
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